芸人・石井てる美さんは、もともと東大から超大手企業に入社した経歴の持ち主。高校時代は身近な人を楽しませることに喜びを感じながらも、東大を目指して受験勉強に励みます。しかし、センター試験という大舞台で、ある事件が──。(全3回中の1回)
【写真】「書き込みが半端ない」石井てる美さんの東大合格ノート公開!(全15枚)
── 子どものころから大人たちを笑わせる、ひょうきんな性格だったそうですね。
石井さん:親戚で集まると落語家のマネをしておどけたり、学校でもクラスのなかの「ひょうきんな奴」という立ち位置で、つねに盛り上げ担当でしたね。
──「東大出身の芸人」という異色の経歴で知られる石井さんですが、勉強は昔から得意だったのですか?
石井さん:真剣に向き合うようになったのは、中学校に入ってからでした。親の勧めで中学受験をしたのですが、あまり勉強しない子だったので、合格はしたものの勉強のコツがいまいちつかめなかったんです。でも、不完全燃焼に終わった悔しさからスイッチが入り、授業を聞いてきちんと勉強するようになったら、テストでいい点が取れるように。「ちゃんとやれば私にもできるんだ」と気づき、そこから勉強が好きになりました。
いっぽうで、中高時代は学園祭の実行委員として、企画から出し物までを担当。司会をしたり、自分もステージに上がって、安室奈美恵さんやSPEEDさんなど、流行りのアーティストのダンスを披露するなど、誰よりも楽しんでいました。そのときに、友だちから「テル(当時のあだ名)は、本当にエンターテイナーだよね」と言われて、すごく嬉しかったことを覚えています。
── 勉強もイベントごとも全力でサービス精神が旺盛。友だちになったら、絶対楽しそう。いわゆる“陽キャ”女子ですね。
石井さん:陽キャでしたね(笑)。ただ、ひとりのときは静かなので、“根暗の陽キャ”なんだと思います。人といると、楽しくなってどんどんはしゃいじゃうタイプ。人が好きなのでしょうね。
── そのころから、お笑いや芸能界に進みたい気持ちはあったでしょうか?
石井さん:憧れは心の奥底にあったと思いますが、職業として本気で考えたことはありませんでした。「もしも、もうひとつの人生があったら…」という妄想レベルですね。それくらい自分にとって、芸能界は無縁の世界で現実味がなかったんです。当時は、「いい大学に行って、いい会社に行くことがまっとうな人生」だと思っていましたから。だから、イベントでははっちゃけるけれど、授業や試験はすごく真面目に取り組んでいました。
── 大学のセンター試験の最中に、「鼻血が止まらない」というアクシデントに見舞われたそうですね。どんな状況だったのでしょう?
石井さん:数学1Aのテストが始まって30分くらいたったころ、鼻血が急に出てきたんです。しかも、ポタポタなんてレベルではなく、ドバっと。思わず頭が真っ白になり、パニック状態に陥りました。慌てて手で鼻を抑えながら、試験官に「ティッシュを出していいですか?」と聞いたら、別の試験官のところに許可を取りに行って。こちらは1分1秒が惜しいので「早くして…」と祈るような気持ちでした。「とにかく最後まで問題を解かなくては」と、焦りで思わず手が震えました。
なんとか解ききったものの、答案は血まみれ状態。試験終了後、係の方に「受理できるか調べますからお待ちください」と言われ、「汚染答案」のような扱いに。もしもダメだといわれたら、東大が受けられなくなってしまう。待っている間、不安でたまりませんでした。
── 大変でしたね。でも、なぜ急に鼻血が出たんですかね。なにか思い当たることは?
