日本は治安がよくて平穏に暮らしやすい、とよく言われるが、最近は「治安が悪くなった」と感じる人も多いだろう。刑法犯認知件数をみると、2023年は70万3,351件と、戦後最少となった2021年から2年連続して増加(前年比17%増加)を記録しているのだ(警察庁調べ)。現在、言われている「治安の悪化」の大きな特徴は、高齢者や子供など、社会的に弱い人たちが標的とされていることではないだろうか。ライターの宮添優氏が、注意喚起もあって報道が続く闇バイト強盗のニュースによって、高齢者の日常が揺るがされ、彼らを支える周囲の人たちが混乱させられている現実をレポートする。
【写真】闇バイトの啓発チラシ
* * *「10年くらい前にリフォーム詐欺に騙され、それ以降は色々と注意していたようですが、最近、自宅から近いところに相次いで強盗が入ったことや、警察官や銀行員のニュースを見たからか様子がおかしいのです」
こう話すのは千葉県船橋市在住の税理士の男性(50代)。最近、自宅から車で20分ほどの所に住む母親(80代)が、相次ぐ闇バイト強盗のニュースを見たこと、さらに船橋市内で3件、近隣市でも数件の闇バイト強盗(未遂含む)が発生したことから、毎日、朝昼晩と電話をかけてきては「今怪しい人が家の前を通った」「みんなが私を狙っている」などと訴えて男性を困らせていた。最近はその変貌ぶりに拍車がかかっていると嘆く。
「年寄りが警察官から金を取られたり、証券会社の担当者に金を取られ家に火をつけられたりしているでしょう? 実は母も銀行や証券会社と付き合いがあったのですが、あれ以来、全てシャットアウトしているようで、慌てた担当者から相談されたりもしています」(税理士の男性)
男性税理士の母が恐怖で怯えるようになったきっかけとなった事件は、確かに大きく報道された。顔見知りの住人を騙し、住人のキャッシュカードを勝手に使って金を引き下ろしたのは神奈川県警の現役警察官で、野村證券の元社員は、食事をするほど懇意の顧客宅から金を奪うだけでなく、自宅に火までつけた。さらに、三菱UFJ銀行では貸金庫から顧客の金品が消える事案も発生。行員の犯行ではないか、といった報道も出ている。
この三者はいわば、高齢者にとっては正義の味方だった存在だ。警察官は言うまでもないが、 男性税理士の母は、亡き夫が残した資産の運用などについて証券会社の担当者に任せきりで信頼していたし、貸金庫を利用している最寄りの地方銀行支店とも懇意だった。もちろん、報じられた事件は自分に起きたことではない。だが、その職で働く人たちは頼れる人々だと思って生きてきただけに、それまで信頼していた三者に裏切られたような気持ちになり、疑心暗鬼に陥っているのだ。
「週に2回、病院でリハビリを受けているのですが、担当の先生や介護士の方にまで”私のものに触るな”とか”私の個人情報を顧客データから消せ”と怒鳴るそうです。まさか、世間を騒がせているニュースのおかげで、うちが影響を受けるとは予想もしていませんでした。でも、それだけ社会が不安になっているのかもしれません」(税理士の男性)
かつて闇バイト強盗の被害に遭う被害者というのは、主に比較的裕福な人であり、そうした資産情報が反社会的な組織などに漏れていたから被害に遭ったというパターンが多かった。そのため「強盗」で狙われるのはやはり金持ちである、というイメージも根強かった。しかし最近では、金持ちだから狙われたと思えない事例が増えている。
今般の闇バイト強盗報道では、被害宅が豪邸ではなく庶民的な外観だったり、強盗に入られた被害者が暴行を受けたが奪われた額が現金数万円だった、という例もあった。そういったニュースを毎日のように眺めていると、富裕層でない一般的な高齢者の間にも「うちも強盗にやられる」などと不安が募るのだろう。
千葉県在住の会社員女性(40代)は、闇バイト強盗の報道ばかりを見ていた埼玉県内に住む母親が、一歩も家を出なくなってしまったことに頭を悩ませている。
「高齢の父と母が埼玉の実家で暮らしていますが、闇バイトの強盗が怖いと言って昼間から雨戸を締め切って、インターホンは電池まで抜いて使えなくしました。固定電話も契約を解除しており、無理を言って携帯を持たせていますので、なんとか連絡は取れますが、自治会の会長さんから”何かあったのか”と電話が来るほど、外には全く出なくなってしまった」(会社員女性)
女性の元にも、毎日のように「闇バイト強盗が怖い」という母親からの電話がかかってきていたという。
「強盗が怖い、というので、うち(実家)にはお金がないから大丈夫だよと冗談を言っていたのですが、泣き出しちゃうんですよ、この怖さがわからないのかって。昔はこんな弱気じゃなかったし、私の前で泣くことなんてなかったんです。同居の父も、ママがおかしくなったと落ち込んでいます。2人とも外出が極端に減って、高齢者ですから健康への影響も不安です」(会社員女性)
闇バイトによる強盗事件だけではなく、警官や証券会社社員、銀行員までもが加担する強盗事件、窃盗事件が増加する日本。とある警察官は例の事件後「巡回の時に嫌味を言われた」と話し、またある証券会社員は「顧客と密に連絡を取りすぎると逆に疑われる」と嘆き、今後の営業活動はかなり制限されるようだとうなだれた。
身近なところで増えたように感じられる強盗事件に詐欺事件、さらには「信用される存在」だった人々が引き起こす事件の影響で、日本社会、特に高齢者の平穏だった生活が脅かされている。当事者ではない若年層、中年層には響かないかもしれない。だが、高齢者が感じている恐怖は見過ごしてよいものではない。社会的に弱い立場の人たちが平穏に過ごせない社会には必ず、根本的に解決しなければならない歪みが生じているものだ。現状を我々が見過ごすと、次に狙われるのは、次に高齢者になる我々であり、その時に怖ろしいと嘆いても遅いのだ。