「戦後最大の食品中毒」とも言われる森永ヒ素ミルク中毒事件をめぐり、“年々症状が悪化しているのに、被害救済が不十分”だとして、大阪市の女性(70)が森永乳業に賠償を求めていた裁判。大阪地裁は4月22日、女性の請求を退けました。▼1955年に発生した大規模食中毒 被害者は1万3000人以上 森永ヒ素ミルク中毒事件とは、1955年、森永乳業が製造した粉ミルクに、ヒ素を含む有害物質が混入したことにより発生した大規模食中毒事件です。西日本を中心に、乳幼児に多数のヒ素中毒患者が発生し、130人が死亡。2015年末現在の被害者数は1万3千人以上にのぼっていて、いまも多くの人が発達障害や身体障害を抱えています。
被害者団体・森永乳業・国の3者合意に基づき、1974年に恒久救済機関として「ひかり協会」が設立され、金銭支給などの救済事業を展開しています(事業の資金は森永乳業が全額負担)。協会の設立に伴い、被害者側が森永乳業に対し起こしていた民事裁判は取り下げられました。▼年齢を重ね手足全体の痛みやしびれ・首の痛み… 症状がより深刻に 今回の裁判の訴状によりますと、1954年5月に生まれた原告女性(70 大阪市在住)は、乳幼児期に問題の粉ミルクを飲んだ結果、ヒ素中毒に陥りました。 女性は幼い頃から左半身が動きにくい状態に陥り、さらに、年齢を重ねるにつれ、右半身を含む手足全体の痛みやしびれ、首の痛みに悩まされるようになり、1995年には頚髄症(首の骨が変形して脊髄が圧迫されて生じる病気)と診断されました。現在は歩行も困難で、家事もほとんどできず、夫らのサポートがなくては生活できない状態だといいます。▼“協会からの救済ではなく加害企業の謝罪と賠償を”5500万円の賠償求め提訴 女性は「ヒ素ミルクを飲んだことで脳性マヒとなり、さらに頚髄症を発症するに至った」「日々不安の中で生活し、死ぬまで症状の悪化は続く。『ひかり協会』からの救済ではなく、加害者である森永乳業の謝罪と賠償を求める」として、森永乳業に対し慰謝料など5500万円の賠償を求め、2022年5月に提訴しました。 女性は現在、「ひかり協会」から手当を支給されていますが、「個々の被害の実情に応じた救済がなされるべきなのに、現状の救済内容は、重い症状が悪化し続けている被害者には到底納得できない内容だ」とも訴えていました。▼森永乳業側は“3者合意によって解決済み”“除斥期間を適用すべき”など主張 森永乳業側は裁判で、“1973年の3者合意によって事件は解決済み”との姿勢を示し、「ひかり協会は2022年11月時点で3400万円以上の金銭を原告に給付しており、損害はすでに填補されている」と主張。 また、原告女性が中毒事件の被害者である点は争いませんでしたが、ヒ素ミルクを飲んだことと脳性マヒの因果関係については争う姿勢を取りました。 また、改正前の民法が定めた「除斥期間」(不法行為から20年が経てば賠償請求権が消滅するというルール)が適用されるべきだとも訴え、請求棄却を求めていました。 原告側は「症状が固定化しておらず、損害が進行している以上、除斥期間の起算点はまだ到来していない」と主張していました。▼「提訴時点では除斥期間が経過し、賠償請求権は消滅」大阪地裁は訴えを退ける 大阪地裁(野村武範裁判長)は4月22日、ヒ素ミルク飲用と脳性麻痺の因果関係については判断を避けたうえで、「頚髄症の診断を受け、その後の症状悪化やそれに対応するための手術の実施が想定されるに至った1995年12月時点」を除斥期間の起算点と判断。 「提訴した2022年5月時点ではすでに20年以上が経過していて、賠償請求権は消滅している」「森永乳業側は『ひかり協会』の事業資金を負担するなど、ヒ素ミルク飲用者へ一定の対応を取っており、原告が受給した手当が3000万円を超えていることからすれば、森永乳業側が除斥期間の経過を主張することが、著しく正義・公平に反しているとも言えない」として、女性の請求を棄却しました。 女性側は、大阪高裁に控訴する方針です。(松本陸)