アマゾン、ユニクロという大企業の労働現場に潜入し、長時間労働などの実態を告発するルポを書いてきた「潜入記者」の横田増生さんが、9月10日に「潜入取材、全手法」(角川新書)を上梓した。
潜入取材の意義は、企業が隠したい情報を取りに行くことだという。横田さんは、著作について、ファーストリテイリングと子会社のユニクロから名誉毀損で版元の文藝春秋が訴えられ、最高裁まで争った末に勝訴した経験がある。新著では「潜入取材はブルーオーシャン」と、取材手法やファクトチェック、訴訟対策まで詳細に紹介している。日本の名誉毀損訴訟の問題点や、取材の失敗談、潜入取材が市民権を得ない理由などを聞いた。(ライター・国分瑠衣子)
ーー潜入取材のだいご味は何でしょうか。
「企業が隠したい情報を取れることです。ユニクロでは店舗のサービス残業、アマゾンでは、取次会社を経ずに出版社と本を直接取引している証拠を見つけました。当時はアマゾンが、直取引に乗り出すのではないかと言われていたころで、証拠を見つけたことは大きかった。
そうしたことは、企業に直接取材しても答えてもらえませんが、証拠があると書けます。それに潜入は仕事への理解も深まります。例えば宅配ドライバーの取材をするとして、ドライバー10人に話を聞くよりも、自分でトラックに乗ったほうがどんな仕組みの商売なのかわかります。記事に説得力も出ます」
「潜入ルポを書く上で大事なことは2つ。1つは書くために始めた仕事でも、働くことに手を抜かないこと、もう1つは嘘をつかないことです。潜入取材する会社の近所に住所を移すこともありますが、その場合は役所に転入届を出し、住所変更します。ウソを書いた履歴書は私文書偽造罪に問われかねません」
ーー最も成功した潜入取材は何ですか。
「ヤマト運輸ですね。ドライバーの労働実態の取材で広報に申し込みましたが『すぐに対応するのは難しい』と断られたんです。ならばとヤマトが鳴り物入りで建てた物流拠点『羽田クロノゲート』に、アルバイトで潜入しました。ヤマトの社内報や労働組合の機関紙から、労働時間や残業時間情報を集めて再度、広報にあてました」
「広報からは『横田さん、うちに潜入取材していないでしょうね』と言われました。その直後、今のヤマトホールディングスの社長の長尾裕常務(当時)が、取材に応じました。3時間にわたるロングインタビューでした。潜入が功を奏した形です。もっともその2年後、ヤマトでサービス残業問題が発覚したときは、長尾さんには応じてもらえませんでしたけれど」
ーー逆に失敗した取材はありますか。
「本にも書きましたが、最大の失敗は2022年の沖縄県知事選の取材です。沖縄で自民党陣営にボランティアとして潜入しようとしました。駐車場登録のために名前を書いたら、30分後ぐらいに事務局長らしき人が出てきて『横田さんって、アマゾンやユニクロに潜入している方ですよね』と(笑)。ネットで名前を検索したそうです。人相で潜入記者だと見破られたことは一度もありませんが、名前はバレますね。2週間の予定で沖縄入りしましたが、2日目で見つかりました」
「失敗はユニクロでもありました。合法的に名前を変えるために妻と離婚してすぐ再婚して妻の苗字で潜入しました。ところが当時、ユニクロの客注伝票は手書きで、『横田増生』とサインしてしまった。しまったと思いましたが、後ろで指導係が見ているので振り向くわけにはいきません。バレなかったけど、危なかった」
ーー潜入取材は、企業の一員になって働くわけですよね。一緒に働く仲間を裏切っているという罪悪感はありませんか。
「ありますね。ユニクロ潜入では3店舗で働きましたが、最初の店舗の若い店長は真摯でとてもいい人でした。僕が2店目に移るときに『私が推薦しますよ』と言ってくれた。でも、推薦してもらうと、僕を面接したのが彼だけになり、責任を負わせることになってしまうから断りました。ヤマトやアマゾンでは誰かを裏切っているという感じはなかったけれど、ユニクロはありましたね…。ルポが載った雑誌を読んで店長がひざから崩れ落ちたという話を後から聞いて、申し訳ないけれども、許してくださいという気持ちです」
ーー横田さんが「ユニクロ帝国の光と影」(2011年)を出版したときに、ユニクロ側は名誉毀損で版元の文藝春秋を訴えました。新著には本の内容が真実だと証明するために、取材協力者に会いに行く様子を書いていますが、日本の名誉毀損訴訟の問題点は何でしょうか。
