おせち料理は「好きなものがない」「おいしくない」という意見がある一方で、年に1度の習慣を楽しんでいる人も(写真:よっちゃん必撮仕事人/PIXTA)
1週間前に知人の編集者と食事した際、「まだ年賀状は書いてる?」と尋ねられました。「2年前にやめました」と返事したら、「自分はまだ出したほうがいいと思っていて」と意見が分かれたのです。
その後、2人の会話は「じゃあ、お歳暮はあげてる?」、さらに「帰省はする?」「おせち料理は食べる?」「初詣は行く?」「お年玉は賛成?」と広がりました。年末年始の風習についてひと通り話したのですが、その多くが異なる見解だったのです。
ちなみに筆者と編集者は好きな料理、ドラマ、スポーツなどが似ているなど気が合うだけに驚いてしまったのですが、「年末年始の風習はそれくらい過渡期なのかもしれない」と感じ、急ぎアンケートを行おうと思いました。
緊急アンケートのため、対象は都内在住の成人男女100人(新宿区、渋谷区、豊島区、中野区、杉並区、世田谷区、目黒区の20~50代で回答は対面とメール)。
質問内容は「年賀状、お歳暮、帰省、おせち料理、初詣、お年玉の“必要”or“不要”とその理由」。調査人数と地域が限定的なので参考データ程度のアンケートではありますが、年末年始の風習についてこれをベースにそれぞれの現在地点を考えていきます。
まず“年賀状”のアンケート結果は、100人中「必要」が9人、「不要」が91人と予想以上の大差がつきました。
「不要」の理由で最も多かったのは、「周りの人も出さなくなったから」「今さら紙に書いて送ろうとは思わない」「送ると相手の負担になりそうでやめた」などの送り合うという行為への疑問。
送ることが相手への心理的なプレッシャーになりかねないうえに、「年賀状よりLINEで伝えたほうがいい」などとコスパやタイパなどの理由からネットツールを利用しているようです。
気になったのは「新年のあいさつそのものをしていない」という声がいくつかあったこと。「明けましておめでとうございます」という言葉を友人・知人の間だけでなくビジネス上の関係性でも使わない人が少しずつ増えているのかもしれません。
一方、「必要」の理由であがったのは、「年賀状のみでつながっている人がいる」という長年にわたるやり取りと、「年に1度くらいメールではなく手紙のやり取りをしたいと思う」などの“あえて手間をかける”ことの楽しさ。さらに「自分のためにわざわざ書いてくれるのはうれしいこと」という人もいました。
すでに年賀状は、その風習を楽しめる人同士のものになりつつありますが、まだ「やめたいけどやめられない」という難しさを感じている人も少なくないのでしょう。
「スマホアプリやSNSのアカウントは知っていても電話番号を知らない」という関係性が増える中、住所を知らないのは当たり前。個人情報保護やトラブル回避の観点からも、今後はより親密な関係のみの風習に限定されていきそうです。
次に“お歳暮”のアンケート結果は、100人中「必要」が13人、「不要」が87人でした。
「不要」の理由で多かったのは、「今は年末に物を送るという時代ではないと思う」「今はよほどのお得意様でない限り、かえって迷惑だと思う」などと時代の変化をあげる声。
次に多かったのは「あげたことも、もらったこともない」「誰に何を送るのかすら知らない」などで、特に20~30代は風習そのものを理解していない人が多いのではないでしょうか。
また、ネットショッピングが普及して「配送で送る、受け取る」という行為が日常になり、年末の特別感が薄れたこと。あまりほしくないものが届くなど効率の悪さを感じること。「取引先に物を送る」という接待行為を減らす企業が以前より増えたことなどの理由もあるのでしょう。
一方、「必要」の主な理由は、「毎年の習慣」「会社の立場的にやめづらい」とシンプル。さらに「コロナ禍以降、飲食の接待が減ったからこれくらいはやろうという会社の方針」という声もありました。
続いて“帰省”のアンケート結果は、100人中「必要」が32人、「不要」が68人。
「不要」の理由で目立ったのは、「単純に行きたくないから」「心身とお金の両方で負担が大きい」という強めの拒絶反応でした。
距離的に遠く時間がかかる、費用が高い、年末年始は寒い、混雑しているなどのネガティブな事情が多いうえに、「せっかくの長期休暇をのんびり過ごすためには配偶者の実家は避けたい」という人もいるのでしょう。
いずれにしても帰省自粛が相次いだコロナ禍を経たからか、かつてのような「それでも行かなければいけない」という圧力のようなムードは薄れた感があります。
夫婦それぞれが自分の実家に向かうセパレート帰省、実家で過ごしたあと別の施設で宿泊するホテル帰省、故郷に近い温泉などに集まるリゾート帰省、時期をずらした後倒し帰省などもあり、風習自体が時代に合わせて多様化しているのでしょう。
一方、「やっぱり必要」という人には、「自分の実家へ行って楽をしたい」「できるうちに親孝行しておきたい」「子どもが喜ぶから」などの明確な目的がありました。他の風習に比べてメリット・デメリットがはっきりしているだけに、形が変わり、多様化しても、帰省そのものは国民的な風習として続いていくのでしょう。
“おせち料理”のアンケート結果は、100人中「必要」が7人、「不要」が93人でした。
「不要」と答えた人が多かったわけですが、その大半を「以前からほとんど食べていない」という声が占めました。
