登録者数160万人超を誇る人気YouTubeチャンネル「ちいりおちゃんねる」。8歳のりおなちゃんが、大人顔負けの“しゃべり”で父親を説教する姿が人気を呼んでいる。
【そっくりすぎ!!】りおなちゃんと目元がそっくり…“先天性の病気で低身長”の娘を育てる美人ママ36歳の写真を見る(秘蔵写真多数)
りおなちゃんは、先天性の病気を持って生まれ、幼い頃から入退院を繰り返してきた。現在は、側弯症の手術の影響で身長が103センチ。下半身が麻痺しているため、車いすでの生活を余儀なくされている。
彼女はいったいどんな病気を抱えて生まれてきたのか。なぜ車いす生活を送ることになったのか。りおなちゃんの母・佳寿美さん(36)に話を聞いた。(全3回の1回目/2回目に続く)
先天性の病気を持って生まれたりおなちゃん。現在は車いす生活を送っている(写真=「ちいりおちゃんねる」提供)
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――りおなちゃんは、生まれてこられない可能性があったそうですね。
佳寿美さん(以下、佳寿美) 妊婦健診のときに、お腹のエコーを見たお医者さんから「胎児の全身がむくんでいる」と言われて。首の後ろのむくみが3ミリ以上あると、ダウン症や先天性疾患になる可能性が高いのですが、りおなの場合は4.6ミリのむくみがあったんです。
「生まれてくるのは難しいかもしれない。もし生まれてきても、すごい重い障害を持っているか、すぐに亡くなってしまう可能性もあります」と説明されて、頭が真っ白になりました。
――青天の霹靂ですよね。
佳寿美 病院で「すぐに中絶手術をするか、胎児がお腹の中で亡くなるまで待つか、決めてください」と言われたんです。
でも、私はどうしても諦めたくなくて。家に帰って夫に説明したら彼も同じ気持ちだったから、もっと詳しく検査してくれる病院を探して、そこで出生前診断を受けました。
――出生前診断を受けることへの葛藤はありましたか。
佳寿美 出生前診断に対して、いろいろな意見があることはわかっています。ただ当時、長男が急性脳症になって、後遺症や重い障害が残る可能性もあったので、障害のある子を2人育てるのは現実的には無理なんじゃないかと思ったんです。
だから夫と「何か1つでも異常が見つかれば、出産は諦めよう」と話し合って、検査を受けました。
――その結果は?
佳寿美 異常が見つからなかったんです。そのあと、さらに詳しい検査をしたのですが、それでも何も見つからず。
その時点で胎児に8ミリ以上のむくみがあったのですが、出生前診断を受けた病院のお医者さんから「検査で異常がなかったから産んでも大丈夫なんじゃない?」と言われたので、夫と話し合って産む決心をしました。
――実際に出産を迎えた直後のりおなちゃんはどのような状態でしたか。
佳寿美 パッと見たときは、異常がないように見えたんです。でも、息を吸うたびにゴロゴロと音が鳴っていて。お医者さんから「赤ちゃんの呼吸が苦しい状態です」と言われて、そのままNICU(新生児集中治療室)に連れて行かれました。
――どこかに異常があった?
佳寿美 あごが小さくて、かつ後退していたんです。さらに、口の中の天井(口蓋)に穴が開いている「口蓋裂」でした。
――出生前診断で異常がなかっただけに、ショックが大きかったのでは。
佳寿美 元気な子が生まれてくると思っていたので、「まさか」というか。本当にショックでした。
あごが小さかったり、口の中に穴が開いていたりするのを「ピエール・ロバン症候群」と呼ぶんですけど、その症状は、何かの病気の一部だと説明されて。だから、「もしかして、何かしら重い病気の可能性があるかもしれない」という不安もありました。
――その後、どのように治療していったのですか。
佳寿美 NICUを出たあとは、GCU(新生児回復室)に移されて。私が退院したあとも、りおなはGCUで入院生活を送っていました。
–病院に通って面会していた?
佳寿美 そうです。面会だけじゃなく、冷凍した母乳を届ける必要もあって。2か月くらいは、毎日片道1時間以上かけて病院に行ってましたね。
–なぜ冷凍した母乳を届けていたのですか?
