紅麹成分が入ったサプリメントによる健康被害が発覚して1年。補償手続きを進める小林製薬に新たな軋轢と混乱が生じている。
アクティビスト・ファンドとして知られる香港のオアシス・マネジメントが株主代表訴訟を大阪地裁に起こしたのは4月3日のこと。被告はざっと7人である。
今年3月まで社長を務めた山根聡氏のほか、創業家出身の元社長・会長の小林一雅氏、同じく創業家出身の前社長で補償担当の取締役を務める小林章浩氏、そして社外取締役の4人(3人は今年3月で退任する)だ。
事件当時取締役だった彼らに、オアシスは連帯して135億円を小林製薬に払うよう求めている。
注目すべきは、訴えられた一人に「ミスター社外取締役」とか「ミスターROE(自己資本利益率)などと呼ばれ、日本のコーポレート・ガバナンスの第一人者との評価を受けてきた伊藤邦雄・一橋大名誉教授(73)がいることだ。
伊藤氏は、経済産業省が催すガバナンス構築の研究会の座長などを歴任、社員への投資を促す人的資本や自己資本利益率(ROE)の向上策を日本の産業界に定着させてきた人物として知られる。その一方で、大学の要職を兼務しながら、同時に大企業5社前後の社外取締役や監査役を務めていたことから、「本業を抱えて5社も6社も務まるのか」と疑問視する声は小さくはなかった。
伊藤氏がこんな批判にさらされてきたのも、過去に彼が社外取締役を務めていた企業で不祥事が相次いだからだ。東レや曙ブレーキでは品質不正が起きた。
また、2023年までセブン&アイホールディングの社外取締役も務め、16年にはカリスマ経営者と言われた会長の鈴木敏文氏が創業家側と対立して突如、辞任するという混乱に深く関わり、その判断は現在のカナダのコンビニ企業による買収への動きにもつながっている。
伊藤氏が社外取を務める会社では何かが起きると、企業法務の関係者のあいだでは尽きることのない話題だった。それは、彼が約11年も社外取を務めた小林製薬でも、例外ではなかったのである。
伊藤氏が小林製薬の社外取締役に就いたのは13年6月である。それ以前の07年には買収提案などを検討する独立委員になっており、計18年も小林製薬の経営に携わってきたことになる。
その問題の要諦は、今回、オアシスが提起した訴訟でも指摘されている。社外取には、じっさいに経営を行う社長はじめ執行幹部たちを第三者の視点で「監視・監督」することが義務づけられている。ところが、小林製薬ではその体制が脆弱で機能しなかったと指摘されているのだ。
原告のオアシス、セス・フィッシャー最高投資責任者(CIO)はこう批判している。
「情報を共有する規定や手順について作り上げてこなかった。(今回の紅麹問題でも)もっと積極的に、透明性を持って行動し、独立した調査を実施してそれをもって提言するべきだったが、していない。業務を執行する取締役を監督する機能も発揮していない」
このように、オアシスが問題視しているのは小林製薬のコーポレート・ガバナンスの実態だ。
同社は長らく創業家が経営トップに立って絶大なる影響力を保持してきたが、オアシスはそのために「取締役会が機能不全に陥り、組織の意思決定の仕組みであるコーポレート・ガバナンスが欠如していた」と切り捨てる。
オアシスの主張は、言うなればこういうことになる。
ガバナンスの欠如が、不正を防ぎ、効率的な経営を促すはずの内部統制システムも脆弱となり、製薬会社として最も大切な品質管理体制すらもおろそかになってしまった――。
とりわけ、中立・客観的立場から経営を監視すべき社外取締役については、消費者の健康や安全に十分な配慮を欠き、その責任を果たしていなかったというわけだ。
念のため言っておくが、これを投資活動で暴利をむさぼる外資系ファンドの金儲けのための裁判などと切り捨てることは妥当ではない。
紅麹事件は人命を伴う深刻な被害状況を生み出したのである。小林製薬によると、今年3月25日時点で紅麹問題で800人が健康被害を訴え、補償を申請している。今年4月20日時点で140人の死亡と摂取との関連性についても調べている。
