いじめ事件では、被害者の顏や氏名が晒される一方で、加害者の情報は少年法や未成年であることを理由に事件に関わる事柄以外のプライバシーが報じられることはほぼない。
わからないがゆえに、ほとんどの加害者がその後も普通に人生を送っているのではないかという疑念は尽きず、それを踏まえれば「こんな理不尽なことが許されるのか?」という世間の声は至極当然の流れだろう。「加害者も不幸になるべき!」という感情論が沸き上がるのも、無理からぬことではあるように感じる。
ただ、その一方で大きな代償を払うことになった加害者も存在している。
「私の娘は中学時代に集団でいじめを行い、同級生を自殺に追いやりました」
と告白するのは、小川晴子さん(仮名・40代)である。住んでいた土地を追われ、北関東某所の住宅地に住んでいた。
前編「「娘は階段から突き落とされ、劇薬を浴びせられた」…!いじめ加害生徒の母親が話す「背負った罪の代償」と「逃げ切った生徒」への複雑な胸中」よりつづきます。
晴子さんの娘で、いじめ加害生徒の留美さんが引きこもるようになると、生徒たちからのいじめは物理的になくなった。しかし、事件とは何の関係もないネット住民たちが“いびつな正義感”を振りかざし、自宅や家族をターゲットにして攻撃しはじめた。
「掲示板っていうのでしょうか。ネット上で我が家の個人情報がさらされていたようで、自宅に見覚えのない人たちが集まって来るようになりました。『殺人者は出て行け』という貼り紙を玄関に貼られたこともあります。いたずら電話がひっきりなしにかかってきて『人殺し』とか『死んで詫びろ』と怒鳴られました。
街中でいきなり写真を撮られたり、追いかけられるなどの怖い目にもあっています。玄関に置いてあったプランターが破壊され、リビングの窓ガラスが割られたこともあります。家族全員がまともに外を歩けないような状態だったので警察にも通報しましたが、『パトロールを強化するようにします』と言われただけで、それが実行された気配はありませんでした」
噂はすぐに広まり、留美さんの兄姉も「あいつの妹はあの事件のいじめ主犯格」と陰口を叩かれるようになり、学校で白い目で見られるようになったという。一方でネット住民たちの“口撃”は、留美さんの父親の職場にまで及んだという。
「主人の会社にも『お宅は殺人犯の身内を働かせているのか』という、クレームの電話がひっきりなしに掛かってきたそうです。会社は自宅と違って、電話線を抜いたり着信拒否ができないので、対応に追われたと思います。業務にも差し支えますし、罵詈雑言を何度も浴びせられた女性社員がノイローゼになったりして、多大な迷惑をかけました」
留美さんの父親は「会社の株価にも影響が出たことで依願退職に追い込まれた」という。
「『犯罪者の父親』とか『親の育て方が悪い』などと陰口を叩かれて、主人としても職場は針のむしろのような環境だったと聞いていますが、やはり事実上の解雇はショックだったようです。私にあたりだし、夫婦喧嘩をすることが多くなり、暴力も振るわれるようになりました」
間もなく夫婦は離婚したというが、夫の退職金は住宅ローンの残債にあてたため、財産分与はなし。失業した夫は養育費が払えず、3人の子供を抱えた日々の暮らしは困窮に喘いだという。
転居先でも嫌がらせの文書がポストに入れられ、家族に粘着してやってくる不審者が後を絶たず、近隣住民からの『治安が悪くなるので出て行って欲しい』という苦情も相次いだ。
「この頃は家族全員が憔悴しきっていました。留美の兄姉も当初は『家族なんだから』と留美を擁護していたのですが、兄が就職の内定を取り消され、姉はお金を稼ぐためにパパ活を始めるなど、歯車はどんどん狂っていきました」
結果、留美さんの兄は引きこもりになり、精神疾患を引き起こしたことから専門の医療施設へ入所。留美さんの姉は反社の人間と繋がったことで風俗嬢に転身した後、薬物中毒にされて、やはり専門の施設で治療にあたることになった。
「ふたりの施設を行ったり来たりして疲れ果ててしまった私は、自宅に戻りませんでした。誰もいない場所で彷徨っていたほうが楽だったんです。でも留美にしてみれば兄も姉もいなくなり母親も帰って来なくなったわけです。家族全員に見捨てられたことを悟って絶望して、数日後、自殺を図りました」
部屋でぐったりしている留美さんは、荷物を届けに来た晴子さんの内職仲間に発見されて一命を取り留めた。
その知らせは縁もゆかりもない地方の街を彷徨っていた晴子さんにも届いたが、晴子さんの足はすぐには留美さんの元に向かなかったという。
「何もかもがイヤになっていたんでしょうね。それからも数日間はアテもなくあちこちをブラついていました」
やがて所持金が底をついた晴子さんは自宅に戻り、留美さんも退院して戻ってきた。
「それからの私は、仕事を掛け持ちして、がむしゃらに働きました。留美を見捨てようとした罪悪感もあって、家にいたくなかったというのもあります。でも、たまに顏を合わせてもろくに目をあわせず、最低限の会話しかない母と娘の関係が救いになるわけがありません。留美は自殺未遂を繰り返しました。
あまりに何度も死のうとするので、留美も兄や姉と同じように専門の施設に入れられそうになったんですが、私はそんな留美が不憫で仕方なくなり、強引に連れて帰りました。それが事件から10年近くたった現在の私たちの状況です」
冒頭で触れたように、現在、晴子さんと留美さんは、在宅ワークで生計をたてながら母子ふたりでひっそりと暮らし続けている。
「親戚はもちろん、元夫とも疎遠のままです。上の子どもたちは施設を出て一緒に暮らしているようですが、音信不通です。でも、そのほうが本人たちのためでもあると思うので、こちらから連絡をとることはしません」
晴子さんを取材中、隣室に籠って仕事をしていた留美さんが不意に姿を現した。
「娘には接触しないこと」を条件に取材に伺っていた筆者は面食らったが、留美さんは控え目な笑顔で筆者に会釈をすると部屋を出て行った。
「近くにある養護施設のボランティアに行っているんです。贖罪のためです。人をひとり死なせておきながら、生きながらえている以上、せめて社会の役に立ちたいと言っていました」
それだけ話すと晴子さんは声を詰まらせ、泣き始めた。
「もう10年近くたつんですよ…まだ10年もたってないと言われるかも知れませんけど…まだダメなんですかね…まだ許されちゃいけないんですかね…家族はバラバラになり、それぞれの人生も台無しになりました。生きているというだけで私にも留美にも明るい未来は望めそうにありません。それでもまだダメなんですかね…そんなに悪いことをしたんですかね…」
「私たち家族はいつ許されるのでしょう」と肩を震わせ、声を押し殺すようにして泣き崩れる晴子さんに、筆者はかける言葉が見つからなかった――。
【つづきを読む】『「母さん、やめて」…交通事故で「他界した父」の身代わりに…15歳だった息子が母から受けた「おぞましい行為」』
「母さん、やめて」…交通事故で「他界した父」の身代わりに…15歳だった息子が母から受けた「おぞましい行為」