「モラハラ」をしてしまうのは男性だけではない。九州在住の荻原道子さん(仮名・30代)は、高校時代から10年以上一緒にいる温厚な夫に対して結婚前から不機嫌な態度をとり続け、時にはキレて暴言を吐いてしまうこともあった。ほかにも様々な要因が重なって、荻原さんと夫の関係は後戻りができないところまでこじれてしまったという。
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この記事はノンフィクションライター・旦木瑞穂さんの取材による、荻原さんの「トラウマ」体験と、それを克服するまでについてのインタビューだ。
旦木さんは、自著『毒母は連鎖する 子どもを「所有物扱い」する母親たち』(光文社新書)などの取材をするうちに「虐待やハラスメントなどが起こる背景に、加害者の過去のトラウマが影響しているのでは」と気づいたという。
親から負の影響を受けて育ち、自らも加害者となってしまう「トラウマの連鎖」こそが、現代を生きる人々の「生きづらさ」の大きな要因のひとつではないか。ここではそんな仮説のもと、荻原さんの幼少期と結婚生活に迫る。(全3回の1回目/続きを読む)
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「もううんざりなんだよ!」
高校1年生の頃から10年以上一緒にいた夫が、初めて荻原さんに怒鳴った。
約2年前に購入した新築一戸建てのリビングのおもちゃスペースで、1人で機嫌よく遊んでいた1歳半の息子が、夫の大声にびっくりして泣き出す。
「毎日毎日毎日疑って! いつからか、お前にキスやハグを強要される度に蕁麻疹が出るようになったんだ! もう終わりだ! 離婚しよう!」
我に返った荻原さんは慌てて土下座して謝るが、もう夫には届かない。「無理無理無理……」と首を振りながら繰り返すだけ。
その夜、荻原さんは、息子を連れて母親の家に行くことにした。
荻原さんが夫の堪忍袋の緒を切れさせた原因は、荻原さんの生まれ育った家庭環境にも関係があったのかもしれない。
九州地方在住の荻原道子さん(30代)は、銀行マンの32歳の父親、パートで働いていた26歳の母親の元に、次女として生まれた。2歳上には姉がおり、両親は父方の祖父母と同居していた。
「銀行マンだった父は私たちを溺愛していましたが、祖母が母をいびるため、私が物心ついた時には、父と祖父母は1階、母と私たちは2階で生活する『家庭内別居状態』になっていました」
異様な家庭環境だ。荻原さんが小学校低学年の頃までは、家族全員の食事の支度は母親がして、顔を合わせないようにそれぞれ時間をずらし、別々に食べていたという。だが、作った料理を祖母がゴミ箱に捨てていることに気づいてからは、母親は娘たちの分しか用意をしなくなり、父親や祖父母の分は祖母が作るようになった。
1階にしかキッチンや風呂はないため、食事のみならず入浴も、お互いがかち合わないように生活していたという。娘たちは家の中を自由に行き来し、父親や祖父母と話すこともあったが、母親と父親、母親と祖父母は全くと言っていいほど会話がなかった。ただ、月に1度、父親が母親に生活費を渡す瞬間だけ、両親は顔を合わせていたようだ。荻原さんは、物心ついた頃から結婚して実家を出るまでの間に、両親が激しく言い争いをして、父親が母親に馬乗りになっているところを2~3回目撃しているという。
画像はイメージ AFLO
「母はよく『マザコン』だとか『気持ち悪い』など、父の悪口を言っていました。おそらくそれを聞いた父がカッとなって喧嘩になったのだと思います。今思うと、母から父の悪口を聞かされて育ったため、私は男の人を下に見るようになったのかなと考えています。父から母の悪口を聞いたことはありませんでした」
両親と姉との家族4人で出かけた最後の記憶は、小学校2年生の時に遊園地に行き、「楽しかった」というものだった。
両親がいがみ合っていては、せっかくの遊園地も楽しめないはずだが、この時は違った。このことから想像するに、荻原さんの両親はおそらく、父方の祖父母と同居しなければ、家庭内別居などという異様な家庭に陥らずに済んだのではないだろうか。
父親は荻原さんが小学校中学年の頃、銀行を辞め、実家の農家を継いでいる。このことが父親と祖父母との結びつきを一層強め、母親との確執を深めていく。
