〈《懲役は…》17歳の女子高生を誘拐・強姦・殺人→コンクリ詰めにした「4人の不良少年たち」のその後〉から続く
4人中3人が再び犯罪を…史上最悪の少年犯罪「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の犯人たちは刑務所を出た後、どんな人生を生きたのか? 新刊『映画になった恐怖の実話検戞陛歓夕辧砲茲螳貮抜粋してお届けする。(全4回の4回目/最初から読む)
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写真はイメージ getty
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映画は最後、「彼らは命の尊さに気づくのでしょうか?」というモノローグが流れ終わる。いかにも、取ってつけたような台詞だが、結果的にそのメッセージが犯人たちに届くことはなかった。
主犯のAは判決を受け千葉刑務所に服役。映画公開から3年後の2007年2月に仮出所し、関西在住保護司と養子縁組をして改名した。埼玉県川口市、茨城県西南西部、茨城県取手市などで解体作業員や寝具店従業員として働いていたが、2013年1月にパチンコ必勝法の情報料金という名目で現金を振り込ませる「振り込め詐欺」を働いた容疑で警視庁池袋署に逮捕された。
ただ、本人は黙秘を続け、不起訴処分となっている。その後、さらに改名したと言われるが、現在の消息はわかっていない。
準主犯格のBは1999年8月に奈良少年刑務所を出所、更生保護司の女性と養子縁組し改名した。同時に、重大な事件を起こしたことから日本で働くのはあきらめ、中国で職を見つけるべく中国人女性と結婚する。しかし、2003年に離婚したことで計画は頓挫。その後は定職に就くこともなく八潮市の木造2階建ての家で母親と同居し、暴力団事務所にも出入りしていた。
母親はJさん遺族に慰謝料を払ったものの、その額は50万円というわずかな金で、一方、息子には高級車を買い与えるなどして甘やかした。そんな環境もあってか、2004年5月19日の深夜、足立区花畑の路上で一方的に好意を寄せていた女性の恋人男性(当時27歳)に殴る蹴るの暴行を加えたうえ、母親が三郷市内で経営していたスナックに拉致・監禁。
「俺の女を取っただろう? 殺すぞ、俺は人を殺したことがあるんだ。コンクリート事件、あれはマジで楽しかった。あの事件は、本当は俺が主犯だったんだよ。俺がリーダーだったんだ」などと脅した。
6月4日、逮捕監禁致傷の容疑で逮捕。
裁判で懲役4年の実刑判決を受け服役し2009年までには出所したものとみられるが、2025年1月、3年前の2022年7月に自宅トイレに頭を突っ込み孤独死していたことがメディアで報じられた(享年51)。
Cは1998年に釈放された後、しばらく両親と暮らした。犯行現場となった綾瀬の家は取り壊され、両親が移り住んださいたま市内に建つ一軒家での同居だった。その後、1人暮らしを始め、千葉県市川市、京都市伏見区、福島県会津市などを経て東京・東中野へ。
都内のジムでムエタイに打ち込み、プロのライセンスを取得してデビューするも2戦立て続けに敗退。時を同じくして、周囲が女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人だと気づき始めたため逃げるように引っ越したそうだ。Cの名が再び表に出るのは2018年8月。

埼玉県川口市の路上で運転をめぐるトラブルから当時32歳の男性を警棒で殴ったうえ、後頸部をナイフで刺したとして殺人未遂容疑で逮捕される。2019年に下った判決は懲役1年6ヶ月、執行猶予3年というものだった。
犯人3人が再犯者という現実。更生施設は何の役割も果たしていないと言わざるをえないが、残る1人のDは1996年に出所した後、母親と同居。
少年院でいじめに遭い、引きこもり生活をしていたようで、その後は溶接工や空調設備作業員など仕事を転々とし、現在は神奈川県横浜市金沢区のアパートで姉夫婦と一緒に暮らしていると伝えられている。
(鉄人ノンフィクション編集部/Webオリジナル(外部転載))