【前後編の後編/前編を読む】「妻を壊してしまった」47歳夫の後悔 母になっていく姿に寂しさ感じて…“魂の殺人”の始まりは
「僕が妻の心を壊したんだと思う。でももう謝罪する機会もない」と語るのは、佐川寿明さん(47歳・仮名=以下同)である。27歳の時に結婚した文菜さんは、もともと会社の同期で、親兄弟を養うためにしていた水商売のバイトがばれてクビになったという苦労人だ。2人の子に恵まれると“完璧な母親”として家庭を守ったが、寿明さんはそこに寂しさを覚えたという。たびたびある長期出張を機に、小料理屋の女将と関係を深めていった。
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「浮気なんて結局、バレるんですよ」
寿明さんは自嘲的にそう言った。断続的に7年ほど続いた女将との関係は、いつしか妻の知るところとなっていた。
「出張だと言って休みをとって女将と旅行をしたことがあったんです。たまたま妻が僕に連絡をとろうとしたけど携帯電話の電源を切っていた。もともと怪しいと思っていたんでしょう、会社に連絡をしたら今日は有休だと聞かされたみたい」
彼はその旅行を機に、女将と会うのをやめるつもりだった。女将のほうもわかっていたはずだ。最初で最後の一泊旅行は情熱的でありながらせつなかった。
翌日、なんとも言えない思いを抱えて帰宅すると、子どもたちは「出張のおみやげ」を待っていた。文菜さんはいつものように笑顔で彼を出迎え、「軽く食べる?」と聞いた。
「別れてきたせつなさと、妻のずっと変わらない笑顔を見ていたら、なんだか急にこみあげるものがあって……。自分でもよくわからない感情でした。女将と別れたのは心が裂かれるようにつらかった。でも妻の笑顔を見たとき、この人は一生、ずっとこんな笑みを貼りつけて生きているのかと思って。いや、なんというか、そのときわかったんですよ。妻の笑顔は心からのものじゃないということが。それで感情が乱れてしまった」
着替えてくると言って寝室へ行ったら、涙が止まらなくなった。その前年、父を病気で亡くしたときも彼は泣かなかった。見送るのは順番だからと喪主を務めた。だが寝室で、「ここは自分たち夫婦の偽りの愛が熟成された部屋」だと感じた。端的に言えば、妻が自分を愛していないことを確信したということらしい。それはとりもなおさず、自身も妻を愛していなかったということなのではないか。
「そうかもしれない。どうしてあんな気持ちになったのかわからないんです。夫婦なんてそんなもの、偽りか本物かなんてわからない。ただ、ふたりとも子どもへの愛情は確かなものだった。それでよかったはずなのに」
片手で女将への、もう片方の手で妻への愛を握りしめていたのに、片手を緩めたらもう一方の手も緩んで、両方の愛を一気に手放してしまったような感覚なのだろうか。
「それも今となってはよく覚えていないんです。でもとにかくなんかすべてに絶望してしまった……」
夜食を食べるはずが、彼はリビングに戻ることができずにベッドに横になった。夜中に目覚めると、文菜さんがいなかった。どうしたんだろうと思いながら、全身が疲労感に包まれていたため、彼は再び眠りに落ちた。
翌朝、息子に起こされた。当時、息子が小学校5年生、娘は3年生だった。学校に行かなくちゃいけないのに、おかあさんがいないと子どもたちが叫んだ。
「なにがなんだかわからないままに、ともかく子どもたちを送り出した。僕も出社しなくてはいけないのに妻がいない。嫌な予感が当たったような気がしました。いろいろ考えて、その日は会社を休みました。妻の実家や親戚あたりに連絡をとったけど、誰も『ここのところ連絡もとってない』と。妻の交友関係なんて知りません。そういえば妻が昼間、なにをしているのかさえ僕はほとんど知らない」
ひっきりなしに携帯に電話をかけたが、電源が切られていた。妻のクローゼットや小さな机の引き出しなどを漁ってみたが、手がかりはない。その日の夕方、彼は警察に届け出た。家出なのか事件に巻き込まれたのかもわからない。大きな荷物はもっていないはずだ。ふだん買い物に行くときに使っている財布はキッチンのテーブルに置かれたままだった。
それが7年前のことだ。すぐに実家の母が飛んできてくれ、家事を担ってくれた。子どもたちには「おかあさんは急な用で出かけたけど、すぐに帰ってくる」と言うしかなかった。
子どもたちはしばらくの間、「いつ帰ってくるの」と言っていたが、だんだんと言わなくなった。近所でも話題になっていたようだから、子どもたちは子どもたちのコミュニケーションの中で何か悟ったのかもしれない。
