11月16日、101歳で薨去された三笠宮妃百合子さまの納棺にあたる「お舟入り」とお別れの儀式「拝訣」が行われ、皇族方が参列された。
しかし「ヒゲの殿下」として親しまれた三笠宮家の長男・故寛仁親王の妻である信子さまの姿はなかった。
「百合子さまの孫で喪主を務める彬子さまが、実の母親の参列を拒否されたのでしょう。実は彬子さまと妹の瑶子さまの姉妹は信子さまとずっと険悪で、顔を合わせても口を利かないそうです」(皇室担当記者)
2004年ごろにはすでに宮邸を出て、ご家族と別居状態だった信子さま。2012年に寛仁親王ががんで亡くなったときも表にはほとんど出ず、彬子さまが喪主を務められた。
「彬子さまからすれば、闘病中だった父親を半ば見捨てたかのような信子さまを許しがたいのでしょう。寛仁親王が亡くなる直前も信子さまの面会を断り、勝手に出入りできないよう宮邸の鍵を替えたこともありました。
これから誰が三笠宮家を継承するのか話し合いが行われるでしょうが、母と娘の関係がここまでこじれていると円満にまとまるとは思えません」(宮内庁関係者)
本来なら信子さまが継承するはずだが、激しい「跡目争い」が勃発してもおかしくない。はたして、百合子さまの遺志はどうだったのか。
「週刊現代」2024年11月30日号より
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