前後編の後編/前編を読む:【60歳男性の回想】バブル崩壊の勢いでプロポーズしたけど… 真実を知って「萎えた」モデル彼女の正体
半年前までメンタルを病み、「うつ」だったという三原好弘さん(60歳・仮名=以下同)。「気づいた時に行動すべきだった」と語る後悔が根底にあるようだ。東京下町に生まれ育った彼は、バブル崩壊のあおりを受け、両親が離婚。社会人だった彼が母親を引き取った。先行きに不安を感じ、交際していた乃理子さんという女性にプロポーズするも、実は会社役員の愛人をしていたと知り、気持ちは醒める。同棲はすることになったが、母は彼女の振る舞いに呆れ、家を出て行ってしまった。
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バブルが崩壊してしばらくたってから、企業はさまざまな「実害」をこうむっていく。好弘さんが勤めていた会社では、リストラが始まった。それだけではどうにもならなかったのか、他社との合併をすることになっていった。
「35歳くらいのときでしたか、僕もリストラ対象になってしまった。30代なら転職してもやっていけるだろうと言われました。このままここにいても追いやられるだけだろうと思ったので退職を決めました」
そんなとき母が病に倒れた。入院が長期間にわたり、出費もばかにならない。母は医療保険にも入っていなかった。
「入院しているとはいえ、母のめんどうも見なければならない。職探しが思うようにいかず、僕は気持ちが荒れていきました。そんな僕を見かねたのか、乃理子は優しくしてくれたけど八つ当たりをしては泣かせていた」
前職の上司が、「小さい会社で申し訳ないけど、社長がとにかくいい人だから」と紹介してくれた会社に転職した。収入は激減したが、それでも仕事があるだけありがたかった。上司が言うように社長は本当にいい人だった。
「社長の人柄に甘えて、母のことなどもよく愚痴を言いました。聞いてくれただけでなく、家に招いて食事をごちそうになったりもしましたね。自分のささくれだった気持ちがどんどん潤っていくのがわかるくらい助かりました」
社長にはひとり娘がいた。好弘さんと同い年だったが数年前に離婚、当時5歳になる娘とともに社長宅で暮らしていた。離婚原因は、今でいう夫のモラハラだったようだ。彼女も会社を手伝っていたため、毎日のように顔を合わせた。おおらかで冗談好き、社長である父親にも疑問があると正面からぶつかっていく。従業員と社長の間を常に取り持っているように見えた。
「彼女は梓さんというんですが、大学を出てからずっと家業を手伝っていたそうです。その後、3年ほど結婚していたものの離婚で戻ってきた。だから従業員とはもともと知った仲だし、従業員は彼女が戻ってきてよかったと言っていました」
その梓さんに、好弘さんは惹かれていく。同棲していることは社長にも言っていなかったから、彼は独身ということになっていた。再就職して1年ほどたったころ、社長が飲みに行こうと誘ってくれた。
「ふたりきりで外で飲むなんて初めてでした。クビになるのかと一瞬、ドキッとしましたが、社長は『安い給料しか出せないのに、本当によくやってくれてありがとう』と頭を下げたんですよ。こちらこそ拾ってもらえてうれしかったと率直に言いました。いろいろ話しましたが、社長は『もしダメなら断ってくれていいんだけど……』と、梓さんが僕に気があるようなことを言うんです。だからもらってやってくれないかと。梓さんの娘も僕には懐いていたので、それを見て社長は僕に打診しようと決意したそうで……。梓さんと結婚すれば、僕の身もとりあえずは安泰かもしれない。一瞬、そうも思いました。社長は返事を急がないし、結婚しなくてもきみの処遇は変わらないと約束すると言ってくれました」
だが、好弘さんも梓さんが好きだった。梓さんには妹がいるのだが、すでに結婚して家を出ている。ときどき遊びに来るのだが、「おねえちゃんと好弘さんが結婚してくれたらいいね」と言っていたとか。
「まずは梓さんの本心を聞きたいと思いました。周りから固められていたら、彼女がかわいそうですから。そこで梓さんを誘って食事に行ったんです。これまたふたりきりで外で会うのは初めて。どうやって話を切り出そうか考えていると、彼女は明るく、『ごめんね、おとうさんから聞いたでしょ。気が早いのよ、あの人。でも気が進まなかったら断って。私は断られてもあなたとならずっと友だちでいられそうだから』って。さばけてますよね。その言い方ですっかり気が楽になって、いや、僕も梓さんのことが気になっていたと正直に言うことができました」
話はトントン拍子に進んでいった。未来に希望がもてたことで、好弘さんは有頂天になっていた。ある日、乃理子さんに「ここを越すから、乃理子も出ていって」と伝えた。ごめん、オレ、人生を変えるんだと。
「どういうことなのとすがりついてくる乃理子に、希望の光が射してきたんだ、だから別々の人生を歩もうと軽く言ってしまった。乃理子はわけがわからないという顔をしていました。大事にしていた虎の子の100万円を乃理子に渡して、『これしかないけど』と言ったら、彼女は僕の顔をまじまじと見ていた。翌日遅くに帰宅したら、部屋はもぬけの殻でした。家電もかなり持っていかれていたけど、気にはならなかった。今思えば、ひどいことをしたと思っています」
自分のことしか考えていなかったと彼はつぶやいた。だが、彼もまた生きることに必死だったのだ。その後、すぐに彼は社長宅から歩いて数分のマンションに越した。そして梓さんと婚姻届を提出。会社を挙げてみんな喜んでくれたという。