「祖母が母をいじめており、さらに母だけでなく私や姉の悪口を書いたノートを見つけてしまったため、私は祖父母とは距離を置いていました。なので、祖父母との良い思い出はありません。父は学校への送り迎えをしてくれたりお小遣いをくれたりして、溺愛と言っていいほど可愛がってくれました」
荻原さんは、自分の家庭がおかしいとは思わずに育ったという。
「自分の家が他の家と違うことに気づいたのは、高校生になった頃くらいでしょうか。それまでは全く気にしていませんでした。姉とも、『お母さんって怒りっぽいね』とか、『お父さんって不機嫌になるとドア閉める音がうるさいよね』とか、話してもその程度だったと思います」
高校に進学した荻原さんは、16歳の時にクラスメイトの男性から告白されたことをきっかけに交際を始める。
交際は高校3年間続き、卒業後、荻原さんは卸売業の会社の事務に、彼は製造系の会社の工場に勤務が決まる。
「思えば、付き合い始めて2年目くらいから、私は気に入らないことがあるとすぐに不機嫌を撒き散らしていました。彼からの『服に毛玉がついてるよ?』というちょっとした指摘さえ受け入れられず、すぐにムスッとしてしまい、彼から謝られるまで不機嫌な態度をとり続けました」
高校卒業から5年後、結婚を前提とした同棲をスタートすると、それはますますひどくなった。
「私が作った料理に調味料を足されたり、『今日のお化粧変じゃない?』なんてデリカシーのないことを言われたら、キレて暴言を吐いたりしていました。休日、彼が趣味の野球やフットサルをしに行くたびに怒っていましたし、帰宅時間が0時を超えた時は30分ごとにLINEを入れました。怒りに任せて泣き喚き、玄関に彼の服を全部投げ捨てたこともあります。抱きしめてほしくて暴れたり、追ってきてほしくて家を飛び出したりしたことも何度もあります」
その度に彼は荻原さんをなだめ、謝り、抱きしめた。
同棲から1ヶ月経たないうちに彼からプロポーズし、2人は23歳で結婚。
荻原さんが同棲のために実家を出るとき、母親が一緒に家を出たことで始まった両親の別居は、約1年後、離婚という形で終わりを迎える。父親55歳、母親49歳だった。
母親が「バージンロードは絶対にお父さんと歩かせない」と言うため、荻原さんは父親には父親としてではなく、いち親族として結婚式への参列をお願いしたが、父親は結婚式に来なかった。
その約3年後、荻原さん夫婦は新築一戸建てを購入し、不妊治療を経て男の子を出産。幸せの絶頂を迎えていた。
出産から半年ほど経った2017年の5月頃、友だちから耳を疑うような情報を入手する。その友だちの友だちが、荻原さんの夫らしき男性が、年上の女性と一緒にラブホテルから出てきたのを目撃したという情報だった。
それを聞いた瞬間、荻原さんは目の前が真っ白になった。
「『信じたくない』と思いながら家に帰り、その日の夜、帰宅した夫に『あの日のあの時間、本当に仕事だったの?』と聞いてみたところ、夫はいつもの優しい感じで、『そうだよ』と答えました」
ところがそれからというもの、荻原さんは夫の帰宅時間が遅くなる度に不倫を疑い、問いただしてしまう。勝手に夫のスマホを見たり、仕事用の鞄を漁ってシフト表を探したり、帰宅した夫の匂いを執拗に嗅いだりしては、不審な点があれば泣きながら責める。その度に夫はなだめ、謝り、抱きしめた。
「あるとき夫の頭に10円ハゲができているのに気づいたのですが、『仕事が忙しいからだね~』と私が言ったら、『嫁が怖いからだよ~』と返され、カチンときた私は、『私が怖い? これで怖いとか何?』と夫を責めてしまいました。今思えば、夫の微かな抵抗だったのかなと思います」
徐々に夫は「残業」と言って帰宅が遅くなる日が増えていき、その度に荻原さんはヒステリックに夫を疑い、罵った。
さらに、荻原さんが不安定になるのと比例するように、荻原さんの身の回りで不審な出来事が起こるようになっていく。
玄関のドアに「あなたの旦那さんは不倫をしていますよ」と書かれた紙が貼られていたり、家の庭や駐車場などの敷地内に、夫が持っているものと同じキャップやサングラスが置かれていたりするようになったのだ。
「貼り紙があった時には凄く怖くなって、夫が仕事から帰ってきた後に一緒に警察に行きました。夫は『誰がこんなことをやったんだろう?』と不思議がっていましたし、警察にも『心当たりはない』と話していました」
そうして“ラブホテル目撃情報”から約1年が経った5月、ついに夫の堪忍袋の緒が切れたのだった。
〈「もううんざりなんだよ!」モラハラを繰り返す妻と不倫相手に癒しを求めた夫…10年を一緒に過ごした夫婦が決定的にこじれるまで〉へ続く
(旦木 瑞穂)