悠一さんの遺影の前で手を合わせる松本さん。「悠一にひどいことをしてしまった。生きてさえいてくれればよかったのに」と思わない日はないという(筆者撮影)
2024年9月、最高裁判所である母親の訴えが退けられた。20年以上、ひきこもりの状態にあった長男を、問題解決をうたう民間業者の施設に入居させた松本わか子さん(仮名、85歳)。2年後、息子は熊本県内のアパートで独り亡くなっているのが見つかった。「大切に育てた子がなんでこんな惨めな死に方をしたのか」。ただそれだけを知りたいと、業者の元職員らを相手取り、裁判を起こしたが、願いはかなわなかった。
「息子さんが亡くなりました」
2019年4月のある朝、松本さんは民間施設「あけぼのばし自立研修センター」(以下、あけぼのばし)の職員の男からの電話で、長男悠一さん(仮名、死亡時48)の死を知らされた。施設からは親子が連絡を取ることを厳しく禁じられていた。一方で悠一さんは熊本の介護施設で働き始めたとも伝え聞いていた。いったいなぜ。しかし、松本さんが何を聞いても、職員の男の話は要領を得なかったという。
首都圏に住んでいた松本さんはすぐに熊本に飛んだ。警察の遺体安置所で対面した悠一さんは目をカッと見開き、ほほはこけ、ひげも長く伸び、触れた脚は驚くほどやせ細っていた。息子の面影はどこにもない。長年看護師として働いてきた松本さんが「あんなに苦しそうな顔の遺体は見たことない」と言うほど、その表情は苦悶に満ちていた。後日、検視を行った医師を訪ねたところ「餓死の可能性が高い」との旨の説明をされたという。
職員からは「家賃の引き落としが滞ったのでアパートに行ったところ遺体を見つけた」と説明された。死後約2週間が経っていた。その間、職員は誰一人悠一さんの異変に気がづかなかったというのか。松本さんの中で不信感が募った。
松本さんは、悠一さんが住んでいたアパートも訪ねた。ごみ袋にはカップラーメンの空き容器。冷蔵庫はからっぽだった。天井を見上げると、ぼろぼろの下着が数枚干されていた。部屋にあった離職票を見て、半年以上も前に仕事を辞めていたことを初めて知った。再びひきこもり状態となり、食べ物を買うお金も、助けを求める気力も尽きたのか――。
悠一さんの遺骨とともに帰宅した松本さんのもとにあけぼのばしから“遺品”として小さなスーツケースが送られてきた。しかし、松本さんが用意したのは、亡くなった夫が海外出張のときに愛用していた特大のスーツケース。そこに下着や新しいスーツ、気に入っていたコートなどをぎゅうぎゅうに詰めて持たせたはずだ。しかし、それらの品も夫の形見も戻ってこないまま。誰のものかもわからないスーツケースだけが残された。
パンフレットには「365日24時間サポート」「就職・自立成功率 6ケ月までに95%」とも書かれていた。それを信じて、松本さんは総額約1300万円の“研修費用”を支払った。高額さに驚いたが、「元気な悠一にもう一度会える」と思うと惜しくなかった。お金は自宅を売って工面した。それなのになぜ、悠一さんは死ななければならなかったのか。
「就職・自立成功率 6ケ月までに95%」などと書かれたあけぼのばしのパンフレット。長年、孤独や社会の偏見に悩み続けた、ひきこもりの子どもを持つ親はこうしたうたい文句にいちるの望みを託す(筆者撮影)
松本さんによると、悠一さんはおとなしく、優しい子どもだった。いじめや不登校の兆しも一度もなかった。友人にも恵まれ、高校時代の同級生たちは今も松本さんのもとを訪ねてくれる。高校卒業後は海上自衛隊に入隊。船上での集団生活にもなじみ、休暇で戻ってくるたびに体つきがたくましくなっていったという。
異変は自衛隊を退職後に勤めた会社で起きた。勤続5年が過ぎたころ、悠一さんは突然出社を渋るようになる。ある日、欠勤したと思ったら、その翌日には退職。松本さんは後に周囲から、息子が新しい上司からパワハラを受けていたようだと聞いた。そしてこのときは、これが長いひきこもりの始まりになるとは、みじんも想像していなかった。
一方でひきこもりといっても、悠一さんは自室に閉じこもることはなく、家族とも会話し、家事なども手伝っていたという。ただ前歯が抜け落ちても病院に行こうとしないなど、外部とのかかわりをかたくなに拒んだ。
