支持率の長期低落にあえぐ岸田文雄首相がついに白旗をあげた。
終戦記念日前日の8月14日午前、自民党総裁選への出馬見送りを表明したのだ。
当初は順風満帆だった政権運営も次第に失速し、政治資金パーティー収入の不記載問題による窮地脱出に向けた「派閥解散」も「着地」失敗。直近は漂流するだけの様相を呈していた。
そんな岸田氏の行く末を見透かすような“予言”を口にしていたのが安倍晋三元首相だ。
産経新聞論説委員の阿比留瑠比記者が上梓した話題の書『安倍晋三“最後の肉声” 最側近記者との対話メモ』(産経新聞出版)は、壮絶な権力闘争の世界を生きてきた政治家ならではの鋭い見方が綴られている。岸田首相の失敗の本質、躓きの兆候は何だったのか――。同書から一部抜粋・再構成してお届けする。
「岸田氏はこれまで運が良かったが、運はちょっとしたことで離れる。こういうやり方をしていたらね」
安倍元首相が私に向かってこう予言するように語ったのは、2022年6月16日夜のことだった。安倍氏が暗殺される3週間ほど前のことだ。
「こういうやり方」とは、安倍氏の秘書官を6年半も務め、信頼されていた防衛省の島田和久事務次官が任期1年11カ月足らずの7月1日付で交代させられるーという人事をめぐってのものだ。
私がこの情報を安倍氏に電話で伝えた6月14日夜、安倍氏は驚いた様子だった。
「え、まだ1年ぐらいやるんじゃないの。それは問題だね。(岸田政権の運営に注文をつける)私への意趣返しなのか。首相に聞いてみる」
しばらくして安倍氏から私に電話がかかってきた。
「まず松野博一官房長官と話したが、どうもそういう方向らしい。次官を3年ぐらいやるのは珍しくない。おかしいよね、非常に不愉快だ。
松野氏は、次官は全部2年で交代させるというが、それではバカな次官もいい次官もそうするのか。島田氏みたいな功労者がそれではおかしい」
次官任期に「2年」というルールはない。根回しなしに安倍氏に近い次官を交代させるやり方が異様に映ったのは事実だった。
6月16日、衆議院議員会館の安倍事務所を訪ねた岸田首相から直接、次官人事は2年交代とすると説明を受けた安倍氏は表向き矛を収めたが、内心は違った。
岸田首相はその後、LGBT理解増進法の強行や政治資金パーティー収入の不記載問題を巡る唐突な派閥解散宣言などでじりじりと自民党内の敵を増やし、求心力を失っていった。
運が去ったのだろう。
「安倍一強」時代を築いた安倍氏より、実は「聞く力」を強調した岸田首相の方がよほど強権的だったというのも皮肉である。
“最側近記者”が明かす「安倍晋三」、その「最後の肉声」と「知られざる顔」