粗にして野だが、卑ではない――。そんな太古のヤンキーは絶滅してしまい、いまやバイクどころか強盗や詐欺などの犯罪に走っている始末。実は、彼らの凶行の背後には、恐るべき「後ろ盾」の存在があった。令和のヤンキー事情を本誌記者の現場取材から紐解いていこう。
「川崎で一番のワル?大翔しかいないよ。話を聞きたいなら繋げられる」
深夜1時の神奈川県川崎市幸区。川崎駅から約3km離れた公園で、たむろしていた若者たちに「知り合いで一番のワルを紹介してくれないか」と聞いてみたところ、一人の名前が挙がった。松山大翔。中学を卒業したばかりの15歳だという。
「いま、銀柳街(川崎駅前の歓楽街)の居酒屋で飲んでるらしいから、そこに行けば会えるよ」
おそるおそる現地へ向かうと、ちょうど店から大翔が出てきた。身長は160cm後半で長身ではないが、服の上から判別できるほど、身体がぶ厚い筋肉で覆われていることがわかる。そして何より、拳がデカい。
「近くに馴染みのカラオケバーがあるんで、そこで軽く話しましょうか」
小学校1年生のころから酒浸りだという大翔は、落ち着いた口調でそう話すと、本誌記者を店まで連れて行ってくれた――。
最近、全国各地で10代の不良に関する事件が頻発している。9月に神奈川県相模原市では「ストリートエンジェル」のリーダーら26人が暴走行為で捕まった。10月には東京都練馬区で「練馬喧嘩會」のメンバー4人が強盗致傷で逮捕。埼玉県さいたま市では、不良グループの少年ら6人が金属バットなどを準備するなどして、凶器準備集合の疑いで逮捕されている。
昔から「ヤンキー」は存在していた。ただ、令和のヤンキーは昭和時代と比べて明確な違いがある。それは彼らの背後に「大人」がいることだ。
かつては10代で不良は卒業し、20代は手に職をつけるというのがヤンキーの王道だった。だが現在の10代は、外国人労働者の参入などで、働こうにも仕事が少ない。
「そんな少年たちに目をつけたのが半グレです。2000年代に生まれた犯罪集団ですが、いまや40~50代の人間もいる。彼らが少年たちを使って犯罪行為をやらせるという事件も頻発しています」(半グレ取材を続けるノンフィクションライターの竹輪次郎氏)
そんな令和ヤンキーならではの事情は、川崎イチのワル・大翔の話からも垣間見えてくる。
大翔は店の個室にあるソファにゆっくりと腰を下ろすと、滔々と自らの経歴について語り始めた。
「自分は小3から学校のアタマ(リーダー)張ってて、他校の生意気なヤツに因縁つけてはヤキ入れてました。中1のときに高校生の不良とケンカして、鼻と歯をバキバキに折ったことがあったんだけど、その一件で川崎では知られるようになったんじゃないかな。中3になったときには『川崎ナンバーワン』と言われるようになりましたね」
本人曰く、ケンカは200戦超無敗。いまや、街ですれ違う大翔の同世代は「おつかれさまです」と頭を下げるという。
バイクは中2のときから改造車を乗り回すほど大好きで、いまは友人たちと作ったチームで「アタマ」を張っている。
「川崎にいる多くの暴走族は『川崎宮軍団』っていう組織が取りまとめていて、横浜や横須賀あたりまで幅を利かせていますが、上下関係が苦手な自分は入りませんでした。
ダンプ屋の社長をしている親父が若い時分に『虎魂龍勢』というチームでトップだったので、それに憧れて自分のチームを『龍勢會』と名づけました」
だが、同世代から恐れられる大翔ですら、「ケツモチ」はいるという。ケツモチとは、いわゆる後ろ盾のことで、かつてはヤクザ、現在は半グレであることが多い。
実は、川崎の暴走族にはいずれもケツモチがおり、彼らに厳しく管理・統制されている。大翔はこう続ける。
「このあたりでケツを持ってない子がヤンチャ(危険走行)してたら、止められて『ケツどこ?』って聞かれますよ。すぐ答えられないとカツアゲされてバイクを没収された挙げ句、別の暴走族に吸収されてしまいます」
