※事例は個人情報に配慮し一部加工・修正しています。
「ゴミ屋敷」。――世間では迷惑な対象として取り上げられることがほとんどだと思いますが、実はこうして取り上げられるものの中には、精神疾患が関係していることも少なくありません。よくテレビで芸能人の部屋を「汚(お)部屋」だとして面白く紹介する内容のものがありますが、精神疾患などが由来しているそれとは明らかに内容が異なっています。
本連載ではゴミ屋敷問題と密接に関係する、
など精神疾患別に内容と理解を深めていくのにくわえ、
という、ゴミ屋敷の4類型に言及していきます。
´↓は、脳機能の障害に由来します。生まれつき脳機能に課題があるか、途中で脳に変性・病変が生じるかして、生活機能が低くなっている状態です。い砲弔い討惑承’修飽枉錣海修△蠅泙擦鵑、うつなど心の病によって生活意欲が低下して「セルフネグレクト」が起きている状態です。向精神薬の大量服薬が関係していることもあります。
この4類型は、特に精神科領域に携わる方や福祉関係者には必須の理解です。
それでは順を追って、それぞれの理解を解説していきます。
まずは、|療発達症が関係するゴミ屋敷について考えていきます。
私が「ゴミ屋敷」に対する理解を変えるきっかけになったのが、精神科病院に勤めていたころのことです。そこには、比較的病状が重たかったり長期入院を必要としたりする患者さんが多くいました。そんな彼らの退院後の居宅生活を支えるのが、当時の私の役割でした。
うだるように暑い、ある夏の日のことです。男性患者さんのことで、区の生活福祉課から相談の電話がありました。
「近隣住民から異臭の苦情が寄せられているんです。病院のほうからも指導してもらえないでしょうか? 私も自宅を訪問しましたが、かなりひどくて」
聞くと、公営住宅の入居者たちから、同じくそこに入居している患者さんに対しての苦情が福祉課に寄せられていて困っているとのことです。
ひと昔前は、患者さんが居宅生活で問題を起こしているとなると、すぐに入院させられていました。事実、この患者さんは約40年間にも及ぶ長期入院を経て、少し前に退院したばかりでした。
俗に言う「社会的入院」(病状は安定しているのに、住居や周囲からのサポートなど社会的な資源が得られないことによって生じている、本来は「不必要な」入院のこと)です。そのころ私が勤める部署では、この社会的入院を減らそうとしていました。
医療側が退院を判断し、居宅生活を推し進めたからには、福祉課からのSOSを無下にすることはできません。
幸いなことに患者さんは私たちのことを信用してくれていたので、通院日に自宅へ訪問して家の様子を見たい旨を申し出たところ、快く許可してくれました。
彼の名は斎藤仁さん(仮名・68歳)、幼少期に「軽度」知的発達症だと診断されています。しかし、今よりも福祉の理解が整っていなかった時代です。おそらくはなんの支援もなく大人になってから社会に放り出されてしまったのでしょう。福祉的就労も知られていなかったことも影響したのか、仕事は長く続かず、職に就いては仕事場での喧嘩や窃盗などトラブルを起こし、逮捕・服役を繰り返します。
これは私の想像ですが、社会に出ているよりも刑事施設内での暮らしのほうが心地よかったのでしょう。倉庫に眠る約40年前のカルテによると「刑務所に戻りたいから」という理由で再び窃盗を起こし、収監されたようです。そして、社会から厄介払いされるかのように精神科病院へと流れ着いたわけで、行われたのはほとんど幽閉しておくための長期入院です。その間、親族とはほとんど没交渉でした。
長期入院している患者さんで、こうした人生を送っている人は少なくありません。必要なのは「刑罰」なのか「生活訓練」なのか、都度考えさせられたものです。知的発達症が「軽度」の場合、見た目や会話からでは明らかにならないことも少なくなく、こうして見落とされて支援の手が届かないこともあるのです。
話を戻します。