「会社のために社長のためにがんばろうと思いました。38歳のとき、母が亡くなった翌月に息子が生まれました。母は孫を楽しみにしていたから、見せてあげられなかったのは残念だったけど」
母には内緒にしていたが、彼は社長の養子に入っていた。正直言って、母も長生きしていたらバレただろうから、あの時点で亡くなってよかったのかもしれないと彼は言った。
「それからは平和で楽しい生活が続きました。仕事は大変だったけど、みんなと一緒にがんばって、みんなと一緒に一喜一憂することがうれしかった。50歳直前で社長を継ぎました。僕が継いでからは、さらに仕事を広げて従業員を増やすこともできた」
4年前のことだ。好弘さんと同世代の女性が会社を訪ねてきた。深刻な様子にただならぬものを感じたため、近くの喫茶店で話を聞くことにした。
「僕が追い出した乃理子の友人でした。乃理子が病気で余命いくばくもないのだが、会ってやってもらえないかという話だった。『乃理子はずっとあなたのことを思いながら生きてきた。あなたと別れたとき、乃理子が妊娠していたことも知らなかったでしょう』と言われて、頭をいきなり殴られたような衝撃を受けました。言葉も出なかった。彼女が言うには、生まれた子は半年もたたないうちに突然死したそうです。それからの乃理子は見ていられなかった、と。いつか子どもと一緒にあなたに会いにいくつもりでいたんですよと言われました。『子どもと一緒に会いにいったら、あの人は冷たくはしないはず。だってもともとは優しい人だもの』と言っていたって……」
好弘さんはうつむいて、何かに耐えるように動かない。テーブルの上で握った拳が震えているようにも見えた。
「それなのに僕は乃理子に会いに行かなかった。来てくれた彼女には、近いうち連絡する、会いに行くと言ったのに……。怖かったんですよ、乃理子に会うのが」
それから数ヶ月後、再びその女性から連絡があった。もう時間がない、一目だけでも会ってやってと。遠方だった。しかもその時期、彼は大きな仕事を抱えていた。それでも乃理子さんに会わなければいけないと思った。
「昔の友人が病気だというから見舞いに行ってくると妻に言って、仕事に支障がないよう日曜日に日帰りで行きました。教えられた病院では女性が待っていてくれて、早く早くと急かされて病室に入りました。一目で、もう人生を終えるんだとわかった。乃理子の手を握り、呼びかけると、うっすら目を開けたように見えました。その目から大粒の涙がぼろっとこぼれ、口が少し開いて、今にも何か言いそうでした」
だが彼女が言葉を発することはなかった。彼が帰りの飛行機に搭乗しようとしたとき、女性から連絡があって、乃理子さんが亡くなったと告げられた。引き返してもらえませんかと言われたが、彼はそのまま飛行機に乗った。ずっと自分のことしか考えてこなかった、乃理子を犠牲にしたと痛感した。
「それから夢に乃理子が出てくるようになったんです。夢の中の乃理子は、いつも笑っている。そのたびに僕は胸を締めつけられるように苦しくなる。母の夢も見るようになりました。考えてみれば母を追い出し、乃理子も追い出して、僕は今の家族と地位を手に入れたわけで……。幸せな人生を手に入れたと思っていたけど、それは母や乃理子の犠牲のもとに成り立っていた。そして乃理子にばかり思いを寄せている今は、梓を裏切っているのかもしれない。そう思うと怖くなり、眠れない食べられないということになっていったんです」
乃理子さんのことは梓さんには話すことができなかった。日に日に憔悴し、ついには起きることもできなくなった彼を梓さんは心配し、病院に付き添ってくれた。
「うつ状態だと言われました。しばらく家で療養していたけど、いっこうによくならない。カウンセリングにもかかってすべて正直に話しましたが、気持ちの整理がつかない。そのうち、悩むことすらできなくなり、入院しました」
その間、梓さんが社長代行として会社を切り盛りしてくれたが、彼のようにいかないのは当然だ。だが妻は文句ひとつ言わなかったという。だからこそ罪悪感も募っていった。
「文句を言ってくれたほうが気が楽だったかもしれません。90代にさしかかっている義両親も、まだしっかりしていて助けてくれました。周りのおかげで、ようやく仕事に復帰できたのが半年前です。ただ、今でも乃理子のことは自分の中で終わっていないんです」
乃理子さんが話せるうちに会いに行くべきだった。文句や恨み言を受け止めるべきだった。あのときの彼女の涙は何だったのか、口を開いて今にも何か言いたそうだったが、その言葉はどういうものだったのか。考えても、知る術もない。彼はその後悔で、心が落ち着かないという。もう少したったら、連絡をくれた乃理子さんの友人にまた会い、墓参りをしたいと考えている。だが、それを乃理子さんが望んでいるかどうかはわからない。
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還暦を迎えても穏やかならざる心境で日々を送る好弘さん。いつしか自らを赦せる時はくるのだろうか……。乃理子さんとの出会い、プロポーズするも結婚に至らなかった彼女の秘密は【記事前編】で紹介している。
亀山早苗(かめやま・さなえ)フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。
デイリー新潮編集部