「日本の名誉毀損裁判は、訴えられた側の書き手に100%の立証責任がある点です。ユニクロ側が争点として挙げてきたのは27カ所ですが、1カ所でも証明できなければ、訴えられた側の敗訴になって新聞に『文春、ユニクロに敗訴』と書かれてしまいます。
書き手が賠償金や、本の回収・絶版といった原告の要求から免責される条件は仝共性公益性真実性の3つで、訴えられた書き手が一番苦労するのは、真実性の証明です。
訴えられた本では、店長の証言は情報源の秘匿のために匿名にしていますが、裁判所は匿名の発言は真実と認めません。ユニクロ側もそれを分かっているので、匿名の証言に絞って真実性を問いただしてきました。弁護士と一緒に取材したユニクロの元店長らに会いに行き、陳述書に実名でサインをしてもらいました」
「アメリカでは逆に、名誉毀損で訴えた側に立証責任があります。原告は相手の悪意を証明しなければなりません。ニクソン大統領を辞任に追い込んだウォーターゲート事件では、ワシントン・ポスト紙がディープ・スロートという匿名のニュースソースを出しましたが、日本の裁判では匿名だと負けてしまいます」
ーーフリーランスの書き手にとっては、訴訟を負ってくれる出版社を探すこともポイントになりそうです。
「文春(文藝春秋)は訴訟慣れしているメディアだし、名誉毀損などメディアの訴訟に多く携わる喜田村洋一弁護士もついています。文春がサポートしてくれなかったら『ユニクロ潜入一年』は書けなかったです」
「それとメモを残しておくことも大事です。ユニクロはメモをとらないと怒られるぐらい『メモ文化』だったから良かった。あとは現場でメモをとった後、数日内にメモを体系立てて整理しています」
ーー日本の新聞やテレビは企業への潜入取材はしておらず、それほど市民権を得ていないように思います。なぜでしょうか。
「潜入取材に対し、日本人の潔癖主義というか悪いことをしている、卑怯なんじゃないのという気持ちがどこかにあるんだと思います。法的には何も問題がないのに。イギリスではBBCなど大手メディアが潜入取材をしています。
1970年代に鎌田慧さんが、トヨタ自動車の組み立て工場に期間工として潜入取材した『自動車絶望工場』が大宅壮一ノンフィクション賞の候補に上がったときに選考委員から『卑怯だ』と声が上がりました」
ーー最近の取材手法として、SNSで企業の内部の人が告発してそれを取材して記事化するパターンも多いような気がしますが、潜入取材との大きな違いは何でしょうか。
「声を上げる人に話を聞くのは取材の王道ですよね。でもそれだと声が上がるのを待つことになりますよね。潜入取材は取りに行くという感じです。取りに行って空振りすることもあるけれども」
ーー最近はネットで声を上げる人も結構多く、待っていても一定数の取材ができるので、そのほうが楽となっているのかもしれません。
「ただね、ネットで声を上げていない組織もありますよ。ユニクロはまず出てきません。守秘義務に縛られてしまっているからです。一企業の守秘義務よりも労働基準法のほうがずっと重いのに。この前、YouTubeでアマゾンとユニクロの話をしましたが、アマゾンは元従業員のコメントがたくさんついたのに、ユニクロはほぼゼロ。潜入は『しゃべらない業界・会社の話を取りに行く』んだと思いますね」
「それと最近、暴露系ユーチューバーがなんでも暴露する時代ですよね。潜入取材は公共性や公益性があるメディアがやってこそ広がりが出ます。アマゾンの問題について書いたのは、日本では僕としんぶん赤旗ぐらいです。でも本来は、朝日新聞や読売新聞やNHKが書かなければならない。GAFAと呼ばれる巨大企業の実態が分からないっておかしいじゃないですか」
ーー新著では、記者を志す人にお勧めの文章術の本も紹介しています。書籍化したい人が潜入取材する上でどんな意識が必要でしょうか。
「まず取材テーマを持って、取材する業界を絞るといいと思います。業界の歴史や労働環境から日本社会の何が見えるかということを考えてみる。裁判になっていたら傍聴しに行ってもいい。潜入後は日記形式で記録を書きためるといいと思います。どう章立てするかは取材内容によるけれども、業界全体を見る『鳥の目』と潜入現場の労働実態などを取材する『アリの目』、両方で見ると見出しは立ちます」