この間、松本さんは夫とともに保健所や自治体の窓口、ひきこもりの子どもを持つ親の集まりなどに何度も足を運んだ。しかし、そのたびに「精神的な疾患はみられない」「無理に仕事をしろと言わないように」などと言われるだけ。焦りと孤独感がおりのようにたまっていく。気が付くと20年が過ぎていた。
そして夫の病死。松本さんの中で将来の不安が一気に現実味を帯びた。そんなとき、インターネットであけぼのばしの広告を見つける。松本さんはさっそく東京・新宿の事務所に出向く。2017年1月のことだ。
手渡されたパンフレットには、共同生活やカウンセリングなどを経て1人暮らしや就労につなげるというカリキュラムが掲載されていた。そこで職員から言われた「行政は何もしてくれなかったでしょう。彼らにはノウハウがないから」という言葉が、藁にもすがる思いだった松本さんにとって、契約を決心させる決定打となった。
それからほどなくしてあけぼのばしの職員5人が自宅にやってきた。悠一さんを連れ出すためだ。施設入居のことは悟られないようにと、事前に強く指示されていた。職員が2階の悠一さんの部屋に入ってから約30分後。悠一さんが階段を降りてきた。職員の1人から、説得の途中で泣き出したと教えられた。玄関で「がんばってこいな」と声をかけたが、悠一さんは下を向いたまま。部屋の窓から、施設の車両に乗り込む背中を見ると松本さんもまた涙があふれた。そしてそれが最後に見た息子の生前の姿となった。
入居後は毎月悠一さんが書いたという日誌のコピーが送られてきた。ハローワークに通い始めた様子がうかがえる一方で「警備の仕事がダメになってしまい、涙が止まらなかったです」「気持ちが焦っています」といった記載もあった。松本さんは心配で頻繁に施設に電話をかけたが、職員から「お母さんは過保護すぎる。がんばっている悠一くんに失礼だ」ときつく叱責されてしまう。以降は電話も控えるようにしたという。
松本さんには忘れがたい出来事がある。あるとき職員が「経過報告」として携帯動画を見せてきた。そこにはその職員が悠一さんに対し「お母さんは900万円も出しているんだから、悠一くんもがんばれ」と“説教”している様子が映っていた。松本さんは「なぜお金の話なんてするんですか!」と抗議したが、職員はきょとんとした様子。松本さんは「悠一がこれ以上家族に迷惑をかけられないと誤解してしまう」と懸念したのだ。それでも仕事探しを始めたことは“成果”にも見えた。契約を打ち切る決断まではできなかった。
そして入居から半年後、職員から「悠一くんが熊本にある研修施設に行くことを希望している」という連絡を受ける。しかも出発は翌日だという。松本さんは悩んだ末に契約期間を2018年2月までに延長し、追加費用として約385万円を振り込んだ。
あけぼのばし自立研修センターとはどのような民間施設なのか。
あけぼのばしは、ひきこもりの子どもを持つ親などと契約を結び、当事者を自宅から連れ出し施設や寮に入居させる「引き出し屋」と呼ばれる民間施設。クリアアンサー株式会社(2019年12月に破産)が開設、運営していた。
引き出し屋の中には悪質業者も少なくない。その特徴は)塾呂篦校間の説得など、本人の意思に反した自宅からの連れ出し∋抉臚睛討妨合わない高額な費用親の精神的、経済的な焦りに付けこむぐ柩佑帽發ぬ簑蟆魴萠┐魴任欧覘ソ⊃Τ萋阿篏∀を強制する――など。にもかかわらず、一部のテレビ局はこうした引き出し屋を、問題解決の救世主であるかのように報じた。こうした番組を見て契約を決めた親も多かったのではないか。
悪質業者がはびこる背景には、増え続けるひきこもりの問題がある。内閣府は2019年、中高年(40~64歳)のひきこもり状態の人は全国に61万3000人いるとの推計値を発表した。続く2023年には、子ども・若年層(15~39歳)と中高年を合わせたひきこもりは推計146万人にのぼると公表。いずれの層でも増加傾向にあるといい、高齢の親が、ひきこもりが長期化し中高年となった子どもの生活を支える「8050問題」が深刻化している現実を裏付けた。
私は2010年代後半から、親が契約した引き出し屋に強引に入居させられ、逃げ出すなどしてきた当事者の取材を続けてきた。「知らない男たちが突然部屋に入ってきて、両手足を持たれた宙づり状態で自室から車に運ばれた」「従わないと“精神病院”に入れると脅された。実際に入院させられておむつを付けた状態で拘束された」「携帯電話や所持金を取り上げられた。部屋の窓も開かないなど事実上の軟禁状態だった」「研修という名目で業者の関連会社で最低賃金以下で働かされた」など被害の実態はさまざまだった。