被害の実態を鑑みれば、取締役の責任を追及するために訴訟に訴えることは、株主の正当な権利であり、本来は会社にその役割が期待されていることだ。裁判は小林製薬の対応がなぜ遅れたのかについても多くの示唆をあたえることになるだろう。
ましてや、多くの社員にとっては「社外取締役」は不可思議な存在だ。企業法務の専門家からですら、長らく「いったいなにをやっているのか?」「本当に働いているのか?」と懐疑的に見られてきた。
アクティビスト・ファンドによる今回の訴訟は、社外取締役の責任を明確にし、経済産業省などに重用され、日本の産業政策に影響を与えてきた大物の社外取締役ですらその責任を問われることを世に知らしめたという点で一石を投じている。多くの社外取締役がこれで襟を正すことになるだろう。
では、社外取締役たちに紅麹事件において、どう行動し、どのような責任を負っていたのか。ここで、紅麹問題の経過を振り返っておこう。
参照するのは同社の「事実検証委員会」による「調査報告書」(2024年7月23日公表)である。
紅麹問題の発端は2024年1月15日だった。
まず、九州の医師から「紅麹製品を摂取後に急性腎不全を起こして入院した」との情報が小林製薬のお客様相談室に寄せられた。
2月1日にも関東の医師から3件の症例報告があり、3月上旬まで健康被害の報告が10件あった。安全管理部が担当したが、担当者が医師と面談したのは、医師が連絡してから3週間~1ヵ月半後だった。医師は製品との関連性で注意喚起を促したが、3月中旬まで広告出稿も維持されてしまう。
3月15日になって、本来、存在しない成分が確認され、この成分と因果関係が否定できないとの判断に傾き、回収を決めたのが3月19日。消費者庁に健康被害の発生を連絡して記者会見を開いたのが3月22日だった。
事実検証委員会は、国や府の機関に適切に報告や相談もせず、消費者への注意喚起や製品回収の判断が適切ではなかったとの見解を示している。
対応が遅れた最も大きな理由は、行政に報告するか否か、判断が遅れたことにある。その役割を担う安全管理部は「因果関係が明確な場合」において行政に報告を行うという運用となっており、原因究明を理由に報告は先送りされてしまったというわけだ。
調査報告書は、「消費者の安全を最優先に考えることができていなかった」と指摘している。
では、事案が持ちあがった当初、社外取締役はどう動いたのか。結論から言えば、「彼らは何もしなかった」、もしくは「何もできなかった」のである。
おどろくべきことに社外取締役がこの事案を把握したのは、すでに製品の回収と情報開示の方針が決まった後のこと。3月20日の夕方、総務部長のメール報告によってである。
調査報告書は、「社外役員に対する情報共有は適時になされていなかった。客観的な視点や消費者の視点での指摘や提言を受ける機会を逸した」と指摘している。また、監査役から社外取締役へのリスク情報の共有については、「社内ルールがなく、判断があいまい」になっており、一定の基準を設けるべきだとの提言もあったが、生かされなかったという。
調査報告書を見る限り、社外取による経営監督は存分に機能していたとは言い難い。それどころか、十分な監視・監督体制を整備できていなかったのだ。
オアシスが社外取締役の責任を問うて提訴したのは、こうした実態ゆえである。
一方、小林製薬の社外取締役は、この3月末に行われた小林製薬の株主総会で自らの責任についての認識を語った。ただし、その言い分はオアシスとの認識の違いが色濃く表れるものとなったのだ。
彼らはどんなことを語ったのだろうか。
つづく後編『「紅麹事件」の当事者たちは何を語ったのか…?小林製薬の「社外取締役」が株主たちに語った「創業家支配」の会社で起きたこと』で、社外取締役たちの言い分を詳しくお伝えしていこう。
【つづきを読む】「紅麹事件」の当事者たちは何を語ったのか…?小林製薬の「社外取締役」が株主たちに語った「創業家支配」の会社で起きたこと