都内の中堅企業に勤務する40代の男性は「仕事の関係者と夜に酒を飲みながら会食したのですが、会計の段階になって驚きました」と言う。「コース料理ではなく、それぞれが好きな一品料理を注文したのです。頭の中で『1人5000円として全部で1万5000円くらいかな』と予想していたところ、店員さんが持ってきた伝票は2万円を軽く超えていました」と首を傾げる。
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【画像】一向に価格が下がらないコメの“不都合な真実”を明らかにする衝撃データ コメ消費を減らしているのは「若者」ではなく意外な「世代」だった
「これまでは、ニューヨークでとんこつラーメン1杯が2500円すると聞いても他人事でしたが……。日本の物価がアメリカ並みにならないか戦々恐々としています」(同・40代の男性)
50代の自営業者も週末に家族3人で、いわゆる町中華の人気店で夕食をとることにしたが、やはり値段に驚いたそうだ。
「都内に数店舗ある小規模のチェーン店で、テーブルに置かれたタブレットで注文しました。小学生の子供にはチャーハン、私たち夫婦は生ビールに紹興酒、つまみに肉野菜炒めと白身魚の四川風煮込みをお願いしたのです。酒のお代わりをしようとタブレットを操作した際、何気なく注文履歴もチェックしました。すると9000円台の金額が表示されて目を疑いました。料理3品にビールと紹興酒ですから、6000円前後だろうと思い込んでいたのです。昔に比べて1・5倍くらい物価が上昇している印象です」
物価の上昇が止まらない。日本経済新聞(電子版)は3月23日、「日本、気がつけばG7首位のインフレ 『普通』の国に」との記事を配信し、XなどのSNSでは大きな反響が巻き起こっている。
何しろ2月の消費者物価総合指数は前年同月比でプラス3・7%だった。アメリカの2・8%、ドイツの2・3%、フランスの0・8%を上回り、G7で最高値を示したのだ。担当記者が言う。
「日本で物価上昇が始まったのは、2022年2月にロシア軍がウクライナに侵攻を始めたことがきっかけでした。エネルギーや小麦の価格が高騰し、世界各国が物資の獲得競争を始めたことが大きな影響を与えたのです。それから丸3年が経ち、インフレは激しさを増す一方であるにもかかわらず、賃金上昇は物価上昇に追いついていません。買い物や外食で請求金額に驚く人が増える道理ですし、生活苦に悩む人も相当な数に達しています」
ここで取り上げたいのが2016年の物価だ。2012年12月の衆院選で、野党だった自民党は「2%のインフレターゲット(物価上昇目標)を盛り込んだ協定を日銀と結ぶ」ことを重要公約の一つに掲げた。
自民党は選挙に勝利し、政権交代を成し遂げて安倍晋三氏が首相に就任。看板政策のアベノミクスで2%のインフレターゲットは「第一の矢」に位置づけられた。「物価上昇と賃金上昇の好循環」で景気を回復させ、「物価下落と賃金下落の悪循環」を生むデフレ経済からの脱却を図ったのだ。
総務省が発表する消費者物価指数は、価格の変動が激しい生鮮食品やエネルギーの価格を含むものと含まないものがある。インフレターゲットの目標には生鮮食品の価格を除く「総合指数」が使われることが多い。ところがアベノミクスが鳴り物入りで始まっても、なかなか物価は上がらなかった。
ネット上に公開されている資料「平成29年(2017年)平均消費者物価指数の動向」によると、生鮮食品を除く総合指数は2014年こそ2・6%増と目標の2%を超えたが、13年は0・4%、14年は0・5%の微増にとどまり、16年に至ってはマイナス0・3%と逆に下がってしまった。
「2016年の大きなニュースを振り返っておきましょう。4月に熊本地震、7月には神奈川県の『津久井やまゆり園』で19人が殺害される事件が発生しました。デフレ経済を象徴するニュースとしては1月、東京都足立区に1皿200円のカレー店がオープンしたことが挙げられます。カレー店は新潟県に本拠地があり、テイクアウト専門でコストを最小化するのが売りでした。NHKが夜のニュース番組で大きく報じたこともあり、1時間半待ちの大行列ができる騒ぎになったのです」(同・担当記者)
日銀が“白旗”を掲げたのも2016年だった。当時の黒田東彦総裁は11月の金融政策決定会合で2%のインフレターゲットを事実上、断念する考えを示した。
2016年の消費者物価指数を改めて振り返ってみると、原油や液化天然ガスの輸入価格が下がったことが大きな影響を与えたことが分かる。電気代はマイナス7・9%、ガソリンはマイナス12・3%、都市ガスはマイナス13・7%、灯油はマイナス22・3%……とエネルギー価格が軒並み下落した。
輸入価格を左右するドル円相場は年明け1ドル=120・6円から幕を開け、8月18日には99・7円まで円の価値は上昇。円が非常に強い時代だったことは明白だった。ちなみ今年3月25日現在、1ドル=150・5円と円安が鮮明になっている。
