【前後編の前編/後編を読む】中年の危機に直面した46歳夫、救いは「月イチの秘め事」 妻にも優しくなれたと言うものの…
ジェクスの「ジャパン・セックスサーベイ 2024」によれば、婚姻関係におけるセックスレスは、ついに64%に上るという数字がでてきた。20年前と比べると2倍以上になったそうだ。
そして「現在、パートナー(恋人や結婚相手)以外の人とセックスをしていますか」という質問に、40代、50代の男性は「ひとり、ふたり以上、なりゆき」などを合わせると40%弱、そして過去にしていたという人も20~30%となる。同世代の女性はといえば、40代は25%、50代で18%ほどが相手がおり、過去にそういう経験がある人も11~13%。
つまりは婚姻関係におけるセックスレス上昇にともなって、婚姻外での関係を求める人も増えているということだ。
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「うちもレスが長かったから、妻は他の男に走ったんでしょうね」
北沢勇作さん(45歳・仮名=以下同)は、自嘲気味にそう言った。地方都市に生まれ育った彼と妻の美重子さんとは高校時代からのつきあいで、お互いに「初恋の相手」だった。高校を卒業すると、美重子さんはひとりっ子のため両親に引き止められて地元の大学へ、勇作さんは東京の私大に入学した。
「東京から地元までは2時間かからないくらいだったから、よく戻っていました。美重子との関係も続いていた。19歳の夏でしたね、美重子と初めて結ばれたのは。彼女は真っ赤になって泣きながら、いつ結婚するのって言ったんですよ。びっくりしたけど、それはそれで好ましかった。大学を卒業してちゃんと働くようになってからと言ったら、美重子はうんって頷いた。彼女の父親は地元の名士として有名だったから、これで結婚しないなんてことになったら、うちの両親もあそこには住めなくなるんじゃないかと思っていました」
電話やメールのやりとりを続け、勇作さんは美重子さんを「ただひとりの女性」と心に決めて学生生活を送っていた。とはいえ、同級生や後輩になびかなかったわけでもない。そのあたりは「なりゆき」に任せることもあった。一方の美重子さんは、まさに勇作さん一筋で、大学を出て地元の企業に就職したものの、「早く結婚しよう」とたびたび迫ってきた。
「入社1年目で結婚はしづらい。そう渋っていたら、2年目半ばで北海道に飛ばされたんです。実は転勤も多い職場だったんですよね。ただ、僕は転勤するのはたぶん4、5年たってからだと思っていたから、ちょっとびっくりしました。2、3年で帰ってくるからそうしたら結婚しようと美重子には言いました」
転勤前に美重子さんの実家にも挨拶に行った。戻ってきたら結婚すると双方の両親に宣言した。気が変わることなど、若いときには思わないものなのだろう。
「27歳になる直前、東京に戻りました。美重子はすぐに会いに来て『待ちくたびれた』と笑ったけど、僕は『本当にこれでいいのか』と感じたんですよね。他にもっと素敵な女性がいるんじゃないか、と。ただ、さんざん待たせたのだから、ここはやはり責任をとるしかないんだろうなとも思っていた」
準備期間を経て28歳で結婚。結婚式のとき、妻は身重だった。子どもができれば、この人ではないかもしれないという思いも薄れるだろうと避妊をやめたとたん、妻は妊娠した。「動物としてのストレートさを感じ、素直に結婚しようと思いました」
29歳で長女を、32歳で次女を授かった。仕事はどんどん忙しくなり、出張も増えた。妻は専業主婦として家と子どもを守り抜くと言った。「任せていいんだな」と感じた彼は、仕事とつきあいに精力を注いだ。
「ふと気づいたら30代後半。そしてふと気づいたら、次女ができてから、妻とは一度も性的な関係をもっていなかった。僕自身は外でときどき一夜の過ちを繰り返していました。恋愛関係になると、のちのちめんどうなことが起こるけど、一夜限りならお互い納得ずくで大人の関係をもてる。世間にはそういうことを求めている女性もけっこういるんだなと思いました。お金は介在してません。あくまでも一夜の恋。一期一会の関係は寂しいけど、相手にも恋人や夫がいたりするので、これでいい、またどこかでと笑って別れることを繰り返していました」
