空が青く澄み渡った2月中旬のある朝、多くの人々が職場へと向かっていた。寒風が吹くなか、一日の業務内容を頭に思い浮かべながら、ある者はまっすぐ前を見つめ、ある者は少しうつむき加減に足を運んでいる。
そんななか、この日の空のようにさわやかな笑顔を見せられていたのが佳子さまだった。リュック、ブーツ、パンツ、そしてカジュアルなコートが佳子さまのお仕事スタイルのようだ。
側衛官と呼ばれている女性の皇宮護衛官と親しく言葉を交わし、ときに笑い合われる。
佳子さまは、出勤するのが楽しくて仕方がないというように「全日本ろうあ連盟」が入るビルへ、さっそうと歩かれていた。
皇室担当記者はこう語る。
「佳子さまが就職されたのは、4年前の’21年5月でした。2月末からインターンシップで、全日本ろうあ連盟の事務などを体験。5月6日付で非常勤嘱託職員として就職されました。当時宮内庁は“週3日ほど有給で勤務されるが、当面は新型コロナウイルス感染拡大のため、テレワークで従事される”などと発表したのです」
しかし、コロナ禍が収束してからも、佳子さまの勤務実態は謎に包まれていた。
「“はたして本当に勤められているのか?”と、首をかしげる宮内庁職員までいました。
昨年夏まで同連盟が入っていたビルの関係者も、“佳子さまをお見かけしたことはありません”と証言していたのです。
ご通勤姿が報じられたのは、’24年7月4日に発売された写真週刊誌『FRIDAY』による一度きり。しかしその後も、通勤されているご様子は目撃されなかったのです」(前出・皇室担当記者)
■愛子さまのご通勤に触発されたという佳子さま
だが本誌の取材によれば、佳子さまは現在、週に1~2回、連盟の事務所に出勤され、朝から夕方まで働いていらっしゃるのだ。
ご就職以来、ずっとテレワーク専門でいらしたという佳子さま。“30歳の働き方改革”の理由について、宮内庁関係者は次のように語った。
「理由の一つは、全日本ろうあ連盟の本部事務所の移転だと思います。もともと事務所が入っていたビルは築50年ほどで書類が雑然と積まれているような“昭和のオフィス”といった雰囲気で、佳子さまの警護を担当する側衛官が待機できるようなスペースもなかったようです。
それが昨年7月に本部事務所が移転し、スペースも広く、新しくなりました。警護面でも条件が整ったのです」
そして、もう一つの理由は愛子さまの影響ではないかという。
「愛子さまは昨年4月に日本赤十字社に就職され、ご公務や祭祀などのおつとめがない日は、ほぼ毎日通勤されています。
日赤を選んだ理由について、愛子さまは文書で“社会に直接的に貢献できる日赤の活動に魅力を感じ”と、つづられているのです。その高いお志と、はつらつとした日々のご様子に、佳子さまも“私も愛ちゃんのように”と、触発されたのでしょう」(前出・宮内庁関係者)
いまや“皇室の顔”ともなりつつある二人のプリンセスの絆は強まり続けている。2月14日には、いっしょに「鴨場接待」に臨まれた。
前出の皇室担当記者が続ける。
「愛子さまと佳子さまは、千葉県市川市にある宮内庁の『新浜鴨場』で、鴨猟により外交団を接待されました。お二方は、12カ国の大使ら一人ひとりに英語であいさつし、握手を交わされたのです。
映像で見るとなごやかな雰囲気ですが、鴨の捕獲・放鳥・昼食会と、4時間ほどの所要時間のほとんどを、各国大使と英語でコミュニケーションをとることになるので、ご公務のなかでも、かなりハードな部類に入ります。捕獲の際は鴨の糞がかかる恐れもあり、長靴や帽子だけではなく、コートを羽織ることも多いのです」
だが当日は、愛子さまがグリーンのジャケットにブーツ、佳子さまはワインレッドのジャケットにブーツといった装いだった。
「愛子さまと佳子さまで天候などを鑑み、相談されていたのでしょう。お二方は、SMS(ショートメッセージサービス)などを使い、日ごろから連絡を取り合われているそうです。
今回は愛子さまの鴨場デビューということで話題を集めましたが、直前まで今期の開催が危ぶまれていました」
もともとお二人による外交団接待は昨年11月19日に予定されていたが、三笠宮妃百合子さまの薨去を受け、中止となったのだ。
「皇室による外交団の鴨場接待は、11月から遅くとも1月までに行われており、2月に開催された例はほとんどないのです。そのため宮内庁内でも、愛子さまと佳子さまの鴨場接待が復活するにしても、来期になるのではないかといわれていました。
さらに千葉県の鴨の猟期は2月15日までで、まさにギリギリの実施でした。極めて異例のことと関係者も受け止めていますが、今回の外交団接待の実施は天皇陛下の強い思し召しがあったからにほかなりません。さらに雅子さまも開催を強く望まれていたようなのです。両陛下は愛子さまと佳子さまがいっしょに活躍されることで、若い世代の皇室への関心を高めたいとお考えなのでしょう」
昨年11月5日、文化勲章受章者と文化功労者を招いた宮中茶会が開催されたが、愛子さまと佳子さまはペアになって懇談された。
「会話に間があくと、すかさずもう一人が会話をつながれるなど、絶妙なコンビネーションでいらしたのです。両陛下は愛子さまと佳子さまのお二方が協力し合うことによって、皇室の新しい可能性の扉が開かれることを期待されているのだと思います」
■デフリンピックも大きな目標に
佳子さまが快活なご表情で、全日本ろうあ連盟に通われているのも、そうした両陛下からのご期待を感じられているからなのだろうか。一時期の佳子さまは、“皇室を離れること”を願い続けられていたという。前出の宮内庁関係者は言う。
「皇室に生まれたご自身の境遇を“籠の鳥”同然とお考えになっていたそうです。紀子さまと口論になり、“私とお姉ちゃんは生まれたときからここしか知らないのよ”とおっしゃったとも一部で報じられています。
しかし最近の佳子さまは、ご公務や祭祀にも非常に積極的で、お顔も輝いており、後ろ向きな思いを抱かれているようには、まったく見えません」
今年11月には「東京2025デフリンピック」が開催される。“ろう者のためのオリンピック”とも呼ばれているスポーツ大会で、開催に向け、全日本ろうあ連盟も活況を呈しているという。
「佳子さまもデフリンピックのご準備に、かなりの労力を割かれていると聞いています。職場では同僚たちとの語らいもあり、また仕事による新しい出会いも新鮮に感じられているのだと思います。
愛子さまに触発されて出勤されているうちに、一人の女性として働く喜びを見いだし、“自分は籠の鳥にすぎない”というお気持ちを払拭されたのではないでしょうか」(前出・宮内庁関係者)
鴨場の放鳥では鴨を優しく放たれていた佳子さま。懸命に羽ばたいていく鳥とご自身とを重ね合わせていらしたのだろうか。