この話は、実母が亡くなった翌日から四十九日が明けるまでの話です。虐待を受けた子どもが親を亡くしたとき、どんな思いを抱えて遺された“もの”と向き合うか。自身の心の整理のため、そして、同じような境遇の人たちにとって、何かしらの救いとなるヒントとなればと、筆を執りました。

「お母さまが亡くなりました」6月某日、尿管結石の治療で体内に入れたステントの放散痛に耐えられず、仕事を休み布団に包まっていました。午前11時ごろ、見慣れた市外局番から1本の電話が。「石井さんの携帯電話でしょうか? ○○警察ですが、お母さまが亡くなりました」と話す電話の主。いろんな思いが一瞬で交錯し、動悸が止まりませんでした。最後に母と会ったのがいつだったのか。もう、よく覚えていません。自宅のトイレ付近で母が倒れているのを近所の人が発見してくれ、警察から連絡を受けたときは死後1日が経過。死体検案書には「心臓死疑い」とだけ書かれていました。66歳でした。

母は私を虐待し、祖母は母を虐待していました。そうした経緯もあり、疎遠だった母と私ですが、祖母はまだ、健在。しかもテレビで見る老害よりモンスターな有様で、これから先を思うと言い表せない不安が胸いっぱいに広がるのでした。