東京大学の入学者数は昨年3072名。総務省統計局の発表によれば、2024年の新成人は106万人とあり、仮にこれを一学年の総数とすると、単純計算で東大生は「345人に1人」、人口の上位およそ0.3%の成績優秀者ということになる。しかし、卒業生の中には「東大なんか入らなきゃよかった」と言う人が一定数いるのだそう。自身も東大出身のライター・池田渓氏が聞いた、ある地方の市役所で起きた「壮絶な東大いじめ」の道具となったのは、フジテレビの人気バラエティー番組だった。
(前後編の後編)
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※この記事は『東大なんか入らなきゃよかった』(池田渓著、新潮文庫)の内容をもとに、一部を抜粋/編集してお伝えしています。
東大卒業生は、同窓生が少ない地方の職場で逆学歴差別を受けることが少なくない。時には露骨にいじめられることもある。僕の所属していたサークルの後輩、吉岡聡くん(29歳)が、自身の経験を話してくれた。
吉岡くんは東大文学部を卒業後、地元の兵庫県で市役所職員として働き始めた。公務員志望の東大生のほとんどは、学生のうちに国家公務員採用総合職試験(旧、国家公務員I種試験)もしくは国家公務員採用一般職試験(旧、II種試験)をパスして、卒業後は中央省庁に入る。
地方都市の市役所職員になった吉岡くんは極めてまれなケースで、田舎の公務員になるような者は、東大では通常「落ちこぼれ」と見なされる。東大は毎年、卒業生の進路を公開しているが、彼が卒業した年に地方公務員になった東大生は数人しかおらず、インターネットの匿名掲示板にある就職関連スレッドでは、「東大を出ていながら地方公務員なんかになったやつがいるぞ」と話題になっていたそうだ。
当初、吉岡くんは大学院への進学を考えていた。それが学部で卒業して地元で市役所の職員になることを選択したのは、親御さんが病気を患い、なるべく近くにいてあげたかったからだという。
しかし、その職場で彼は初日からいじめに遭ってしまった。
「新人には先輩がついて指導してもらえるものだと思っていました。入って半年は試用期間とされていましたし。でも、職場に初めて出た日、先輩に開口一番、『あんたは東大生なんやから、私らを見てたら分かるやろ』とだけ言われてそれっきり、放置されたんです。業務マニュアルくらいあるかなと思ったのですが、一切ないんですね。上司とされる女性にどんな仕事をすればいいのかを尋ねたら、『私らは忙しいねん。あんたの相手なんてやってられんから、勝手にしとき』と言われてしまいました。面食らいましたね。仕方なくフロアのゴミ掃除をして時間を潰つぶしました。あれは、意図的なネグレクトだったと思います」
そう語りながら当時のことを思い出したのか、吉岡くんは口を大きく鋭角の「へ」の字に曲げた。
「でも、いつまでもゴミ掃除をしていたわけじゃないでしょう?」
「ええ。初出勤から1週間がたったころに新年度の業務分担が発表されて、そこでようやく前任者の引き継ぎという形で業務内容を知ることができました。ただ、それまでは完全に放置です。話しかけてすらもらえませんでした。所在のなさに、社会人になって1週間にして心が折れかけましたね」
たまたま職場全体が忙しい時期で、誰も彼の相手をする余裕がなかったのかもしれない。しかし、知らない環境でずっと放置されるというのは、当事者でなくても想像するだけでなかなかつらいものがある。
「原因はハッキリしています。直属の上司と部内の先輩たちですね。その人たちは関西大学の出身で、それまで職場では『高学歴で頭がいい人』として周囲から持ち上げられていたんです」
関西大学の出身者はほかにも何名かいて、職場では大学名を冠した派閥ができていたという。そんなところに東大卒の吉岡くんが入ってきてしまったものだから、「その人たちがすっかりすねてしまったんですよ」と彼は言った。
「事あるごとに皮肉や当てこすりをされて、ずいぶんとやりづらかったですねぇ。なにかにつけて『自分は東大出で頭がええのかもしれんけど、うちらはそうやないねんな』と言われて、なじられました」
関西では、特定の人に対する皮肉や当てこすりを「いじり」ということがある。いじる側は軽い冗談のつもりでも、いじられる側が不快に感じるならば、それはれっきとしたいじめである。
「先輩たちは、新人のぼくが知らないことがあると大喜びするんですよ。『東大を出てるのに、自分ほんまはアホなんちゃうか』なんてひどいことをよく言われました。そこで、『そうなんですよ。東大にもぼくみたいなアホはいるんですよ』と下手に出て、業務のやり方を少しずつ習得していきました。その場で口だけでもアホだと認めておけば、物事がスムーズに運ぶので。正直、屈辱ですよ。でも、からかうのはやめてほしいと訴えても、まともに取り合ってはくれませんでした。こちらは一人なのに対し、相手は大勢なんですよね」
「嫌だったのは、ちょうどぼくが就職したころにテレビで『さんまの東大方程式』というバラエティー番組がはじまったことです。ゴールデンタイムにやっていて、定時であがった職場の連中がけっこう観みていたんですね。放送後しばらくは、その番組をネタによくいじられました」
