〈「でけぇ顔になった」ボコボコにした17歳少女を見て大笑い…「女子高生コンクリート詰め殺人事件」あまりにむごい犯行手口〉から続く
今も記憶にこびりつく最悪の少年犯罪「女子高生コンクリート詰め殺人事件」。犯行現場は、犯人の1人である16歳の少年の自宅。そこには彼の両親も住んでいたにもかかわらず、なぜ事件発覚が遅れたのか? 事件が露呈した理由とは? 新刊『映画になった恐怖の実話検戞陛歓夕辧砲茲螳貮抜粋してお届けする。(全4回の3回目/最初から読む)
【衝撃画像】顔はボコボコ、血まみれに…4人の不良たちに「コンクリ詰めにされた女子高生」の写真を見る
少年たちに課せられた罰は…。写真はイメージ getty
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家族も住む一戸建ての2階での犯行は、なぜ発覚しなかったのか。
まずCの父親は自身が入党している共産党の機関誌『赤旗』の配達や集金に忙しく家の事情には無関心。一方、母親は事態をわかっており、最初にJさんの存在に気づいた際、彼女を逃がそうとした。
が、その一件でCから1時間にわたって暴力を振るわれたため、以降は見て見ぬふりをする。また、Cの1つ上の兄は監禁の一部始終を目撃していたものの、彼自身もAらと親しい間柄だったためこれを黙認した。ただ、1998年12月初旬、Cの両親は一度だけ息子をまじえJさんと食事を共にしている。顔がひどく腫れ、何もしゃべらない彼女を見て、食事後、両親はJさんに帰宅を促し玄関から送り出した。が、すぐにCがJさんを追いかけ連れ戻す。すでに彼女自身も逃げる気力を失っていた。
ちなみに、近隣住民はCの家の2階の窓から出入りする少年たちを夜中に何度も目撃している。家族と顔を合わせないよう、脚立などを使い2階に上り、直接監禁部屋に入り込んでいたようだ。
住民はそんな姿を苦々しく感じていたものの、まさかそこで地獄絵図が展開されているとは夢にも思わず、通報する者は1人もいなかった。
こうして犯行がバレることなく悪夢の40日が過ぎた1989年1月4日早朝、Aは徹夜の賭け麻雀に大敗した後、Dの自宅に足を運ぶ。
そこにはBとCもおり、しばらくファミコンで遊んでいたが、麻雀に負けた鬱憤を晴らすため、Jさんをいたぶろうと考える。このころ、Aは彼女への暴行に飽き飽きしており、「ひさしぶりにやるか!」と口にしたそうだ。
同日午前8時ごろ、4人は前後してCの家に集まりJさんを徹底的に痛めつける。蝋燭に火をつけてロウを垂らして顔面をロウまみれにし、両まぶたの上に火のついた蝋燭を立てて爆笑。続けて、彼女が排泄用に使っていた飲料パックの尿を無理やりストローで飲ませたうえ、顔面に繰り返し回し蹴りを入れた。さらに、キックボクシングの練習器具の鉄製脚部(約1.74キロ)をゴルフスイングのような要領で数十回にわたって殴打した挙げ句、この器具を肩の高さからJさんの腹部めがけて二度三度と落下させる。
彼女はほとんど反応せず、されるがままだった。それが死を示していることを十分知りながら、4人は2時間にわたって絶え間なく暴行。結果、Jさんは重篤な状態に陥り、その日の22時ごろまでに亡くなる。
翌5日、A、B、Cが暴力団関係者の花屋にいたところ、Cの兄から「少女の様子がおかしい」との電話連絡が入った。慌ててCの自室に出向くと、そこにはすでに息をしていない彼女の姿が。
さすがに事の重大さを認識した3人は事件の発覚を恐れ、Jさんの遺体の投棄を決める。