2015年以降は被害者の一部が引き出し屋を相手取り、損害賠償を求める裁判を起こし始めた。私の取材では、このうちあけぼのばし関連の訴訟は2件。その結果、賠償が認められるケースも相次いだ。
松本さんのことに話を戻そう。熊本から戻った松本さんも裁判を起こすと決めた。あけぼのばしはすでに破産していたので、被告は元職員の男2人と、あけぼのばしの提携先である熊本の業者など。あけぼのばし側には「社会的な生活能力や心身が弱まっている悠一さんの生命身体の安全を確保する注意義務があった」などとして、2021年1月、約5000万円の損害賠償を求めて東京地方裁判所に提訴した。
取材の中で、松本さんが提訴後に書いたというメモを見せてくれた。そこには「命日は生きた証であり、人の尊げんです。それをないがしろにされる程悠一の命は軽かったのか」という内容が書かれていた。息子はなぜ命日すらわからない死に方をしたのか。その理由を知りたい。松本さんはその一心で法廷に通い続けた。
「命日は生きた証であり 人の尊げんです」。裁判を進める中で松本さんが書いたメモ。死後2週間経って見つかった悠一さんは命日すらわからない(筆者撮影)
しかし、結果は東京地裁、高裁、最高裁ともに松本さんの敗訴。地裁判決は、被告側が履行すべき債務は悠一さんの自立を目指した指導、支援であり「自活能力を得る結果が求められているとは解されない」などと判断。悠一さんの状況についても「身体的にも精神的にも健康不安はなく、生活の基盤を確保し、収入を得て自活することができ(中略)継続的な支援が必要であったとみることは困難」とした。
一方で裁判では、職員らが作成した「報告書」が被告側から提出された。これにより、職員の筆を通した形ではあったが、悠一さんの暮らしの一端を知ることができた。警備や介護、新聞配達、林業、農業、酪農、ごみ収集――。報告書の中の悠一さんは、何かに追い立てられるようにして仕事を探しているようにもみえた。果たしてこれは本当に本人の意思だったのか。
また、報告書からは、悠一さんは面接が決まれば喜ぶが、不採用になると激しく落ち込むといった様子もうかがえた。メンタルの過度なアップダウンは危険信号のはずだ。職員に対して「もう本当に死ぬことしか考えられない状態」「ここ数日あまり眠れない」などと話すこともあった。こうした報告書が明らかになってもなお判決では「(悠一さんは)心身ともに健康不安はない」とみなされた。
また、被告側は書面を通し「(悠一さんは)家族を嫌っていた」「母は過干渉と言っていた」といった旨の主張を展開。もともと問題のある家庭だったと印象付ける狙いがあったのかもしれないが、息子を亡くした母親にここまで言う必要があるのか。私が、裁判のせいでつらい思いをしたのではないか? と尋ねると、松本さんは「悠一が私を恨むのは当然だと思いますよ。いっそ恨んでくれたほうがいいんです」と言った。そしてこう付け加えた。「でもね、母親が嫌いなんて、悠一の本心じゃないってことも、私にはわかるんです」。
私が松本さんと初めて会ったのは2019年11月。提訴に備え、熊本の研修施設やアパート、就労先を訪ねる調査に同行したときのことだった。古い木造2階建てのアパートに着いたのは夕方。刻一刻と夕闇が深まる中、悠一さんが住んでいた部屋の扉の前で立ちすくみ、肩を震わせていた松本さんの背中を、私は忘れることができない。
悠一さんが餓死状態で見つかったアパートの部屋の前で、手を合わせたり、ハンカチで目頭を押さえたりする松本さん。いつまでも動こうとしない背中が細かく震えていた。2019年11月、熊本(筆者撮影)
今インターネットで検索すると、あからさまに引き出し屋とわかる広告は少なくなりつつある印象を受けた。松本さんをはじめ声を上げた人たちのおかげなのか。しかし、8050問題は何も解決していない。ひきこもりは恥ずかしいこと、本人の弱さや甘えが原因という偏見がなくならない限り、いずれ同じような“商売”は復活するのではないか。
松本さんは裁判で闘ったことに後悔はないという。「やるだけやることが供養になるから」。来年はひきもりをテーマにした映画の製作に協力するのだという。悠一さんに償い続けること。それが、松本さんの生きる意味になっている。
(藤田 和恵 : ジャーナリスト)