思い起こせば3年前。日本は開催国としてオリンピックの興奮の最中にあった。だが、その夏、苦い思いをした者がいる。
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東京五輪初日、2021年7月23日。
各国の選手たちの入場、工夫を凝らした演出……いやが上にも盛り上がる五輪開会式。セレモニーを自分が作ったサウンドで彩るはずだった男は、その日、自分が何をしていたかすら覚えていない。
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「僕が東京五輪の演出チームのメンバーであることが発表されたのが7月14日。“炎上”が始まったのはその直後でした」
折からのリバイバルブームで、いま、10代の若者やK-POPアイドルがこぞって愛好する90年代の日本の音楽シーン。“渋谷系”の旗手として時代を築いたミュージシャンの小山田圭吾氏(55)は、3年前の五輪開幕直前に激烈な炎上に巻き込まれた。
「15日の朝、『炎上してるよ。ヤバいよ』、と、息子から聞きました。それだけで、ああ例の雑誌の発言だなと、直感的にわかりました。以前からネットではその発言がやり玉に挙げられているのは知っていましたから。息子の『ヤバいよ』を聞きながら、すごく不安な気持ちのまま、仕事場に行くため家を出たのを覚えています」
過去を語った小山田圭吾氏
きっかけは、90年代半ばに小山田氏が受けた音楽誌とカルチャー誌のインタビュー。同級生へのイジメを露悪的に語った内容だった。その相手の中には、障害を持つ友人も含まれていた。オリンピック精神からはとても容認できない過去を持つ男。小山田氏がそういう人物であるようだと“判明”するや、義憤に駆り立てられたネットユーザーたちは、よってたかって彼に石を投げ始めた。
「仕事を終えて家に帰ってくると、家族は深刻な雰囲気で。みんなで4時間くらい、朝になるまで話し合いをしました。テーブルの上には、記事のコピーがありました。現物を見るのは、僕自身、刊行された時以来。ほんとにひどい内容でした」
燃え上がった炎は収まらず、小山田氏は東京五輪開会式の作曲担当者を辞任することになる。発表からわずか5日後のことだった。
「エピソードの核の部分はきっと僕が喋ったことだったのでしょう。ひとつひとつは、僕が実際に経験したり、見聞きした出来事でしたから」
〈友人を簀巻きにした〉〈自慰を強制した〉〈排泄物を口にすることを強要した〉。凄絶なイジメを、小山田氏はインタビュー記事の中で嬉々として語っていた。
「それでも、『俺、ほんとにこんなこと喋ったのかな』が、記事を読んだときの正直な感想でした。編集された記事だとはいえ、目撃しただけにすぎないことが、まるで僕が実際にやったことのように見出しに大きく書かれていたので、刊行当時にショックを受けたのも思い出しました」
炎上に呑まれ、ひとりのミュージシャンが表舞台から消えていく。ノンフィクションライターの中原一歩さんはこの「小山田事件」の過程を追った。
武勇伝のように語られたイジメ記事の事実関係の検証から始め、小山田氏当人への聞き取り、イジメの相手への取材まで重ね、『小山田圭吾 炎上の「嘘」――東京五輪騒動の知られざる真相』を上梓した。
「騒動の最中、考えに考え、事実関係を僕なりに整理して『声明文』を出したりもしました。ですが、炎上が発端で広まった情報って、虚構だろうがなんだろうが、後からどれだけ修正しようとしてもほぼ更新されないんだというのが僕の実感です。中原さんの取材を受けたのは、炎上の1カ月半後でした。炎上経験を語るのはつらいことでしたが、事実を調べるために取材に来てくださったことがわかりましたし、ちゃんと真実を言い残しておきたいと思い、取材に協力したんです」

辞任に追い込まれ、活動休止を余儀なくされた時期のことを小山田氏はよく覚えていないという。
「周囲の人からは『かなりおかしかった』『死んでしまうと思った』と言われました。電話で話すときの声の調子や、普段やらない食器拭きを急にやりはじめたりで、はた目にはけっこう異常と映っていたようです。でも当人にはおかしな状態だって自覚はなかったし、いまもその頃、何を考えていたのかあまり覚えてないんです。だから、東京五輪の開会式の頃の記憶がないんですよね」
復帰は翌22年。立て続けに2つのロックフェスに出演を果たす。事前の発表で演者のラインナップに小山田氏の名前が躍っても、大炎上などなかったかのように、ネットは無風だった。
「普通、この2つのフェスは同じ年に掛け持ちさせてもらえることはないんです。だけどこの年は、フェスの主催者同士が話をつけて、僕の復帰の舞台を用意してくれたと聞きました。すごく嬉しかった。レコード会社の担当者も心配してくれていて、その厚意に応えたいと、徐々にアルバム制作のため音楽を作り始めました」
東京五輪開会式用の楽曲は、炎上前にすでに納品済みだったというが、いまだどこにも公開されていない。
「人生で精神的なつらさはあの夏がピークでした」
ソロ活動30周年を迎えた小山田氏は旺盛な活動を続けている。
(「週刊文春」編集部/週刊文春 2024年8月1日号)