石井さん:じつは、考えられる要因が2つありました。ひとつはテスト前に、脳を活性化させようと、いつもは勉強中に食べないチョコレートを口にしたこと。2つめは、暖房が効きすぎて部屋がものすごく暑かったので、のぼせてしまったのかも。そんな状態で鼻を軽く触ったらその瞬間から鼻血が出て止まらなくなりました。
ただ、振り返れば、センター試験の1週間前、毎日、夕方になると鼻血が出ていました。これが予兆だったのかもしれません。きっと、いろいろとムリがかかっていたのでしょうね。結局、この鼻血事件から学んだのは「大事な場面では、いつもやらないことはしないほうがいい」という教訓です。できるだけ、いつものルーティンのままでのぞむ。それが、平常心を保つことにつながると思いましたね。いまでも、プレッシャーを感じるような場面では、あえていつも通りのルーティンを行うことで、「よし、大丈夫」と自分に言い聞かせてから行動するようにしています。
── 東京大学の文科三類に入学後、途中で理系工学部に転向されました。
石井さん:転向したのは、工学部社会基盤学科に新設された国際プロジェクトコース。もともと土木工学を専門とする学科でインフラ整備などを学ぶところなのですが、海外でプロジェクトを行う「国際プロジェクトコース」が新設されたんです。英語が大好きでしたし、海外に行ってフィールドリサーチができるなんておもしろそう!と思って、ノリで決めました。教授も気さくな方ばかりで、卒論の中間発表の後にそのまま飲み会が始まったりと、和気あいあいですごく楽しかったですね。
── 文系から理系への「理転」は、ハードルが高い印象があります。
石井さん:周りからは反対されました。同じ大学の彼氏には「ついていけないからやめたほうがいい」と言われ、サークルの先輩にも「ダマされてるよ」と。「なんで学校がダマすんだよ」と思いましたけど(笑)、心配してくれていたのでしょうね。
大学ではビートルズのコピーバンドのサークル活動にも打ち込んでいました。文系から理系に転向したことで、「やっぱりダメだった」と周囲から言われるのがイヤで、「脱落してはいけない」気持ちが強く、勉強は一生懸命やっていましたね。
── 卒業後は外資系のコンサルタントファーム「マッキンゼー・アンド・カンパニー」に入社されました。そもそもコンサルの仕事に興味をもったきっかけはなんだったのでしょう?
石井さん:就活が始まる前は「自分は文系、理系、どちらの専門家でもない」というコンプレックスがあったんです。
── 大学院の修士課程までいかれているので、「どちらもできる」という考え方もあると思うのですが、ご自身としては中途半端だと感じていたのでしょうか?
石井さん:そうでしたね。法律や経済に詳しいわけでもないし、橋の構造計算ができるわけでもない。中途半端な私に何ができるんだろうと思っていたんです。コンサルの仕事に興味をもったのは、インターンシップの経験がきっかけでした。大学院時代に、インターンシップでフィリピンに行ったのですが、リサーチのために仮説を立て、それを検証するためにインタビューをしたり、自分の足で情報を稼いで整理したりすることがすごくおもしろかったんですね。「もしかしてコンサルタントの仕事ってこういうことなのかも」と思って、興味がわいたんです。文系でも理系でもないと思っていた経歴も、幅広い分野に対応できるという強みとしてアピールできるようになりました。
当初は総合商社も志望していたのですが、外資系のコンサルは他業界よりも選考時期が早いので、練習と記念受験を兼ねて、ダメ元で受けたら受かってしまった、という感じでした。ほかのコンサル会社も受けましたが、内定をもらえたのはマッキンゼーだけでしたね。振り返ると中高、そして大学時代と友だちや先生に恵まれ、すごく充実した学生生活を送ることができました。あのころ、友だちを笑わせていた「ひょうきんな自分」が、私の芸人としての原点です。
PROFILE 石井てる美さん
いしい・てるみ。1983年、東京都生まれ。東京大学工学部から大学院へ進み、卒業後は、大手外資系コンサルティング会社「マッキンゼー・アンド・カンパニー」に入社。お笑い芸人を志し、2009年に退社。現在は、ワタナベエンターテインメント所属のお笑い芸人として活動中。
取材・文/西尾英子 写真提供/石井てる美