盲学校を卒業しながら、俳優としてキャリアを積む男性がいる。映画「エッシャー通りの赤いポスト」「アディクトを待ちながら」などに出演する古川時男氏(32)だ。サングラスの向こうの目を細めながら彼はこう言う。
【写真】サングラスの向こうの目を細めながら過酷すぎる闘病生活を振り返る古川氏
「右目と左目で視ている世界がまったく別々の映像のように映し出されているんですよね。左の視野は欠けてしまっているところもあるんです」
なぜ、そのような症状を抱えるようになったのか。そして、日常生活にすら困難を抱えながらも、自身を表現しようと思い至るきっかけは何だったのか――。

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――右目と左目で視界が異なる症状は生まれつきなのでしょうか。
古川 いや、そうではなくて、小学校5年生の頃に経験した激しい頭痛がそもそものきっかけでした。
地元の福井県の病院に行って、MRI検査までしてもらったんです。そうしたら、脳腫瘍の一種である「松果体腫瘍」と奇形腫が半分ずつ混在している珍しい状態だということがわかったんですよね。
――いわゆる難病であることがわかった、と。病気についてお話を聞かれたときのことは覚えていますか?

古川 告知の瞬間は今でも覚えています。私の隣に母がいて、医師は母に対して「放っておいたら危ない病気です。手術をしなければいけません」と言っていました。
――なかなかショッキングな瞬間だと想像しますが、そのときはどのような感覚だったのでしょう?
古川 目の前のシャッターが突然閉まったような感覚ですね。医師の隣にあったゴミ箱のような容器を抱えながら、「オエッ……」とえずきながら泣きじゃくって、過呼吸になってしまいました。

――古川さんご自身にとってもショッキングだったと思いますが、お母さんはそのときにどのような反応をされていたのでしょうか。
古川 母も泣いていたと思います。私はとにかく手術が怖くて泣いてしまっていましたね。
――珍しい病気だったとのことですが、そのまま地元の病院で手術を受けられたんでしょうか。
古川 いえ、何度か転院したものの、どの医師も「こんな症例は経験したことがない」と驚くようなリアクションでした。結局、何度か手術は受けたものの、地元の病院では対応できないとのことで、京都府の大学病院で根治手術を受けました。珍しい病気だったからか、担当医が若手医師などを連れて症例の説明をしていたような様子を覚えています。
後々、世界的な医学雑誌にも症例報告が載ったと聞かされました。
――何度も手術を経験したとのことですが、回数としてはどれくらいだったのでしょうか。
古川 11回、ですね。
――思い出すのも辛い話かと思いますが、どのような経緯だったのでしょうか。
古川 最初に経験した手術は、松果体腫瘍が原因で起きていた水頭症の手術でしたね。告知から即日で入院になって、すぐに手術をしました。
開頭しないといけなかったので、手術日の朝に看護師さんに毛髪を刈ってもらいました。

それから入院は2ヶ月ほど続いて、さらにもう一度手術を受けました。
術後は頭に管が刺さったりしていて。「ああ、俺は病人なんだな……」みたいな感覚でしたね。その後、小学校6年生のときに、放射線で病巣を切り取るガンマナイフ治療というものを経験しました。この治療の後遺症で今も続いている、ものが二重に見える症状が発現したんです。
――当時、どれくらいの回数、手術を受ければよいのかは知らされていたのでしょうか。
古川 いえ、そういうわけではありませんでした。ものが二重に見え始めたのは小学生の頃だったんですが、根治はできていなくて、中学生になってからは京都府の大学病院に入院しました。それから数回の手術を経験しましたね。丸一日かかる手術もありました。

――終わりが見えないなかで手術を受け続けるということですよね。
古川 はい。それは本当にキツかったですね。「次も手術がある」と言われたときの絶望感は忘れられません。「え? これで終わりじゃなかったの?」という、感覚はよく覚えています。
中学生の途中からは入院生活が長くなってきて、病院にある院内学級に通うことになったんですけど、その部屋には同じ病院で亡くなった子どもの写真も飾ってあって。気持ちが沈んでもいました。自分のことを健常者だと思いたくて、家族に「俺は健常者だろ?」と詰め寄ったこともあります。

――精神的に荒んでしまうといいますか。
古川 家中の壁を殴って穴だらけにしてしまったり、自暴自棄になったこともありましたね。祖父が経営していた会社のビルから飛び降りようとしたり、リストカットをしたり……。「道を走っている車に飛び込んだほうが楽かな?」と思ったこともありました。
◆◆◆
度重なる手術、それでも快復に至らない絶望。人生のどん底を経験し、希死念慮に支配されることもあった古川氏だったが、現在、彼は若手俳優としてキャリアを歩みはじめた。役者を志すにあたって、一体何がきっかけになったのだろうか。
〈「実際の障害者を起用する方がいいのでは」障害当事者が抱える“健常者俳優”が“障害者”を演じることへの正直な気持ち〉へ続く
(黒島 暁生,古川 時男)