「妻の親戚関係にも伝えましたし、昔、仕事をしていた店にも行きました。代替わりしたようで店の人たちの中で文菜のことを知っている人はいなかった。勤務先にも言いました。ただ、文菜が副業をしてクビになったことなど、もう知っている人もほとんどいない。残っている同期にも話したけど、もうすでに誰も連絡をとっていなかったし」
妻の情報は完全に絶たれた。少しずつ、寿明さんもあきらめの気持ちが強くなっていった。だが3年前、家の電話が鳴った。日曜日の朝だった。
「文菜からだとなぜか思ったんです。電話に飛びついて、文菜か、文菜だろと叫ぶと、かすかにヒッという嗚咽のようなものが聞こえた気がして……。帰ってきてよ、今すぐ帰ってこいよと言いました」
電話は切れた。ディスプレイには公衆電話とでていたが、どこからなのかはわからない。警察にも相談したが、特定はできなかった。
その数ヶ月後、また家の固定電話が鳴った。
「もしもし、という声が文菜の声だった。今どこにいるんだと言うと、『子どもたちは元気?』って。元気だよ、みんな待ってるよ、オレも待ってる、とにかく帰ってこいと言いました。言っているうちにこっちが涙声になってしまった。『ごめんね』と言った文菜の声が妙に間延びしているように聞こえて、『文菜は元気なのか、大丈夫なのか』と言ったら、なにも言わなかった」
それから1年後、警察から連絡があった。文菜さんがとある病院に入院しているという。そこは彼が例の女将と会っていた土地だった。「嘘だろ」と思わずつぶやいたと彼は言う。
「あわてて飛んで行ったら、確かに文菜が入院していました。ただ、僕の顔を見てもほとんど反応がなかった。どうやら記憶をなくしているようだと」
とにかく転院させたいと伝えた。これからあちこち検査をするというので、その日は病院を辞した。なじみのある土地を歩きながら、いつしか足はあの店に向いていた。ところがあるはずの店はなくなっていた。思わず携帯で電話をかけようとしたが、あの最初で最後の旅行の帰り、家に着くまでの間に彼は女将の携帯番号を削除したのを思い出した。
地元の警察に行って、妻がどういう状況で見つかったのかを聞いたが、朝早く路上で倒れているところを近所の人が見つけてくれたということ以外、なにもわからなかった。
その後、文菜さんは寿明さんの自宅から1時間ほどの病院に移ることになったのだが、転院前日、突然、脳出血を起こした。
「息子と娘にはあとで話をしようと思って、まだ母親が見つかったことは言わなかったんです。僕だけ病院に行って、妻を病院の車で運んでもらうことになっていた。だけど前日夜、現地に着いたら、妻が脳出血だと連絡があって」
そして妻は寿明さんの到着を待たずに息を引き取った。いったい、なにがあったのか、行方がわからない間、妻がどこでどうしていたのかを聞く機会は永遠になくなってしまった。
妻が亡くなってから1年強の日々が流れたが、寿明さんの脳裏には物言わぬ妻の白い顔が焼きついている。
そもそも今になってみると、あの晩、妻の笑顔をなぜ偽りだと決めつけてしまったのか。それは彼自身が女将と別れたやるせなさからの思い込みではなかったのだろうか。彼自身、妻が出ていった前の晩のことは整理がつかないままだ。
「子どもたちにはずっと言えないままでした。今年から息子は大学生です。彼の高校の卒業式の日、母親が亡くなったことを話しました。実はお骨はまだ家にあります。息子と娘は僕の話をじっと聞いていた。これからはふたりの心のケアをしないと。僕自身もカウンセリングにかかり始めました。このままだとこの先、生きていけない気がして……」
“本当のこと”を知る術がないから心は不安定になる。表層的な事実を受け止めるだけでも相当な覚悟がいりそうだ。
「妻がいなくなってからずっと、子どもたちのためだけに生きてきました。今後もそうしていくつもりです。僕が助けると文菜に言ったのに、あの言葉を守れなかった」
この2年で7キロ痩せたと彼は力なく笑う。それでも人は生きていかなければならないですからと、最後にようやく少しだけ力強い言葉を残した。
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寿明さんが後悔を口にする「僕が助ける」という言葉は、かつて悲しみに暮れる文菜さんに彼が送った言葉だった。【記事前編】で詳しく紹介している。
亀山早苗(かめやま・さなえ)フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。
デイリー新潮編集部