九州を拠点にタレント活動するえみりィーさんは39歳で「多発性骨髄腫(血液のがん)」と診断されました。当時子どもは2歳、6歳、14歳。不安を感じながらも、家族やママ友の力強いサポートにより、退院の日を迎えます。(全3回中の2回)
【写真】退院後に長男とお揃いの坊主頭で記念写真「目元がとてもゴージャスな」えみりィーさん ほか(全11枚)
── 39歳のとき、「多発性骨髄腫(血液のがん)」と診断されたえみりィーさん。3人のお子さんたちにはどのように伝えたのでしょうか。
えみりィーさん:夫と相談して、がんと診断を受けたその日に、子どもたちに伝えました。子どもは2歳、年長、中学2年生で下の子2人は理解できるかな、という懸念がありました。でも、骨が折れやすい病気で、2歳の子が飛びかかってきて骨折したら困るので、ちゃんと言っておかないといけませんでした。「お母さんはちょっと骨が折れやすいから、立って抱っこできないけど、座って抱っこするね」「ぽんって飛んできたら骨が折れて、また病院いかなきゃだから、そういうのはだめよ」と、伝えました。
年長の長女はすぐわかってくれました。いちばん上のお兄ちゃんは、ふつうに「そうなんだ」という感じでしたが、買い物には必ずついてきて重い荷物を持ったり、下の子の抱っこをいっぱいしてくれたりました。弟や妹をお風呂に入れたり、保育園の送迎までしてくれました。
── お兄ちゃん、頼りになりますね!自身の末梢血管細胞を採取し、がんを全部死滅させて健康な細胞を身体に戻す「自家移植」を行いました。1か月間入院したそうですが、留守宅の子どもたちについて不安はありませんでしたか?
えみりィーさん:母が来て、子どもたちをみてくれたので大丈夫でした。がんの診断を受けたのが2019年6月。自家移植は同年12月の予定でしたが、数値が安定しなくて、抗がん剤を変えたりしていたので、時期が少し延びて年明けになりました。治療は早いほうがよかったかもしれませんが、私たち家族にとってはこの延期はじつはよかったんです。長女の誕生日が11月で、お誕生日会に私も参加でき、クリスマス、年末年始を家族と過ごしてからの入院となりました。
── 入院前に、ご家族とゆっくり過ごせてよかったですね。入院中は、どのようにのりきったのですか?
えみりィーさん:無菌室に入ったので1か月間誰にも会えませんでした。だから、私の体調がいいときに、家族とテレビ電話をするのが本当に楽しみでした。最初は、年長の長女と交換ノートをしていたんですよ。でも「交換ノートだとママを思い出すから」って、1週間も続かなかったんじゃないかな。
── がんがわかってから、ご主人の様子はどうでしたか?
えみりィーさん:変わりましたね。夫はもともと家事育児には保守的な人で、抱っこひもをする男性を見ても、「俺はあんなことしない」というタイプでした。3人目が生まれて少しは変わりましたが、女性の荷物は持たない人だったんです。でも、病気になってからは荷物をすべて持ってくれるし、子どもを抱っこしてくれるようにもなりました。さらに、率先して洗濯物を干すなど、すごく助かってます。
── 大病によって家族の意識や行動が変わったのはありがたいですね。ご家族以外にも闘病を知らせましたか?
