〈父の出張中に毒母の不倫を目撃「見知らぬ男性と車の中で…」「その後も何度か…」30代男性が振り返る、過去の“トラウマ体験”〉から続く
元会社員で、現在はブログ「じぶんぽっく」を運営しながら、「社会人の心の守り方」などについて発信している後藤迅斗さん(30代)。彼は父親から母親へのDV、母親の過剰な期待や暴言などに晒され、安心できない家庭で幼少期を過ごしたという。
【画像】パワハラ被害、母親の不倫に苦しんで“うつ病”を発症…“トラウマ体験”を語った後藤迅斗さんの現在と当時の写真を見る
そして、大学院を卒業後に入社した会社でも、パワハラに遭ってしまう。後藤さんの人生に起きた“負の連鎖”は、なぜ続いてしまったのか――。
この記事はノンフィクションライター・旦木瑞穂さんの取材による、後藤さんの「トラウマ」体験と、それを克服するまでのインタビューだ。過去のトラウマが影響して、また新たなトラウマを生む……現代社会の「生きづらさ」を生み出している負の連鎖、その正体に迫る。(全3回の2回目/続きを読む)
現在の後藤迅斗さん 本人提供
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ずっと好きだった車の設計開発職についたが、その会社ではパワハラが横行。
迅斗さんだけではなかったが、入社してからというもの、直属の上司からずっとパワハラを受けていた。その内容は以下のとおりだ。
・日常的に「若いのにガッツがない! ガッツを見せろ!」と言われる
・毎日必ず2時間の残業を強要される
・残業中にさらに1~2時間の残業を強いられる
・残業中に個室に連行され、「やる気あるのか!」と説教される
・20代なのに社内外で「おっちゃん」と呼ばれ、仕入れ先の人からもイジメを疑い心配される
・グループミーティングに呼ばれない
・上司から面と向かって「お前とは合わない」と言われる
おまけに、もともと居心地が良くなかった家庭では、母親だけでなく父親も不倫している模様。
母親と顔を合わせるのが嫌になり、実家を出て一人暮らしを始めたが、会社と家を往復する毎日に孤独感が増していく。
社内に親しい友人はおらず、大学時代の仲間は関西を離れて行った人がほとんどで、気軽に会って相談できる相手はいない。
忙しい日々の中、迅斗さんを支えたのは、趣味の「車」だった。
「ネット上での『趣味の車界隈』のマウント合戦に勝つために、稼いだ給料を車に注ぎ込みました。奮発して購入した青い車を改造することで、よりどころがない承認欲求を満たしたのです」
迅斗さんは自動車ローンで青い車を購入。その後さまざまなパーツを買い揃えていくうちに、借金は2年で600万円に膨れ上がった。
「仕事やプライベートのストレスで、金銭感覚を筆頭に色々な感覚が狂っていきました。そしてついに体にも影響が出始めたのです」
2019年4月。27歳の迅斗さんは昇進した。その5日後、もともと朝型生活の迅斗さんが、初めて朝ベッドから起き上がれず、会社に遅刻。
「おかしい」と思った迅斗さんは、その日のうちに近所の心療内科を受診。「適応障害」と診断された。
その後も、数週間ほどは薬を飲みながら出勤したが、朝起きられない日が続く。
次の診察で休職を強く勧められた迅斗さんは、休むことを決断した。
1ヶ月半の休職後、迅斗さんは問題の上司と離れ、部署を異動して復帰。それでも体育会系の体質は会社全体に染み付いており、迅斗さんが抱える悩みの根本解決にはならなかった。
「もともと大好きだった車が嫌いになりそうで、今の会社にこのままいていいのだろうか? 定年まで機械設計エンジニアで生き続けるのか? という葛藤を、毎日のように繰り返していました」
そんな時、迅斗さんが所属する部署ごと、中部地方の会社に出向する命令が下される。
出向する前に「東京モーターショー」への出張があった迅斗さんは、帰りの新幹線の中でぼんやりと、「本当にこのまま出向していいのだろうか? 逃げ場がなくなるのではないか……」と考えていた。