他の若者にも話を聞くべく、川崎市内を散策してみた。次に声をかけたのは、産業道路沿いのコンビニで休憩していた17歳の少年だ。そばにはロケットカウルを装着したホンダの旧車バイク(VT250F)がある。ドカジャンにツバのついた半帽(半キャップ)を被った彼の身なりは、その昔の暴走族そのものだ。
バイクの写真を撮ろうとすると「ヤメてくれ」と断られた。ただ、端正な顔つきで目つきはそれほどグレていない。近くに仲間もいないので「バイクかっこいいね」と声をかけてみた。
「バイクは先輩からのお下がりで安く買ったものだ。元々が不動車(事故や故障により動かなくなった車)だったので、エンジンを乗せ替えてナンバーを取得し、走れるように整備してもらった。整備をしてくれたのも先輩の仲間。月に三万円の代金はまだ支払っている途中。任意保険は加入してない」
彼の住まいは川崎郊外。バツイチの母親と義理の父親と同居しているという。義理の親父からは蹴られたり、殴られることが日常茶飯事だ。中学時代から不登校で、15歳のときに喧嘩し、商店街の十数軒の店のガラスをバットで割ったことで、鑑別所送りになったという。
二ヶ月間、鑑別所で過ごしたあとは家を出て、保護司との連絡や面会もバックれていた。ただ、自宅に警察官が探しに来て母親が騒ぎ立てたので帰宅。こうして今に至る。
「いまは先輩の経営している土木会社で働いている。まだ未成年なので大きな現場ではなく、近場の手伝いが多いかな。一輪車でガラ運んで捨てたり、掃除や誘導などが主な業務。まだ社員ではないが、もう少し現場経験を積んだら正社員になってユンボの資格など色々と取りたい。資格がないと何もできない。
自分のいる会社は小さいところで保険なども何もない。怪我をしたらおしまい。解体が儲かると聞くので、本当は別の先輩が働く解体屋で仕事したいけど、社長に詰められるので辞められない。
この街では不動産屋にラーメン屋、居酒屋、風俗店、自動車屋、保険屋、タクシーなどすべての業界で誰かが繋がっている。たいていはヤクザが仕切っている。独立して生活するには何かの技術がないと厳しいんだ。
ただ、川崎にも良い面はあるよ。生きていくには困らない。裏切らなければ、必ず誰かが助けてくれる。仲間や先輩は必ずいるし、女にも困らない。だけど、ここで子供作って育てていくことは想像できない。俺がどこで何をしているか、誰とつるんでいるのかなど全部バレているからね」
場所を移して東京でも、背後に大人がいるという構図は変わらない。
前述した「練馬喧嘩會」について取材するため練馬に向かったところ、深夜の川越街道を改造車で走っている若者を多く見かけた。街道沿いにあるドン・キホーテを散策していると、10代の関係者たちに話を聞くことができた。
「ネリケン(練馬喧嘩會)は有名ですよ。5年ほど前にできた暴走族で、ケツモチはネリキュー(練馬旧車會)です」
一般的に旧車會とは、旧車のバイクに改造を施して、安全に集団走行を楽しむ団体だ。ただし近年は、暴走族や半グレとの境界線が曖昧な集団も存在する。実質的には暴走族なのに、警察の摘発を恐れて「旧車會」と名乗るグループもある。この関係者はこう続ける。
「ネリケンのメンバーの大半は高島平団地出身。普段は上板橋から高島平あたりを走りながら『地回り』という名のパトロールをするんです。コルク狩り(コルク製のヘルメットを被るバイク乗りを襲撃)はもちろん、ノッペ(ノーヘルメット)の子を見つけたらバイクを止めさせてタイマンを張る。PC(パトカー)を 煽って逃げる『ポリ鬼』も頻繁にやっていました」
「週刊現代」2024年10月26日・11月2日合併号より
後編記事『「名古屋ではヤクザ2世と半グレ2世が抗争」「大阪では半グレが群雄割拠」…恐ろしすぎる令和ヤンキーの「裏事情」』へ続く
「名古屋ではヤクザ2世と半グレ2世が抗争」「大阪では半グレが群雄割拠」…恐ろしすぎる令和ヤンキーの「裏事情」