えみりィーさん:子どもたちのことが心配だったので、影響が出やすい学校などでサポートしてもらえればと考え、中学校や保育園の先生には早めにお話しして、いろんな方に助けてもらいました。長男は部活で剣道をしていたのですが、顧問の先生が肝っ玉かあちゃんみたいな方で「学校のことは気にしなくていいから、治療に専念してね」と言ってくださり、ありがたかったです。
でも、一度その先生から「長男が学校ですごく寂しそうな目をしている」と言われたことがありました。そういうことも知らせてもらえてありがたかったですね。仲のいいママ友にも闘病を知らせました。
── ママ友はどんな反応でしたか?こんなことをしてもらってうれしかった、という例があれば教えてください。
えみりィーさん:「子どものことは気にせずに、治療に専念して」と言ってくれたのはうれしかったです。長男が弟妹たちを保育園に連れていく姿を隠し撮りして(笑)、私のスマホへ送ってくれたり、「今日も、長男くんが保育園に迎えに来てたよ」とメッセージをくれたり。「今日はうちで子どもたちを預かって遊んでます」と、ふだんの様子を報告してくれたり、「今日はご飯多めに作ったから置いとくね」という何げないサポートもうれしいものでした。
── ママ友、心強いですね。実際には、どんなふうに声をかけたらいいか迷う人もいると思います。
えみりィーさん:がんだと知らせて、より仲よくなった人と離れた人がいます。たしかに仲のいい友だちががんになったら、どんな言葉をかければいいか難しくて、「大丈夫だよ」と言っていいのか、「頑張れ」なのか、わからないですものね。一時的に距離をおいたママ友は、「ごめんね、あのときはなんて言ってあげればいいかわからなくて」と、あとで胸の内を話してくれました。
── 周囲もとまどっていたのですね。1か月の自家移植入院から、自宅に戻ったときのことを教えてください。
えみりィーさん:平日の昼間に退院したので、子どもたちはまだ家に帰ってきていませんでした。当時は抗がん剤により脱毛が進んで、中途半端に毛が残っている状態でした。脱毛には個人差があって、あまり抜けない人もいるそうですが、私は落ち武者みたいな感じだったので、子どもたちが帰宅する前に思いきって夫にバリカンで丸坊主にしてもらいました。
── ご主人はどんな様子で、えみりィーさんを丸坊主に?
えみりィーさん:びっくりして「え、俺がやるの!?」という感じでした。でも、長男が剣道部なので、夫がいつもバリカンで丸坊主にしており、慣れていました。心の中ではいろいろ考えたとは思いますが、また生えてくるわけですから、楽しそうに、はしゃぎながら刈ってくれましたよ。
── ご主人、かなり前向きですね!
えみりィーさん:無菌室で髪が抜け始めたときに、誰かに泣きすがりたかったけど誰もいなかったので、とりあえず夫に電話したんです。「やっぱり抜けちゃったよ~」と言ったら、夫が「お前は抜けても生えてくるけど、俺たちは抜けたらもう生えてこない!」って言ってくれて、ちょっと励まされたんですよね。自分の頭の形を見るのもなかなかない経験で、新鮮でしたよ。
── 丸坊主のえみりィーさんを見た子どもたちは?
えみりィーさん:帰宅した子どもたちとは、ウィッグをつけて会いました。入院中はニット帽をかぶっていたので、子どもたちは私の髪が抜けたことを知らなかったんです。子どもたちが「ただいまー!」と走り寄ってきて、「こうなったよ!」とウィッグをはずしたら、年長の女の子は「ママじゃない!」って、泣いちゃいました。2歳の子は頭が取れたと思って、どこかを探し始めて「ない、ない!」って(笑)。でも、「これは強いお薬で髪が抜けちゃったけど、強い薬を使ったから家に帰ってこられたんだよ」と説明したらわかってくれました。長男と同じ坊主頭になることもなかなかないので、2人で写真を撮りました。
── 2人とも、きれいな坊主頭ですね!入院中や退院直後の写真のえみりィーさんは、眉毛がりりしく、目元がゴージャスです。
えみりィーさん:抗がん剤を使っても、眉毛とまつ毛は抜けなかったんですよ。腕の毛や鼻毛は全部抜けたんですが、個人差があるそうです。入院前にまつ毛エクステをしたのがそのまま残りました。
── 入院中もオシャレをしていたんですね。楽しみにしていたウィッグですが、いくつくらいお持ちでしたか?
えみりィーさん:知り合いから2個もらって、全部で6個です。外巻き、みつあみセット、前髪パッツン、生え際カラー、明るめ茶髪、パーマなど、いろいろです。私は医療用にこだわらず、安いおしゃれウィッグをいっぱい買って、そのときしか楽しめない明るめカラーやロングやボブなど、都度つけ変えていました。 1年間くらいはウィッグをつけてテレビ出演していましたが、テレビをご覧の方は私がウィッグだと気づかなかったと思います。
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闘病中の家族や周囲の変化を明かしてくれたえみりィーさん。「がんになってよかったとは思わないけど、感謝はしている」と、病気を患ったことで自身の考え方にも変化が生まれたことを教えてくれました。
PROFILE えみりィーさん
熊本県・福岡県を中心に活躍するタレントで、3人の子どもを育てるママ。2019年6月に「多発性骨髄腫(血液のがん)」と診断を受け、翌年1月に自家末梢血幹細胞移植。出身地・芦北町の「あしきた親善大使」としても活動中。え
取材・文/岡本聡子 写真提供/えみりィー