2025年3月、9年にわたったある裁判が終わりを迎えた。乳がんの手術を終えた女性患者の胸をなめるなどしたとして、準強制わいせつで起訴された男性医師。女性患者が「せん妄」であったか否かが、争点のひとつだった。
【映像】“せん妄”に悩んだ男性、入院中の姿
せん妄とは、ストレス・薬物・脳疾患など様々な影響による意識障害。入院患者の15~50%に見られ、特に高齢者や集中治療室に入った患者の頻度が高いという。症状としては、自分がいる場所が分からなくなるなどの認知機能障害、急に怒りだす・泣きだすなどの気分の急激な変動、幻視・幻覚・妄想障害などがある。
今回の裁判では、全身麻酔の影響で「女性がせん妄状態に陥り、幻覚を見た可能性がある」として、男性医師は無罪となった。医師は判決後の会見で、「医療の不確実性を前提に、医療者側も患者側も守られる仕組みづくりが必要だ」とした。
坂大樹さん(52)は6年前に脳出血で倒れ、今も左半身にまひが残る。幸い意識を取り戻したが、妻の亜紀子さんは夫の様子がいつもと違うことに気づいた。「すごく疑い深くなった。看護師や医師、面会者すべてを怪しみ、敵みたいな感じ。『持ち物には気をつけてね』とか(言ってきた)」と振り返る。
大樹さん本人は、当時のことを「最初しばらくは集中治療室にいた。その時の記憶はあまりないが、いきなり変なところに閉じ込められた感覚があった。何者かに捕らえられたみたいな」と説明。また、「異世界転生した感じ。自分自身の身を守るのに精いっぱいだった」とも表現し、亜紀子さんのことは「この異世界で唯一知っている人間がいた」と認識していたという。
そして、医師の病状説明を聞くために病院へ向かった亜紀子さんに、大樹さんは妙なことを言い始める。「音声を録音しておいてくれ。あの医師は怪しいから、何を言われるかわからない」。言われるがまま録音するも、医師の話に怪しいところはなく、録音はすぐに消した。
他にも「左手が動かないため、口で右手の点滴を抜く」「お見舞いにもらった品がなくなったと騒ぎ、看護師を犯人扱いする」といった異変が。中でも亜紀子さんがショックだったのは、娘と息子の写真を見せた時のこと。「何か考え込む表情をして、これは誰でここはどこなんだろうみたいな感じで『ふーん』と」。
大樹さんはその時どう感じていたのか。「正気に戻ったという言い方はあれだが、そういう症状があると初めてわかった。それまでは、せん妄状態が自分にとって全て現実で、自分の身に起きていることだと感じていた」。リハビリ開始とともに意識もはっきりしだし、20日ほどで回復した。
亜紀子さんは当時を振り返り、「脳出血の後遺症は、半身まひしか知らなかった。せん妄を調べて、存在は理解できたが、温厚で怒らなかった夫が『治安が良いところ』と言い続けていた。事件については、患者本人にとっては真実であり、患者と病院のどちらも不幸だったと思う。私の場合、夫が信頼してくれていたからよかったが、“敵”だと思う相手から言われても受け入れなかっただろう。信頼できる第三者の意見が入るといいのではないか」と投げかける。
大樹さんは「“せん妄”という言葉や症状は、自分に関係ないと思う人も多いだろうが、何かのきっかけでなる可能性は誰しもある。もう少し知る機会があるといいと思う」と語った。
認知症をはじめ脳を専門とする国立長寿医療研究センターの前島伸一郎医師は、せん妄について次のように説明する。「簡単に言うと、意識障害の一種。“意識障害”と聞くと、一般には昏睡(こんすい)状態がイメージされるが、そこまで重くなく、意識がぼんやりとして、注意力や思考が一時的に混乱する状態だ。原因は複合的だと言われているが、簡単に言うとストレス。手術や肺炎、一般的なのは睡眠薬や抗不安剤などの薬、あるいは大樹さんのような脳疾患や頭部外傷、入院など環境の変化や、認知症によって引き起こされる場合もある」。
せん妄の診断基準には、「意識水準の変化(覚醒度が高すぎる/低すぎる、変動する)」「注意の障害(持続・集中・移動に困難がある)」「認知機能の急激な障害(例:記憶、見当識、言語、思考の混乱)」「幻覚(特に幻視)」「妄想(ときに被害妄想)」「睡眠障害(昼夜逆転など)」「感情の不安定さ(不安、興奮、抑うつ)」がある(出典:ICD-11<国際疾病分類第11版>)。
また、認知症とはどのように違うのか。せん妄の発症は亜急性・急性で、意識障害あり。発症期間は一過性(数時間~数週間)で、日内変動と身体疾患、環境の関与はともに多い。一方の認知症は、発症は緩徐で、意識はおおむね正常。発症期間は持続性があり、日内変動と身体疾患、環境の関与はないことが多い(朝日生命 介護保険特別WEBサイトを参考に作成)。
前島氏は「区別しにくいところもあるが、認知症は比較的ゆっくりと進み、記憶力が悪くなるなどの症状が出る。せん妄は急に起こり、注意力や集中力がなくなることが問題になるイメージ。せん妄の多くは一過性で、一時的な症状だ」と説明する。
治療法については、「『この薬ですぐ治る』というわけではない。環境をうまく変えてあげて、自然と脳が落ち着いてくるのを待つことが多い。一度治った人が、また何かのきっかけでなることはある。高齢者や認知機能が落ちた人、日常生活が普段通りにできなくなっている人は、なりやすいと言われている」とした。
では、身近な人がせん妄状態になった時はどうすればいいのか。「何も知らないと気が動転するか、ぼうぜんとしてしまう。しかし病状を知ることで、家族の受け止めも違ってくる。辻褄の合わない話をされても、無理に否定しないで、うまく話を合わせて乗り切るのがいい」とアドバイスする。
生活リズムを整える役割も、周囲の人々は担える。「昼夜逆転することが多いため、昼間はリハビリをして、夜は寝られるようなリズムを作り、自然な回復を促す。原因となっているものを取り除くことも必要だ。脳にダメージがあるなら治療をしっかり行う、薬が原因ならその薬を取り除くことが大切になってくる」と促した。(『ABEMA Prime』より)