彼が入居する公営住宅に向かい呼び鈴を鳴らすと「入っていいよ」と、ドア越しに声が聞こえました。お邪魔します、と言ってドアノブをひねると、なにやら乾いて固形物となった茶色のものが付着していました。その感触は今も手に残ります。ドアを開けると、そこはこれまでに見たこともないような光景が広がっていました。
どこが玄関と部屋の境目なのかがわかりません。というのも、彼は室内でも土足だったからです。床は黒く汚れ、ベタついています。視線を落とすと、数匹の蟻たちがいます。長期間に及んだ入院生活の結果、靴を脱ぎ履きするという習慣すらも知らないか、あるいは忘れてしまったかのようです。
私は履いている靴に専用のカバーをつけて部屋へと上がらせてもらいました。
玄関付近には、物こそ多くはないものの、鼻を突く饐(す)えた臭いが感じられます。
奥へと進むと、今度は小火(ぼや)でも起きたのかと見紛(みまが)うほどに視界が煙(けむ)っています。部屋中の壁が黄色く変色し、ベランダにつながる掃き出し窓にはカーテンがかかっておらず、しかしそれは不要なほどに窓が黄ばんで変色し遮光しています。これらはすべて、喫煙によるヤニ汚れでした。
そして居室には、吸い殻が入っている灰皿代わりの空き缶が大量に散乱し、お惣菜の容器が堆(うずたか)く乱雑に置かれています。よくバナナを食すのでしょうか、食べないままのバナナ一房が腐ったまま床に直(じか)置きされています。
土足で生活しているせいか、畳はすっかり擦り切れ、ところどころ腐敗しているようです。雨の日も、濡れた靴のまま上り込んでいたようです。その上に彼はあぐらをかいて座り、ニコニコしています。トイレが間に合わないことでもあったのか、便で汚れたままの下着が放置されている横で――。
「それ、どうしたんですか?」「どうもしてないよ」
その汚れた下着に対しての私の質問に、斎藤さんは答えます。
後でわかったのですが、私がドアノブで触れたものは彼の乾いた便でした。指先かどこかに付着していて、そのままドアノブを握っていたのでしょう。
トイレを確認すると、なぜか便座が破損しており、そしてトイレットペーパーはありません。細かな描写は控えますが、ひどい汚れ方です。
「トイレの時に紙は使わないんですか?」「使わない」
彼は答えましたが、おそらくはトイレットペーパーをどこで購入するのかもわからないのかもしれません。毎月、福祉課から手渡しされる生活費も、すぐに食べ物へと消えてしまっているのでしょう。
私は質問を続けました。
「斎藤さん、ゴミを何曜日に出すのか知っていますか?」「月曜日だよ」
と軽快に答えますが、この自治体で可燃ごみの日は火曜・木曜でした。
周りを見渡してみても、お惣菜の容器や割り箸などは汚れたままで散乱しています。部屋のどこか一箇所にまとめているとか、ゴミ袋の中に集められているとかの様子もありません。少し整理するために私がゴミをまとめようと移動させると、その下を素早くゴキブリが動きます。
退院してから2年ほどの居宅生活を彼は単独で行っていたわけですが、むしろ、よくここまでがんばったものだと私は思ったのでした。どちらかというと、退院後にこうなるかもしれないということを予測できなかった、私たち医療側の責任もありそうです。
彼とのやりとりからは、生活全般の能力が不足していることは明らかでした。
生活状況から判断すると、可燃・不燃というゴミの種類があるという物事への「概念的」理解、それからゴミの捨て方など日常生活の「実用的」理解に、それぞれ困難があるようでした。これらは知的発達症を評価する際に用いられる指標で、生活能力にほぼ直結します。
それゆえ知的発達症が原因でゴミ屋敷化している場合、生ゴミや汚物などの処理ができていなかったり、金銭管理ができていなかったりといった特徴が表れやすいようです。
したがって「概念的」「実用的」の両領域に明らかな課題がある場合は、福祉的な介入がないと自力での居宅生活に困難をきたすことがあります。
後の連載でも詳しく述べていきますが、疾患別に応じてゴミ屋敷の内容と成り立ちは異なるのです。