その隠蔽工作も極めて残虐である。遺体を大型の旅行鞄に入れガムテープを巻きつけた後、Aのかつての仕事先から運搬用のトラックを借りてセメントをもらい受けた。次に近所に捨てられていたドラム缶をCの家の前まで運び、その中に鞄ごとJさんの遺体を投棄。その上からコンクリートを流し込み、さらにブロックや煉瓦がを入れて固定。ドラム缶に黒色ビニール製ごみ袋を被せてガムテープで密閉した。
この後、A、B、Cの3人はトラックで重さ300キロを超えるドラム缶を運び、当時、家電製品などの不法投棄が多かった江東区若洲の工事現場に投棄する。

元号が昭和から平成に変わる2日前のことだ。
被害者をなぶり殺しにした非人道的な犯行事件発覚のきっかけは偶然だった。1989年3月、警視庁綾瀬警察署は管内で起き未解決となっていた36歳の女性と7歳が殺害された事件を捜査していた。その参考人として同署に連行されたのがAとBである。警察は2件の婦女暴行と20件のひったくり容疑で2人を逮捕したのだが、真の狙いは母子の殺人。取り調べで刑事は「人を殺しちゃダメじゃないか」とかまをかけた。
と、Aが唐突に少女の遺体をドラム缶に詰め遺棄したことを供述。どうやら、AはBがすでに犯行を自供したものと思い込んでいたらしい。思わぬ告白を受け警察が捜索を開始したところ、供述どおり遺体の入れられたドラム缶が発見され、事件発覚。Cの自宅を家宅捜索したうえで、同月29日にC、Dと共にA、Bを拉致、監禁、強姦、暴行、殺人、死体遺棄の容疑で逮捕する(他に死体遺棄を手伝ったとしてCの兄と、猥褻容疑で少年2人が逮捕されたが不起訴処分に)。
4人はいずれも20歳未満の未成年(当時)で、当初、検察は彼らを東京家庭裁判所に送致したが、同家裁は事件の残虐さを鑑みて「刑事処分が相当」と判断し、東京地検に逆送致。結果、被疑者4人の罪は東京地裁で審理されることになる。
裁判は1989年7月31日から始まった。冒頭陳述で検察は、加害者少年らが監禁から約1ヶ月後の12月下旬頃から、少女の扱いに困り「コンクリート詰めにして海に捨てよう」などと話し合い、殺害後に江東区の埋立地に遺棄したと主張。対して弁護側は罪状認否において、Aが未必の故意による殺人を認めている一方、他の3人は殺意を否認し、傷害致死に留まると述べた。
判決公判は1990年7月20日。裁判長は「被害者をなぶり殺しにした非人道的な犯行で刑事責任は重いが、少年による集団犯罪の特殊性などを考慮すると、精神的に未熟な少年らが事態を打開できないまま、不幸な結末に陥った側面もある。拘置中、被告人らはそれぞれ人間性に目覚めた成長が著しいなどの情状も考慮すべきである」としたうえで、主犯格のAに懲役17年(両親が被害者遺族に5000万円の慰謝料を支払ったことも考慮された)、準主犯格のBに懲役5年以上10年以下の不定期刑、監禁場所に自室を提供したCに懲役4年以上6年以下の不定期刑、最も関与が薄いとされたDに懲役3年以上4年以下の不定期刑を言い渡した。
検察、弁護側ともに控訴した結果、東京高裁は一審判決を破棄しAに懲役20年、Cに懲役5年以上9年以下の不定期刑、Dに懲役5年以上10年以下の不定期刑を宣告(Bのみ一審判決を支持)。Dのみ最高裁に上告し、懲役5年以上7年以下の不定期刑で確定する。
犯行の残虐さからすれば、いずれも軽すぎる量刑に思えるが、これが性格の矯正や環境の調整に関する保護処分を行うことを定めた少年法で裁ける限界だった。
〈トイレに頭を突っ込み孤独死、人を殴ってまた逮捕…「女子高生コンクリ詰め殺人事件」社会に戻った【4人の不良少年たちのその後】〉へ続く
(鉄人ノンフィクション編集部/Webオリジナル(外部転載))