佳寿美 最初は授乳していたんですけど、授乳前後で体重がまったく変わらなくて。口の中に穴が開いているために、まったく哺乳できていなかったんです。
そのあと、口蓋裂用の哺乳瓶を使ってみたんですけど、それでも飲めなくて。結局、鼻から胃にチューブを入れて、そこから私が持参した母乳を流し込んでいました。でも、そのミルクも飲んだあとに吐き出してしまう状態で……。
――2か月も毎日病院に行くのは大変ですよね。
佳寿美 お医者さんは「呼吸が安定したら一緒に帰りたいよね」と言ってくれていたんです。私とりおなが一緒に過ごせるよう気を遣ってくれて。でも、なかなか呼吸が安定しなかったんですよね。
だから結局、私がりおなの鼻から母乳を流し込む方法や、心臓マッサージの方法、呼吸器の使い方を覚えて、自宅でりおなの面倒を見ることになりました。
――ようやく自宅で一緒に過ごせることに。
佳寿美 一緒に過ごせるのはうれしかったけど、最初は不安のほうが大きかったですね。1人でりおなの面倒を見られるのかなって。
入院中に呼吸ができない状態になって、「この子、死んじゃうんじゃないか」と不安になるような場面も目の当たりにしたんです。
「口からミルクを飲めない状態がいつまで続くんだろう」「この子はこのまま寝たきりになって、鼻から栄養を摂取して生きていくのかな」という心配もありました。
――実際にご自身で面倒を見るのは大変でしたか。
佳寿美 入院しているとき、鼻から入れたミルクをすぐに吐き出していたんですけど、家に帰ってからもそれは変わらず……。ベッドでも吐くし、病院に行くために車に乗せると、車内でも吐く。
原因がわからなくて病院に相談したら、お医者さんに「お腹にガスが溜まっているからかもしれない」と言われて。鼻からのチューブで胃の空気を事前に抜いてみたり、お尻から別のチューブを入れてガスを抜いてみたりしたんですけど、改善しなかったですね。
――ミルクの吐き戻しはずっと続いた?
佳寿美 何か月も続きました。生後5、6か月頃から離乳食が始まるからミルクが要らなくなると言われて。そこまでの辛抱だと思ってやっていましたけど、状況はあまり変わらず。しかも、離乳食が始まったら今度は、離乳食も食べないんです。
――どうしたらいいかわからなくなりますよね。
佳寿美 「このまま栄養を摂れないと、娘が死んでしまうのでは」と毎日かなり悩んでました。市の健診に行っても、娘みたいな子が1人もいないんです。そうすると、嫌でも周りの子と比べてしまって。
「この子はなんで私のもとに生まれてきたんだろう」と考えることもあったし、その頃は娘のことを「かわいい」と思う余裕すらありませんでした。
――ミルクも飲まない、離乳食も食べない状況が改善したきっかけは?
佳寿美 生後10か月の頃、私たちが食事している姿を見たりおなが、口を動かすような仕草をしたんです。「もしかしたら、私たちと同じごはんが食べたいのかもしれない」と思って、私のお茶碗から白米を取って食べさせたら、モグモグ食べだしたんですよ。ペッと吐き出すこともなく。
――まさか、いきなりごはんを食べるとは。
佳寿美 「アレッ!?」と思って、びっくりしましたね(笑)。そこからスムーズに食べられるようになって、鼻に入れていたチューブも取れました。
――しかしその後、りおなちゃんはまた入院してしまうそうですね。
佳寿美 ごはんを食べられるようになってしばらくしてから、「RSウイルス」という呼吸器系の感染症にかかってしまったんです。入院したあともどんどん症状が悪化して、りおなの意識が朦朧としていって。
お医者さんたちが心臓マッサージをしたり、人工呼吸器をあてたりして、そのままPICU(小児集中治療室)に運び込まれたんです。
――命の危険に晒された。
佳寿美 娘がこのまま死んでしまうのでは、と思いました。そのときに、心の底から「死なないで!」「ずっと一緒にいたい!」という気持ちが湧き上がったんです。
その前までは「かわいい」と思えなくて悩んだりしたけど、そこで初めて「やっぱり私はこの子のことがすごく大事なんだ」と気づきました。
そのあと、PICUに1か月半くらい入院して。RSウイルスが完治して退院するときには、「また4人で暮らせるんだ」と夢のような気持ちでした。
――ご自身の中で、りおなちゃんの大切さがわかってから、子育てに変化はありましたか?
佳寿美 退院してからは、地域の幼児クラブに連れて行ってみたり、いろいろな服を買ってみたり。今までできていなかったことを積極的に体験させるようになったと思います。
――その後、りおなちゃんの体調は?
佳寿美 1歳のときは、結構落ち着いていましたね。2歳になる前には、口蓋裂の手術をして、口の中の穴を閉じたんです。それと同時に、中耳炎にならないよう耳の手術もしたら、発音しやすくなったのか、言葉がたくさん出るようになりました。
それまであまりしゃべらなかったのに、急におしゃべりになったからびっくりしましたね(笑)。
――YouTubeでも、りおなちゃんの口達者な部分が人気ですよね。
佳寿美 あまりしゃべれないときから、夫がギャグとかを仕込んでいたんですよ。吉本新喜劇を一緒に観ていたりしたから、そういう影響もあるのかなと(笑)。
しゃべるようになっただけじゃなく、その頃には食べられるものも増えて。病院にお世話になる回数も減っていたんです。りおなが生まれてから、初めてと言えるほど穏やかな日々を過ごしていました。
でもある日、りおなの背中に小さな腫瘍のようなものを見つけて。2歳半のときに、「側弯症」という病気が発覚するんです。
写真提供=「ちいりおちゃんねる」
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(「文春オンライン」編集部)