それでも妻に疑われたことはないし、関係が悪くなってもいなかった。昔ながらの「夫は外、妻は内」と分業と居場所がお互いの了解のもと、成立していたのだ。
勇作さんと妻の美重子さんとは、誕生日が3日違いだ。結婚してからいつもふたりまとめて誕生日祝いをしてきた。先に勇作さんが40歳になり、美重子さんが40歳になったその日は土曜日。11歳と8歳の娘たちがパーティを開いてくれた。
「ふたりともリビングから追い出されました。長女は料理が大好きで、そのころにはすでにハンバーグだの煮物だのが作れる子だったんですが、それでも子どもだけで何かさせるのは危ないからと、美重子と僕が代わる代わる、キッチンやリビングを見に行きました。ふたりでせっせと何かやってましたね。僕は運動会や年に1度の参観日くらいしか学校には行けなかったし、たまの休日もゴロゴロして過ごしていた。娘たちと長い時間、一緒にいられるのはせいぜい夏休みの旅行や帰省くらいでした。いつの間にか、子どもたちはこんなに成長していたんだなと改めて感じた日でしたね」
ふたりの娘たちに促されてリビングに行くと、「パパ、ママ、おめでとう」と書かれた垂れ幕、キラキラしたモールの飾りつけなどが目に飛び込んできた。
「美重子はある程度、知っていたと思うけど、僕は本当に何も知らされていなかったから、ものすごくびっくりしました。テーブルの上には、娘たちが作ったハンバーグ、僕が大好きなポテトサラダ、海鮮をたっぷり使ったサラダなどが並んでいて、思わず目の前が霞みました」
パパが泣いてる、と次女が叫び、4人で笑った。長女はケーキも作ったという。とにかく食べようと箸をとると、玄関チャイムが鳴った。
「いいよ、オレがでるといってみると、目の前にいきなり大きなバラの花束が差し出された。妻宛てでした。封筒に入っていたカードがついていたからこっそり見ようと思ったんだけど、花束が大きすぎてあたふたしているところへ娘がやってきて。『なにこれ、パパからママに?』と大騒ぎ。娘が持っていくというから、あわててカードを抜き取りました」
美重子さんは少し怪訝な顔をしながら、「本当に?」と勇作さんの顔を見た。あとへは引けない。「いつもありがとう」と言いながら、娘から花束を受け取り、妻に渡した。妻は目を潤ませていた。勇作さんはポケットに押し込めたカードを握りつぶしていた。
「そのあと、ひとりでカードを見たんです。そうしたら『美重子へ いつも素敵な時間をありがとう。あなたの美しさほどではないけれどバラを愛でてください R』とあった。Rって誰だよと思いました。Rという誰かが妻に40本の深紅のバラを送ってきたわけです。心穏やかではありませんでした」
にぎやかな時間が終わり、ふたりで寝室に引き上げたとき、勇作さんはやはり黙ってはいられなかった。Rとは誰なんだ、どういう関係なんだ、きみは家庭を守る主婦であり母であり、なによりオレの妻なのに他の男に心を移していたのか、と。
「妻はにっこり笑いました。妙にきれいな笑顔だったのを覚えてる。『私はあなたと違って、浮気なんかしてないわよ』と一言だけ。僕が一夜の関係を繰り返していたのを、妻は知っていたんですね……。なんだか妻に監視されていたような気がした。僕の母親がそういう人だったんですよ。僕のことはなぜか何でもバレている。学校で友だちとケンカして負けてみじめな思いをして帰ったとき、そんなことは親には言いたくない。それなのに母親は知っていて、わざとらしく慰めてくる。あなたが悪いわけじゃない、あなたはいつでも正しいんだからって。妙な自尊心だけ植えつけられ、それが大人になってからも尾を引いていた。そこを妻に刺激されたような気がしました」
妻にそんな意図があったとは思えない。むしろ、愛情表現の足りない夫に嫉妬してほしかったのではないか。筆者は、その花束は妻が自らに送ったのではないかとさえ思った。
「そんなことは考えたことがなかった」
彼はそう言って頭を抱えた。あの花束が発端となって、彼は突然、「何もかも嫌になった」と言う。
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急な展開によって、勇作さんが直面した中年の危機――。それを脱出した方法は【後編】にて。
亀山早苗(かめやま・さなえ)フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。
デイリー新潮編集部