他に対前年比で物価の下落が著しかったものに、洗濯乾燥機(マイナス18・4%)、電気掃除機(マイナス17・4%)、照明器具(マイナス15・8%)などがあった。いわゆる白物家電の販売価格が下がっていたことが分かる。
「身近な外食費を2016年と現在で比較してみましょう。例えばマクドナルドのビッグマックです。16年は単品で370円でした。それが今では470円と約1・2倍の上昇です。サムライマックの『炙り醤油風 ダブル肉厚ビーフ』はMサイズのポテトとドリンクが付くバリューセットで850円。マックで1000円に手が届きそうな価格というのは、今でも信じられない人がいるのではないでしょうか」(同・記者)
CoCo壱番屋の値上げも大きな反響を呼んだことは記憶に新しい。2016年のポークカレーは11月まで442円、都心部の店舗でも463円だった。だが現在は646円で、こちらも約1・4倍の値上げ。公式サイトでグランドメニューを閲覧すると、ロースカツカレー998円や牛すじ煮込みカレー1132円など、1000円前後の商品が表示されることに驚かされる。
最後に小売物価統計調査を使って、おにぎりの価格を比べてみよう。最近、コンビニでおにぎりを買って「高くなった」と実感している人は多いに違いない。2016年7月、東京都23区でおにぎり1個の値段は117円だった。それが今年1月は164円に上昇している。こちらも1・4倍の上昇だ。
経済ジャーナリストの荻原博子さんは「今の物価上昇は果たしてインフレと見なしていいのかという根源的な疑問があります」と言う。
「物価は上昇しているにもかかわらず、賃金の上昇が追いついていないわけです。これを『スタグフレーション(景気停滞下のインフレ)』と分析する経済の専門家は多いでしょう。私も同じ考えではあります。ただ今回の物価上昇の原因が“戦争”という外的要因と、政府の無策という国内的要因にある点は重要です。国民の真っ当な経済活動で物価が上がったのならともかく、私たちとは無関係に物価が上がり、それが私たちの財布を直撃しているのです」
日銀の植田和男総裁は2月4日、衆院予算委員会で「現在はインフレの状態」と断言した。今年の消費者物価指数は、生鮮食品を除く総合指数で1月は3・2%、2月は3・0%となり、今後も3%台の物価上昇が続くと予想されている。アベノミクスで2・0%のインフレターゲットが達成できなかった時代を考えると、まさに隔世の感だ。
「生鮮食品を除いてもインフレで、これに食品の価格上昇も国民の生活を圧迫しているわけです。多くの人が物価高に悩まされているのは当然でしょう。問題なのはコメやガソリン代の高騰は政府が適切な施策を行えば価格を下げられる点です。食品なら消費税減税、ガソリンなら暫定税率を廃止すればいい。ガソリンなんて4割が税金です。ところが政府は物価高を放置し、なおかつ税金や社会保障費の負担は増やそうとしているわけです。こうなると今の生活苦は人災と言っていいでしょう。こうした背景を持つ物価高を、単純にインフレと表現していいのか疑問に感じてしまうわけです」(同・荻原さん)
政府は一体、どこで何を間違えてしまったのか──この問いに荻原さんは「産業と人に適切な投資をしなかった。これに尽きると思います」と指摘する。
「高度成長期ならソニーやホンダ、トヨタといった日本企業が世界的な大企業に飛躍しました。翻って2000年代、世界で存在感を示す新しい日本企業が誕生したでしょうか? アベノミクスは金融政策の“一本足打法”で、産業育成は充分ではなかったのです。何より人への投資が全く足りていません。今、収入が増えているのは高齢者、女性、若者に限られており、これは人手不足の反映に過ぎないのです。40代から50代の男性は収入が伸び悩んでおり、たとえ正社員であっても住宅ローンの支払い、教育費の高騰、物価高と逆風だらけで、経済的には非常に苦しい状況に追い詰められています」(同・荻原さん)
50代や40代と言えば、人口の多い団塊ジュニアと氷河期世代が含まれていることも見過ごせない。
「食料品とガソリンの価格を下げ、年収の壁は178万円まで引き上げて手取りを増やす。これが正しい政策であるにもかかわらず、石破政権は見送りました。その一方で日本では6年連続、税収が過去最高を更新しています。なぜ税収が増えたのか、それは私たちが納税したからです。私たちの生活は物価高で苦しいのですから税金を“還元”すべきなのに、政府はさらに税金と社会保障費を取ることしか考えていない。これでは将来に不安を覚える国民が増えるのは当然でしょう」(同・荻原さん)
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外食だけでなく、私たちが日常的に口にする生鮮食品にも“物価高”が影を落としている。関連記事【「スーパーのレシートを見て愕然…」キャベツは10年前の2・4倍に 専門家は「今後も物価の高止まりを覚悟したほうがいい」と警告】では、日本の物価が“高止まり”せざるを得ない理由について経済ジャーナリストの荻原智子さんが解説している。
デイリー新潮編集部