59歳になる夫、正幸さん(仮名)は胃癌のため逝こうとしていた――。
ご先祖様が建てたという長屋門をくぐった先にある母屋。8畳間の中央に設置された介護ベッドで最期の時を迎えようとしていた。
襖で繋がる奧の部屋では、一族の者たちが葬式の話し合いという名目で酒盛りをしていた。彼らは無遠慮にタバコを吸い、モクモクと煙があがっていた。
妻の幸子(仮名・55歳)さんは、夫の側に寄り添いたそうにしていたが、親戚や小姑たちが邪魔になって近寄れないでいた。
介護の主戦力は妻だが、一族内のヒエラルキーは最下層――。20年前の農村地帯での看取りの場面は、こんな感じのところも多かったが、令和のいまもまれに見かける。
私は、患者の臨終間際に本気で酔っている親戚どもを追い出したくてたまらなかった。
「あのーっ! すみませんが、酸素吸入器を使用しているので、危険だから煙草の火は消してもらえないでしょうか?」
渋々と灰皿で煙草をもみ消す者、喫煙をするために外にでる者、電子タバコだから大丈夫だと言って吸い続ける者…。臨終間際の空気が煙草に汚染されることはなくなったが、こちらの気持ちを全く理解してくれてはいない。
妻の気持ちを思うと、胸が痛んだ。訪問看護のメンバーも、おそらく同じ気持ちだったと思う。だから私は、正幸さんの胸に聴診器をあてて、どうしようもない彼らにこう言った。
「静かに診察をしたいので、こちら側の部屋は、奥様と私たちだけにしてください」
そんなルールはないが、最期の静けさを二人に与えたかった。
正幸さんはうわ言を何度も繰り返していた。雑音が消えて、やっと彼の声が私の耳にも届いた。
「離婚しよう。幸子」
幸子さんは彼の手を握り、夫に向かってこう言った。
「うん、ありがとう。離婚するね」
夫は笑みを浮かべたような気がした。そして1時間後、帰らぬ人となった。
幸子さんの目からぼろぼろと涙がこぼれだし、すがりつくように泣き出した。私たちは、しばらく襖を閉めたまま2人の時間を作った。
30分ほどして、幸子さんは涙を拭って顔を上げた。訪問看護師が彼女に寄り添うと、私は襖を開けた。親戚やらの一同は相変わらずやかましかった。
私は空々しく時計をみた。
「今、心肺の停止を確認しました。午前1時半、御永眠となりました」
「59歳は早かったわね」「さぞ悔しいだろう」。そんな言葉が飛び交っていたが、この中で、本当の涙を流しているのは幸子さんだけだったようにも感じる。
そして幸子さんは立ち上がると、親戚一同に向けてこう宣言した。
「本日限りで、離婚いたします」
なるほど、その手があったか!
最愛の妻を残して旅立つ正幸さんがひねり出した「謀計」の全容を聞いたとき、不謹慎だが私は、少し爽快な気分となった。幸子さんはそれにもとづいて、夫の臨終から約30分後に決断し、「実行」したのである。
つづく後編記事『妻が亡き夫の遺骨をスーツケースに入れて出て行った「まさかの理由」…病死の3ヵ月前、愛する妻を一族から守るために練った「夫の謀計」【看取り医のリポート】』では、最愛の妻を残して旅立つ夫の「謀計」の全容を、正幸さん、幸子さん、医療従事者の証言により明かす。
【つづきを読む】妻が亡き夫の遺骨をスーツケースに入れて出て行った「まさかの理由」…病死の3ヵ月前、愛する妻を一族から守るために練った「夫の謀計」【看取り医のリポート】