ただそれ以外でも、「好きなものがない」「おいしくない」「高い」「実家を出て食べなくなった」「子どもたちも食べない」「お年寄りのものだと思う」などの厳しい言葉がズラリ。食文化が多様化し、飲食サービスが充実化したことで、すでによほど好きな人でないと食べないものなのかもしれません。
一方、「必要」という人は、ほぼ全員が「子どものころから食べているから」「食べないと正月という感じがしない」などと長年の習慣をあげました。さらに「自分で作るのが楽しい」「正月だけなので買いたくなる」などと年に1度の習慣を楽しんでいる人もいて、少数派ながら存在意義が感じられます。
おせち料理はその販売価格の高さから、プチ富裕層向けの食ビジネスに切り替わった感があり、過渡期を乗り越えて安定した状況に入ったのかもしれません。
ちなみに「不要」と答えた何人かに年越しそばについて尋ねると、ほぼ全員が「必要」と答えました。そば店やスーパーなどでの販売状況を見ても年末の習慣として盤石であり、関係者が本気になれば、より収益化を高めるビジネス展開も考えられそうです。
“初詣”のアンケート結果は、100人中「必要」が66人、「不要」が34人でした。
今回あげた6つの中で最も「必要」の割合が高く、「正月に初詣はつきもの」「当然のことで行かない選択肢はない」「家族の恒例行事だから」などと具体的な理由があがらないほど、習慣が染みついている様子が伝わってきます。
安全や開運の祈願、お守りや破魔矢の購入と返納、おみくじや絵馬、参道の露店など、目的が多岐にわたることもあり、家族、カップル、友人同士の正月イベントとして若年層にも浸透しているのでしょう。
一方、「不要」の理由で多かったのは、「混雑が苦手」「行列に並ぶなら後日でいい」などでした。これらは昭和時代から初詣に行かない人の最たる理由だったことだけに、初詣にかかわるビジネスへの影響はなさそうです。
唯一、気になったのは、「境内でSNSやYouTube用の動画を撮っている人が増えたのがストレス」「盗撮されてネットにさらされたことがある」などの不穏な声。SNSへの写真だけでなくライブ配信なども含め、マナー違反を訴える声があり、年始最大の習慣に若干の影を落としている感があります。
(写真:zak/PIXTA)
最後に“お年玉”のアンケート結果は、100人中「必要」が37人、「不要」が63人でした。
今回はお年玉をあげる側の大人向けアンケートだったからか、「不要」が多数派を占めましたが、その理由はさまざま。中でも「子どもがいないウチには不公平」「ふだんほとんど会わない親戚へのお年玉はムダ」「惰性であげているだけ」などと悪しき習慣とみなす人が増えた感があります。
また、都会の親子で目立つのが「お金は必要なときにあげる」という考え方。「ただ正月というだけであげる・もらう」のではなく、「ほしいものがあるときや頑張ったごほうびとしてあげる・もらう」という親子が増えているのでしょう。
実際、筆者の周囲にも「子どもが『お年玉はいらない』と言っている」という親が何人かいますが、これは裏を返せば「日ごろある程度の頻度でお金をあげている」ということでしょう。昭和・平成の時代ほど、お年玉に執着しない子どもたちが増えているのかもしれません。
一方、「必要」と答えた人は、「お金の使い方や貯め方を教えるいい機会」「キャッシュレスの時代だから正月はお札であげたい」などのポジティブな理由があがりました。今後もこの考え方は残り続けそうですし、そのまま、お年玉という習慣が続く理由にもなりそうです。
ここまであげてきた6つのアンケート結果を「必要」が少ない順に並べていくと、最少がおせち料理(必要7%・不要93%)で、次に年賀状(必要9%・不要91%)、お歳暮(必要13%・不要87%)で、この3つはすでに「日本人のスタンダードとは言いづらい」ところがありそうです。
ビジネスの視点から見ていくと、おせち料理はプチ富裕層向けにシフトした感がある一方、年賀状とお歳暮は、ほぼ打つ手がない苦境が継続中。令和の価値観やツールに合う商品を作って電子マネーで払ってもらい、稼いでいくなどの新たな策が求められています。
その点、帰省(必要32%・不要68%)、お年玉(必要37%・不要63%)の2つは半分以下であるものの、「必要」の理由がはっきりしていますし、少なくとも数年間は年末年始の風習として残るのではないでしょうか。
そして初詣(必要66%・不要34%)に関しては、今なお年末年始における最大の習慣と言ってよさそうです。
今回はここ1週間で集めた限定的なアンケートをベースにしましたが、風習のほとんどを「不要」とみなす人がいたように、かつてより「年末年始という時期への特別感が薄れた」という人が多いのかもしれません。
これは風習に限った話ではなく、テレビ番組でも年末年始限定の特番は「NHK紅白歌合戦」などのごくわずかに減り、レギュラー番組の特番が多くを占めるようになりました。
「年末年始でも特別なことはせず、自分の好きなものを自分らしく楽しむ」という人が増えたのでしょう。
逆説的に言えば、だからこそ、この時期ならではの風習を楽しもうとするのか。それとも、楽しもうとしないのか。この先もその個人差はさらに広がり、「多くの人がかかわる国民的な風習というより、一部の人々が楽しむ伝統的な風習として残っていくものが多いのだろう」と思わせられたのです。
(木村 隆志 : コラムニスト、人間関係コンサルタント、テレビ解説者)