ふと思い立って、出向予定先の中部地方の会社名を検索してみると、社内のいじめにより1人の社員が自殺に追い込まれたというニュースが目に飛び込んできた。迅斗さんは目の前が暗くなる思いがした。
その翌朝、目覚めると38度以上の熱があるかのように体がだるく、思うように動けない。熱を測ってみると平熱だったが、起き上がるのもやっとな状態だったため、会社を休んだ。
土日を経て月曜日にはなんとか出社したが、仕事中に涙が止まらなくなってしまう。
他の社員に変に思われないように、なるべく1人でできる仕事を黙々とこなし、終業時間までやり過ごすと、退勤後に心療内科に駆け込む。すると、「危険な状態です! 今すぐ休んでください」と言われ、「うつ病」と診断される。
この日、迅斗さんはお気に入りの青い車の中から大好きだった母方の祖母に電話をかけ、「もう限界……」と泣きながら伝えた。80代の祖母は優しい声で、「よく頑張ったよ、帰っておいで」と言った。
2019年11月、迅斗さんは2度目の休職に入った。
休職に入り、一人暮らしに限界を感じた迅斗さんは、母方の祖父母の家に移り住むことにした。
実家はもう、4歳下の妹も独り立ちしており、単身赴任の父親は滅多に帰ってくることはなく、酒浸りの母親が1人で住んでいるだけ。しかも近年では、母親の服や書類などが足の踏み場もないくらい溢れ、ゴミ屋敷状態。とてもじゃないが帰れる状態ではなかった。
一人暮らしの部屋を引き払うため、荷物を母方祖父母の家に送り、役所などに手続きに行ってきたその帰り、お気に入りだった青い車を駐車場の脇にあったポールにぶつけてしまった。迅斗さんは、落ち込んでいた気持ちがますます落ち込んでいくのを感じた。
「当時、母方の祖父母は時々僕の実家に行き、母の食事の世話や部屋の片付けをしてくれていました。出迎えてくれた祖母は、僕の意気消沈した顔を見た途端、会社に怒りを覚えてましたね」
母方の祖父母宅に落ち着いた迅斗さんは、中学3年生の頃から20歳くらいまで更新し続けていたブログを再開。自作の音楽などの配信を始めた。
2020年元旦。
妹も実家ではなく、祖父母宅に帰省していた。
迅斗さんはお節料理をつまみ、日本酒を飲みながら、数ヶ月ぶりに妹と話していた。
「嫌味を言う主任や、多くが体育会系で趣味も性格も合わない同期のことに加えて、いろいろな出来事が重なって休職したんだ……と妹にこれまでの経緯を話していたら、小さい頃、ピアノを習いたかったのに自分は習わせてもらえず、妹だけ習わせてもらえたことを突然思い出してしまいました。そこへ追い打ちをかけるように、友人たちから年賀状やメールなどで結婚報告が相次ぎ、その日は日本酒が進みました」
人生が思うようにならないと感じていた迅斗さんは、その思いを打ち消すように日本酒をあおっていた。
復帰に向けて心療内科を変えようと思っていること、治療して寛解したら転職しようと考えていることを話した時、側で一緒に日本酒を飲んでいた祖父が口を挟んできた。
「これから東京五輪の前に不景気になるだろうから、治してからの転職は無理や。すぐせい!」
何も言わずに相槌を打ってくれている妹といい気分で話していた迅斗さんは、突然祖父に命令口調で会話を中断され、面白くない。たちまち酔っ払い同士で言い争いになり、最終的に「もういい、出ていけ!」と祖父に怒鳴られた迅斗さんは、自分の部屋に逃げ込んだ。
「友人の結婚ラッシュだったり、愛車で事故をしてしまったりで、『死』に対する思いが日々強くなっているタイミングでした。祖父に『出てけ』と言われ、『もう居場所も生きる価値もないんだ』と思った僕は、最後に友人やブログの読者たちに『さよなら』を伝えました」
〈借金は600万、うつ病で休職後に250社受けて不採用に…“ドン底”を味わった30代男性がなんとか人生を立て直すまで〉へ続く
(旦木 瑞穂)