出産は誰にとっても喜ばしいもので、子どもは周囲から歓迎されて産まれてくる――。そんな人生が広がるように社会が構築されることが望ましいが、一方でそれは、現実からかけ離れた絵空事でもある。出産、育児の喜び以上に不安を大きく感じる人は殊のほか多い。
「あの当時は、絶えず『死にたい』と考えていました。夜間に2,3時間、街中をウロウロして、川に飛び込もうと思ったことも1度や2度ではありません。医師から妊娠を告げられたときは、『いつまでなら堕ろせますか?』と返答して絶句させてしまいました」
現在、東京都江戸川区にあるNPO法人らいおんはーと(https://npo-lh.com/)のスタッフとして運営の中枢を担う佐藤すずみさん(40代)は、産前産後の自身の様子をそう振り返る。
NPO法人らいおんはーとは、全国でも珍しい365日開放の子ども食堂「ぬくぬく」を運営することで知られる。このほか、同法人の及川信之理事長がPTA会長を5年務めた経験から、区内小中学校、行政との連携、不登校支援や学習支援、進学支援など、地域の子どもに関する総合的な支援を行っている。
「もともとは舞台女優を目指していた」という佐藤さんの20代は輝かしい。結婚後、”ヤクルトレディ”としてデビューすると、セールスは東京首位を誇った。その後、フリーランスの実演販売士として活躍。イベントMCなどの司会業もこなした。そんな彼女が前述の通り「死にたい」と思い詰めるまでに、何があったのか。
「土日祝日に仕事の多い私と、サラリーマンでほぼカレンダー通りの結婚相手とは、徐々にすれ違っていきました。子どもを望み、不妊治療を試みたこともありましたが、残念ながら奏効しませんでした。結局、9年ほどの結婚生活に終止符を打つことにしたんです。
そのあと交際した男性がいて、比較的短い期間で同棲に至りました。今にして思えば、当時の私は仕事の悩みや離婚のストレスが重なって、躁状態だったのかもしれません。その男性と結婚するものだと信じていました」
だが生活をともにしてみると、ほころびが見え始めた。
「事業を営んでいる方だったのですが、家のなかは常に事業に使う荷物でごった返していて、整理整頓がまるでできない人です。仕事柄、安定した収入もなく、貯金もできていないようでした」
将来の見えない彼との関係性を終わりにしようと考えた矢先、佐藤さんは自分の妊娠を知った。
「あれほど妊娠を望んで不妊治療までしたのに、まさかこのタイミングで……というのが正直なところでした。経済的に安定しないのはもちろんですが、子育てにおいても、彼とは合わないことは明白でした。たとえば、産まれてくる子どものためのベビーベッドについて相談した際は、『赤ん坊なんて最初のうちは動かないから、段ボールに寝かせておけば良くない?』と返答がきて、びっくりしました。ほかにも、臨月になってから飛行機で旅行へいこうと提案してきたり、価値観がまるで合わないんです」
結局、突然「この口座にお金を振り込んでおいて」と無心されたことがきっかけとなり、佐藤さんは夜逃げ同然で同棲を解消した。
「今振り返ると、交際当初は明るかった私がどんどん暗くなり、雰囲気が悪くなっていったことに、彼自身も辟易していたかもしれません。当時はそうしたことに思いを馳せられず、お互いを思いやることもできませんでした。
正直、同棲解消後も、お腹の子どものことを考える余裕はありませんでした。仕事も辞めていたので、これまでの貯蓄を切り崩しながら、実家の支援を受けて暮らす毎日です。『死にたい』『消えたい』という思考をぐるぐる繰り返して、でもお腹に生命があるから踏みとどまるような、ギリギリの精神状態でした」
『「出生届を出したら飛び降りて死ぬ」…「予期せぬ妊娠」で絶望していた40代女性が「スッピン、部屋着」のまま向かった先』へ続く
「出生届を出したら飛び降りて死ぬ」…「予期せぬ妊娠」で絶望していた40代女性が「スッピン、部屋着」のまま向かった先