「さんまの東大方程式」は2016年からフジテレビ系列で放送されているトークバラエティー番組だ。司会の明石家さんまと、スタジオのひな壇に並べられた数十名の現役東大生が繰り広げるトークが人気を博し、毎年春と秋の改編期の特番として、2024年8月時点で第11 弾までが放送されている。
「ある時の放送では、女性経験がない東大の男子学生が特集されたんでしょうね、その内容を引っ張ってきて、『吉岡も東大やし、童貞やろ?』とからかわれました。またある時は、東大生に昆虫でも食べさせていたのでしょうか、『自分も虫食ったりすんの?きしょ』なんて理由もなく中傷をされたりもしました。関西において明石家さんまの影響力って絶大なんですよ。『さんまがやっていたみたいに、俺らもうちの職場にいる東大をいじろう』ってなもんです。ぼくはその番組をたまたま目にすることはあっても、5分と観ることはないのですが、東大関係者にとってあれほど鬱陶しい番組はないですよ」
本書の執筆にあたり僕も過去の放送回を取り寄せて改めて視聴してみたが、たしかに僕たち東大卒業生にとって見るに堪えないものだった。番組では、基本的に東大生を「変人」扱いすることで笑いをとっていたからだ。
もちろん、バラエティー番組である以上、台本があり演出があり、素材に過剰な編集を施した結果なのだろうが、いずれにしても、この番組は東大生に対する世間の偏見を大いに助長するものだ。
例えば、「東大生の歪ゆがんだ恋愛事情」と銘打ち、「東大生と結婚したい肉食女子」なる者たちをスタジオに連れてきて東大生とお見合いさせるという、なんとも醜悪な企画があった。そこでは、「東大生の遺伝子がほしい」などという下品極まりない言葉を平然と口にする女子大生を前に、朴訥とした東大男子たちは慌あわてふためき、スタジオ中が彼らを嘲笑の的にしていた。
多くの東大男子は、中学・高校の青春期を受験勉強に捧ささげ、厳しい競争を勝ち抜いて東大に入学する。東大生を多く輩出する進学校の中には男子校も少なくない。さらには、近年の東大学部生の男女比は、男子約80%、女子約20%で推移しており、一般的な日本の大学の学部生の男子約54%、女子約46%に対して異様な偏りを見せている。
したがって、二十歳そこそこの東大生、特に男子学生の大半は恋愛未経験者であろう。そんな彼らのまだ未熟な恋愛観を、あろうことか「歪んでいる」と断じ、異性経験がないことを日本全国のお茶の間にさらして辱める。こんな悪趣味なことがあるだろうか。
通常業務の全体像をなんとか把握して仕事にも慣れると、吉岡くんは「便利使い」されるようになったという。
「ぼくにも問題があるにはあって……。『できません』とは言いづらいんですよね。『できない』と伝えると、連中は鬼の首を取ったように喜ぶんです。『東大やのに~』なんてケタケタと笑われて。腹立たしいじゃないですか」
東大を出ているからといって、なんでもそつなくこなせるわけではない。人並みに得手不得手はある。しかし、「できない」とは言えない。それは、東大卒業生であるプライドが邪魔をする。僕も昔はそうだったが、「そんなこともできないの」「こんなことも知らないのか」などと言われると、胸の奥がズキンとうずく。
「残業代が満額出る部署だったことだけが救いでしたね。月の基本給は約19万円でしたが、残業代を足すと30万円を超えていました」仕事の量は多かったが、そのぶん給料には反映されていたので、「ある程度はガマンできた」と吉岡くんは言った。
「もともと仕事が過量にある忙しい部署で、誰も自分の手持ちの仕事を増やしたくないんです。でも、先ほどの関西大学出身の先輩方は、新人のぼくが大きな仕事を任されているのに、自分たちには誰にでもできるような作業しか回ってこなかったことが我慢できなかったみたいで……。ずいぶんと嫌がらせを受けました」
吉岡くんは当時の同僚について「本当にくだらない人たちでした」と憤慨しつつ、こうも述べた。
「ぼくにも傲慢なところがあるので、『あなた方に簡単な仕事しか回ってこないのは、あなた方にその能力がないからですよ』と内心では思っていました。それが知らずに顔に出ていたのかもしれませんねぇ。仕事が忙しいこともあって、部署全体にフラストレーションがたまって、空気がどんどん悪くなっていきました。ぼくの存在が原因のようでしたし、実際、面と向かって『自分(お前)のせいやで』なんてことも言われました。でも、やっぱり理不尽ですよね」
環境によっては、東大卒という肩書がその人のウイークポイントになることもある。
「ぼくが東大卒でなく、仮に関西大学卒であれば、あそこまでつらい目には遭わなかったはずです」
それまで地元の大学より高学歴の人間がいなかった職場に、東大卒という「異物」が一つ混入するだけで、組織全体の人間関係がギスギスすることもあるのだ。
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この記事の前編では、同じく『東大なんか入らなきゃよかった』(新潮文庫)より、しばしば指摘される「就活に弱い」「仕事で使えない」東大生が実情について、著者の池田渓氏によるレポートをお届けしている。企業の採用担当者が忌避する「東大までの人」の特徴とは――。
デイリー新潮編集部