初任給を30万円にまで引き上げる大手企業が相次いでいる。それだけ採用に苦労している事情も垣間見えるが、「なぜ簡単に上げられるのか」「初任給につられて入社して大丈夫なのか」「先輩社員の給料はどうなるのか」などと疑問に感じる向きは多かろう。そこで企業人事を知り尽くすプロに尋ねてみると、そこには驚きのカラクリと“落とし穴”があるようで……。
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1月に三井住友銀行が「初任給を30万円に引き上げる」と報じられたと思えば、3月には三菱UFJ銀行が追随。“金利ある世界”で銀行業界の好業績が続いていることも無関係ではなかろうが、最大の要因は、激化する採用競争にある。
「“売り手市場”の傾向が著しく、今やどんな大企業も受け身の採用のままではいられない時代になっています」
そう話すのは、株式会社人材研究所でディレクターを務め、『人材マネジメント用語図鑑』(共著、ソシム刊)などの著書がある安藤健氏。
「たとえばトヨタ自動車なら、国内の自動車メーカーのみならず、欧米のトップメーカー、あるいは世界的コンサル企業など、業界の垣根を越えて、世界中のグローバル企業と張り合わないといけなくなっている。いわば“上には上がいる”世界なので、どんなに国内で人気のある企業でも、積極的な採用活動が求められるようになってきているのです」
こうした背景のもと、より良い人材を獲得するために初任給を上げ、そんな競合他社や他の業界の企業に負けないようにと初任給を上げ……というサイクルが起こり始めているのだ。
しかし、いくら“横並びの事情”があるとはいえ、そう簡単に初任給をここまで上げられるものなのか。「就職氷河期世代が置き去りになっているのではないか」との声も高まっているが、「初任給アップ」のカラクリについて安藤氏はこう解説する。
「たしかに、氷河期世代が割を食っている面はあるといえます。基本的に企業が給与に充てられる原資は一定で、どこかに多く出したらどこかを減らさなければならないゼロサムゲームです。それゆえ、一般的に年収が高い4、50代が“ステルス減収”の対象となり、その分が初任給にあてられているというわけです」
安藤氏が“ステルス減収”という言葉を用いるのは、当事者に気づかれることなく給与を減らす方法があるからだ。
「一般的に社員の給与は、G1、G2など、主に年次によって分類される『等級』と、S、A、Bなどとつけられる『評価』によって決められています。この中で、『S評価ならいくら給料が上がる』というルールは明文化しておくのが一般的ですが、『S評価の対象者を何人にするか』という評価分布割合については、現場では知り得ないブラックボックス。ですから、給与水準が高く、評価による給与の変動幅も大きいミドル世代を対象にこの分布を調整することで、初任給の原資が用意できるのです」
ちなみに、“初任給アップ”の前に入社した若手社員の処遇については、
「『初任給』ばかりがクローズアップされているところはありますが、若年層の給与自体がベースアップされていると見た方が正確かもしれません。住民税などは別として、先輩社員の方が1年目社員より給与が低いということにはならないようグラデーションがつけられるはずです」
ただし、と安藤氏。
「ミドル世代の減収によって成り立っているベースアップですから、初任給の高さに飛びついて入社しても、生涯賃金自体が上がっているわけではないことには注意が必要でしょう。従来、入社当初は抑えめで、3、40代から一気に昇給することが多かったのが、フラット化されたイメージでしょうか。自分がもらえる給料も“ゼロサム”というわけですね」
逆に言えば、若いうちの転職を前提とするなら、初任給アップを表明した企業の方が労働に見合った給料がもらえるという見方もできるかもしれない。
なお安藤氏は、「消費にまわる分が大きい若年層の給与が上がることは、日本経済全体にはポジティブな面もある」としつつ、こうも付け加える。
「やはり就職氷河期への対処は、社会全体として考えていかなければならないでしょう。世代全体として、就職に苦労し、また能力に応じた給与がもらえていなかった面はありますからね。とはいえ、今回初任給アップが取り沙汰されている企業に関していえば、ステルス減収が見込まれるのは、給与水準の高い正社員の話です。もちろんその方々にとって不遇な面もあるとは思いますが、非正規で苦労されている方々の話との議論とは分けて考える必要があるかと思われます」
デイリー新潮編集部