もう一つ事例を紹介します。知的発達症が関係したものでは、とても印象的だったからです。
ある女性は体が不自由な高齢の実父と同居していましたが、その実父が亡くなってしまいました。しかし女性は、実父の遺体と推定5年以上にわたって「同居」していたのです。その理由は「(お父さんの)捨て方がわからなかったから」。
当初は実父が受給している年金目当てに死亡したことを隠していたのではないのかと疑われ、詐欺と死体遺棄の容疑で逮捕されましたが、精神鑑定の結果で知的発達症が明らかになったので、故意ではないとして不起訴処分になりました。以後、福祉機関の介入がなされました。
その部屋の中はというと、やはりかなりの量の食品の空き容器と、彼女が好きだというキャラクターのコレクションが大量にありました。ここでも「捨てる」「分別する」「物が増えたらどうなるのか」ということは理解できておらず、生ゴミと物の多さが目立ちます。
行政の力も借りてトラックで不要なものは搬出しましたが、害虫駆除のバルサンが焚き終わるのを外で待ち、時間を見計らって玄関扉を開けると、無数の死んだチャバネゴキブリが私の頭に降ってきたのを思い出します。少しでも空気が新鮮な外のほうへと虫も逃げ、玄関扉の隙間に入り込んだのでしょう。
さて、再び話を斎藤さんに戻します。
彼の生活状況・能力を大まかに把握して帰院した私は、部署に報告し、今後について話し合いを行いました。結果としては、まずは職員たちが斎藤さんと自宅の掃除をすることになりました。それから、週に数回は本人と一緒になってゴミ出しや掃除をする日を設けました。その定期的な関わりの甲斐あって、ゴミ問題は徐々に収束していきました。しかし職員による継続的な世話がなければ、またすぐに元の状態に戻るのは明白でした。
そうならないために幸いだったのは、彼と私たちとの関係が良かったことです。
だからこそ、なぜゴミ屋敷化するのかを継続的な関わりを通して見ることができたような気もします。ここで紹介したように知的発達症が関係する場合には、そもそも生活能力が乏しいという困難があるのです。なので「ちゃんと掃除しろ!」と指図しても、彼らは理解することができなかったはずです。支援者(福祉関係者)との関わりを拒む要因になったかもしれません。
斎藤さんの例ではゴミ屋敷化のきっかけは病院からの退院でした。女性の例では実父の死去でした。このほかにも、面倒を見てくれていたきょうだいが亡くなって独居になった、親から一人暮らしを迫られて家を出たなど、環境の変化がきっかけになることが比較的多い印象です。こうした変化によってゴミ屋敷化し、本人の知的発達症が明らかになることもあります。生まれ持った能力ですから、本人に責任はありません。
要するに「もともと抱えていた課題+環境の変化」によって、社会的な問題にまで発展するのです。
おそらくはゴミ屋敷問題の中でも、知的発達症によるものはかなり多いはずです。なぜなら、その他の原因と比べても有病率が高いからです。
補足ですが、注意欠如多動症(ADHD)もこの問題を語る上では外すことができません。ゴミ屋敷化しているような場合には知的発達症との併発を考慮しなければならないでしょう。多動・衝動、注意欠如などADHDの特性だけでは説明しきれない生活能力の低さがあるからです。
彼らの多くは、悪意もなければ近隣迷惑へと発展している理解も乏しいのが現状です。誰かが一緒に生活環境を継続的に整えてやるほかありません。
ゴミ屋敷問題における精神科領域からの理解と福祉的介入。――その必要性を痛感するきっかけとなった事例でした。
———-植原 亮太(うえはら・りょうた)精神保健福祉士1986年生まれ。公認心理師。汐見カウンセリングオフィス(東京都練馬区)所長。大内病院(東京都足立区・精神科)に入職し、うつ病や依存症などの治療に携わった後、教育委員会や福祉事務所などで公的事業に従事。現在は東京都スクールカウンセラーも務めている。専門領域は児童虐待や家族問題など。———-
(精神保健福祉士 植原 亮太)