「肉体が滅べば、人は無に還る」という常識は、過去のものになるかもしれない。「死」は「終わり」を意味するわけではない–人類の知的好奇心は、ついに全く新しい段階へ踏み出そうとしている。
「お母さんが好きだった、おうどんでも頼もうか」
数ヵ月前に高齢の母親を亡くしたある家族。お盆の昼どきに出前をとろうと娘が立ち上がった瞬間、机上の携帯電話が鳴り、すぐに切れた。液晶画面には、信じがたい名前が表示されていた。
〈母〉
母親の携帯電話はまだ解約していなかったが、仕舞ってあり、もちろん電源などついていない。
「お母さんも、おうどん食べたいのかな」
一家は届いたうどんをお椀に分けて、母の仏壇へ供えた–。
このエピソードは、訪問診療医で「おかやま在宅クリニック」院長の尾崎容子氏が、実際に患者の家族から聞いたものだ。多くの患者を看取ってきた尾崎氏は、こうした「あの世」の存在を示唆するような話をいくつも耳にしているという。
「『こんなこと、一切信じてなかったんだけど』と言いつつ、亡くなられた肉親の声を聞いたとか、故人の部屋の電気がひとりでに点いた、といった体験を話してくださるご家族が、少なからずいらっしゃいます。
もちろん、単なる偶然や気のせいかもしれません。ただ、『あの世はきっとある』と考えたほうが、心穏やかに肉親や自分の死と向き合えるのではないか、と私は思います」
死んだら、どこへ行くのか。人は死ねば一巻の終わりなのか–。この答えのない問いは、太古の昔から現在に至るまで、人々を悩ませてきた。
あの世、つまり「死後の世界」についての最も古い記録は、紀元前5世紀のギリシャの哲学者・プラトンが記した「エルの物語」という説話だ。
戦場で亡くなった若者エルが、死から12日後に突然目覚め、意識を失っていた間に見聞きした冥界の風景を語り始める。天国と地獄に通じる分かれ道、光り輝く巨大な柱、生まれ変わりの順番を決める「くじ」……。
「プラトンが描いたエルの体験は、現代人が『臨死体験』と呼んでいるものとまったく同じです。人類の心の奥底には、死に直面したとき、このような共通のビジョンを見せる『なにか』が潜んでいるのかもしれません」
こう語るのは、日本で数少ない「死そのもの」を科学的に解き明かそうとする研究者、中部大学教授の大門正幸氏だ。
近年では、医療の発達や「看取り」という考え方が広まったことにより、死の間際にいる人、また死の淵から生還した人の証言が数多く得られるようになった。大門氏は、そうした臨死体験のエピソードや「前世の記憶がある」と語る人々の証言を集め、その真実性を検証し続けている。
その中には、鳥肌の立つような「科学的に真実としか考えられない証言」も少なくない。
たとえば大門氏は、「自分は日本軍の軍人で、戦艦大和の乗組員だった」という「前世の記憶」を克明に語る幼児から直接話を聞いた。後編記事【人の意識は「死んだら終わり」じゃない…!? 最新研究でわかった「死後の感覚」「前世の記憶」をもつ人々の「驚くべき共通点」】では、こうした信じがたい「あの世の証言」を紹介する。
「週刊現代」2024年9月7日号より
人の意識は「死んだら終わり」じゃない…!? 最新研究でわかった「死後の感覚」「前世の記憶」をもつ人々の「驚くべき共通点」