〈絶海の孤島・青ヶ島在住の40歳女性が語る、“日本一人口が少ない村”の都知事選事情「ポスターを貼りに来た支持者が島から出られなくなって…」〉から続く
日本一人口の少ない村、青ヶ島村在住のYouTuber・佐々木加絵さんが“島暮らし”を発信する連載企画。
【特別グラビア】美しすぎる…絶海の孤島・青ヶ島在住の40歳美女を写真で見る(全50枚超)
東京都心から約360km離れた人口160人(2024年7月1日時点)の小さな島・青ヶ島。交通手段が限られていて、簡単に上陸できないことから、別名「絶海の孤島」と呼ばれている。
そんな青ヶ島の日常をYouTubeで発信しているのが、佐々木加絵さん(40)。「私にとっては普通なのですが、島外の人からすれば、青ヶ島の日常は非日常なのかもしれない」と話す加絵さんは、いったいどんな“島暮らし”を送っているのだろうか。今回は、お墓参りや葬儀、夏祭りなどをテーマに、青ヶ島の日常を紐解いていく。
青ヶ島生まれ・青ヶ島育ちの佐々木加絵さん(本人提供)
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毎日暑い日が続いていますね。東京都では40℃近い暑さを記録した日もありますが、同じ東京都でも、都心から約360km離れた青ヶ島の夏はちょっと違います。集落が標高250m以上にあり、周囲に森もあるため、都心ほどの厳しい暑さはないんです。
夏の青ヶ島にはいろんな行事があります。例えば、お盆前の日曜日に行われる「墓刈り」もそのひとつ。
墓刈りとは、島内にある無縁墓や先祖のお墓の草を刈り、供養することです。島内には、誰のものかはもちろん、いつ作られたものかもわからないお墓がたくさんあるので、墓刈りの日は朝早くから島民総出で無縁墓の草刈りや掃除をします。終わったら、ビニールシートに食事やお酒を広げて宴会するのが定番の流れ。
ちなみに、青ヶ島には火葬場がなく、30年ほど前まで土葬の文化が残っていました。島で誰かが亡くなったら「棺桶」に納棺して、島民たちで棺桶を担ぎ、お墓まで運んでいたのです。私も小さい頃、その行列に参加した記憶があります。
現在はどうしているかというと、八丈島か本土の火葬場で火葬しています。青ヶ島には手術や高度な治療ができる病院がないので、重い病気にかかったら島外に出るしかありません。最期のときを島外の病院で迎え、そのあとは病院の近くの火葬場で火葬をし、ヘリコプターか連絡船で遺骨を持ち帰ることが多いです。
また、島内には葬儀場もないから、お葬式は遺族の自宅であげるのが基本です。お坊さんもいないので、お経は自分たちであげます。
昔はお葬式のときに全島民が集まって、みんなで青ヶ島独自のお経「念仏(ねぷつ)」をあげていたそうです。今は、青ヶ島の郷土芸能を継承する「青ヶ島郷土芸能保存会」に所属している島民に念仏をあげてもらいます。
四十九日を迎えるまで、7日ごとに故人の自宅に島民が集まって、念仏をあげる文化もあります。お骨をお墓に入れるのは、それが終わってからです。もちろん、納骨も島民で行います。仏事は島民同士で協力して執り行うのです。
青ヶ島で行われる地鎮祭などの神事に関しては、現村長の佐々木宏さんが取り仕切ってくれています。今の青ヶ島には、神事を司る「社人(しゃにん)」や「巫女」がいないから、村長が代わりにやってくれているのです。
私が生まれる前の青ヶ島には、神からお告げを受けて“目覚めた”社人や巫女がいて、神事を取り仕切ってくれていたそう。私のひいおばあちゃんは巫女だったと聞いています。
断崖絶壁に囲まれ「絶海の孤島」とも呼ばれる青ヶ島では、かつて、海難事故や自然災害で島民が亡くなることも少なくなかったそうです。その当時は、ヘリコプターなんて便利な移動手段はなく、連絡船は月に数本程度だったため、天候が荒れるとその数少ない連絡船すらストップしてしまう。その結果、島に物資が届かず、島民が飢えに苦しむこともあったと言われています。
そんなときに活躍していたのが、社人や巫女。彼ら彼女らは、お告げや予知夢で天気を予想したり、神頼みのために踊ったりしたそうです。私の母は巫女の踊りを見たことがあるのですが、「『人間にこんな動きができるの?』と思うような舞いをしていて、何かが憑依しているような感じで怖かった」と言っていました。
しかし、もう長らく社人も巫女も現れていません。はっきりとした理由はわかりませんが、移動手段や技術の発達によって、自然災害で人が死ぬことも、食べ物に困ることもほとんどなくなり、島民の誰かが“目覚める”必要がなくなったのかな、と思っています。
毎年8月には、島内最大規模のイベント「牛祭り」も行われます。
青ヶ島では昔から、牛は生活に欠かせない存在でした。本土で電車や自動車が普及して以降もしばらくは、牛に乗って移動したり、牛に荷物を運ばせたりしていました。また過去には各家庭で牛を飼っていて、その糞を堆肥として利用していたそうです。
島の交通手段が自動車に代わった現代でも、牛の重要性は変わりません。例えば、青ヶ島の大事な産業のひとつに、「東京ビーフ」というブランド牛の飼育があります。東京ビーフは、年間出荷頭数が数十頭で、他のブランド牛に比べ圧倒的に頭数が少ないことから、「幻の黒毛和牛」と称されることもあります。
青ヶ島では、人口約160人の小さな島の中に、東京ビーフを育てている島民が5人もいるんです。そんな身近な存在の牛に、感謝の気持ちを表そうと始まったのが「牛祭り」です。
台風などの影響がない限り、「牛祭り」は毎年8月10日に行われます。でも、新型コロナウイルスの流行と台風の影響で、しばらく中止が続いていました。そして今年の8月10日、5年ぶりの牛祭りが開催されたんです!
久しぶりの大きなイベントに、島は大盛りあがり。屋台のビールを飲んだり、青ヶ島の郷土芸能のひとつである「還住太鼓」の演奏を観賞したり、みんなで島踊りをしたりして楽しみました。
かつては、良質な和牛かどうかを競う「牛の品評会」が開催されていましたが、近年は島内で牛を飼う人が少なくなったこともあり、開催されなくなりました。青ヶ島で採れる野菜や「ロベ」の品評会は、現在も行われています。ロベはヤシの木の仲間で、花束や観賞用の植物です。
また、島の男性たちが相撲で熱い戦いを繰り広げる「男相撲」も数年前まで行われていましたが、毎回怪我人が出るほど白熱しすぎてしまうため、開催されなくなりました。一方で、女性だけが参加できる「女だけの腕相撲大会」は今年も開催されました。私はあんまり強くないんですけど、私の母親は腕相撲がすごく強い。出場すると優勝しちゃうから、「殿堂入り」という扱いで、今回は参加できなかったようです(笑)。
普段は1日1便9席のヘリコプターと、1週間に5回運航する就航率5~6割の連絡船が青ヶ島への上陸手段ですが、帰省する人や観光に訪れる人が増える牛祭りの時期は、船もヘリコプターも臨時便が出ています。本土の人はいつもより青ヶ島を訪れやすいはずです。
ただ、島には民宿が4つしかないため、部屋が埋まりやすい時期でもあります。ヘリや船のチケットがあっても、宿泊先が決まってないと青ヶ島には上陸できません。青ヶ島に観光に来る方は、宿の確保は早めにしておいてくださいね。
取材・文=仲奈々写真提供=佐々木加絵さん
(仲 奈々,佐々木 加絵)