バットの快音を響かせ、ナショナルリーグトップのホームラン29号を打っている米ドジャースの大谷翔平選手(30)。日本時間で7月17日に予定されているオールスターゲームには4年連続で選出され、ファン投票では同リーグ指名打者部門で1位となった。異国の地で輝く同郷人のそんな勇姿に、ある未解決事件の遺族は生きる力をもらい、一刻も早い犯人逮捕を待ち望んでいる。【水谷竹秀/ノンフィクション・ライター】
【写真】同郷のスター選手がホームランを放つたびに、節子さんの手元には新聞記事の切り抜きが増えていく
腰が曲がった小柄なその女性の手には、新聞の切り抜きの束が握られている。その中に、卒寿を過ぎた世代を感じさせないこんな見出しの記事が、数多く含まれていた。
「5月17日は『大谷の日』 市が制定」「大谷4年連続20号 今季MLB最長弾」「大谷独走26号 6月12本目」
いずれも今年5月~6月にかけて米ドジャース、大谷選手の活躍ぶりが描かれている。青いユニフォーム姿でグラウンドに立つホームランバッターの写真を眺めながら、埼玉県在住の宮澤節子さん(93)が語った。
「大谷さんの活躍で元気づけられます。海外で頑張っているんだなって。ホームランが何本になったな、とか。だから自分も腐っていられないなって思います。負けてられない」
節子さんの長男、みきおさん(当時44歳)の一家4人は2000年12月30日深夜、東京都世田谷区の自宅で何者かに殺害された。犯人は未だに逮捕されておらず、悶々とした日々を送る中で、メディアを通して見る大谷選手の姿が生きる力になっているというのだ。その理由をこう説明する。
「大谷さんは私と同じ岩手県出身なんです。同郷の方が頑張っている姿をテレビで見ると、自分も頑張らねばと思います」
節子さんは岩手県大船渡市の出身だ。スポーツには興味がなかったが、大谷選手が日本ハムで二刀流として頭角を現した頃から注目し始め、新聞の切り抜きを集めてきた。
「テレビや新聞でスポーツを見るようになったのは大谷さんが出るようになってから。岩手にはそんなにすごい人がいるんだなって。同じ岩手出身の佐々木朗希さん、菊池雄星さんも活躍されていますよね。頑張っている人は尊敬するんです」
大谷選手が結婚を発表した時は、真美子夫人との2ショット写真を新聞から切り抜き、手帳に貼った。その隣には桜の花びらのマークを添えた。
「私は岩手に18年しか住んでいなかったけど、今でも何かと岩手のことを思うし、応援したい。3.11の震災もそうだったし。我が家は大丈夫だったけど、納屋は津波で流されました」
節子さんは、海沿いに実家がある漁師町で育った。小学生の時は竹で釣竿を作り、船に乗って沖まで行き、魚をたくさん釣って食べた。ウニやあわびなども取れた。卒業して女学校に進学すると、自宅を離れ、寄宿舎で生活を始める。しかし、戦争による食糧難のため、毎週末になると自宅まで食料を取りに帰った在りし日の記憶が、今も繰り返し思い出される。
「空襲警報は流れていましたが、攻撃は免れました。ただ、寄宿舎の食料配給が少なかったので、週末は徒歩で7時間かけて峠を3つ越え、自宅に麦ご飯や野菜をもらいに帰っていました。峠のてっぺんに行くと、星がつかめそうなほど夜空が近くに見えるんです。懐かしいなあ」
東京に出てきたのは18歳の頃だ。地元に仕事がなかったためで、タイプライターの学校に通いながら、幼稚園の保母としてアルバイトをこなした。その頃に知り合った夫の良行さん(享年84)と23歳の時に結婚し、長男のみきおさんが生まれる。みきおさんが幼稚園に入園して以降は、毎年の夏休みに岩手へ連れて行き、1ヵ月間、義兄に面倒をみてもらった。
みきおさんと妻の泰子さん(当時41歳)の間に生まれた長女、にいなさん(同8歳)、長男の礼君(同6歳)もいつかは、岩手の実家に連れて行きたいと思っていた。
「海が見渡せる田舎の家がどんなものか、にいなや礼たちに見せてあげたかったんです。実家は築130年ですからね」
しかしその日が訪れることはなく、一家4人全員が殺害される――。
事件後は夫の良行さんが中心となって早期解決を訴える活動を続けてきた。節子さんは側でその様子を見守ってきたが、2012年に良行さんが他界すると、今度は節子さんが表に出て、情報提供を呼びかけるちらしを配り、メディアへの取材対応に当たってきた。
「なんで自分だけが残されたんだろうって思っていました」
90歳を超えると、体の衰えとともに足元がふらつくようになった。昨年末の命日に行われた墓参では報道陣への囲み取材が見送られ、今年3月半ばに都内で行われた殺人事件被害者遺族の会「宙の会」の総会も、2009年の創設以来初めて欠席した。
節子さんは自宅で一人暮らし。現在は週に3日、デイケアーのサービスを受けている。親族が定期的に自宅に様子を見にきて、食事の作り置きを持ってきてくれるが、それ以外は基本的に一人だ。午前7時ごろに起床して仏壇に水を供え、朝食を取り、洗濯をしたり、新聞を読んだり、頭の体操のためにナンプレをしたり、日記をつけたり……。
おひとり様の老後を過ごしながら、犯人逮捕の知らせを待ち続ける日々。毎晩12時を過ぎると、カレンダーの日付欄に、解決できなかった印としてボールペンで斜線を引いている。
「みきおだけならまだしも、どうして子供たちまでもが。その疑問は消えないんです。年寄りから亡くなるはずが、その順番が反対になっちゃったのもなんでかなと思います」
節子さんは6月下旬、93歳になった。人の話を聞き返す頻度が多くなり、耳も遠くなっているのを感じる。
「焦りもあります。なるべく元気で長生きして、私がこうやって生きているだけで犯人には圧力になるでしょう。私が亡くなったら、犯人はやれやれと思うんじゃないか。事件も忘れられてしまう。そうならないようにするために頑張って生きているんです。このままじゃ死ねない。せめて犯人がなぜあんなことをしたのか、理由をわかってみんなに報告したい」
切迫した気持ちを吐露する節子さんにとって、海の向こうのスタジアムで響くバットの快音が、波打つ心を和ませてくれる。
水谷竹秀(みずたにたけひで)ノンフィクション・ライター。1975年生まれ。上智大学外国語学部卒。2011年、『日本を捨てた男たち』で第9回開高健ノンフィクション賞を受賞。最新刊は『ルポ 国際ロマンス詐欺』(小学館新書)。10年超のフィリピン滞在歴をもとに「アジアと日本人」について、また事件を含めた現代の世相に関しても幅広く取材。2022年3月下旬から2ヵ月弱、ウクライナに滞在していた。
デイリー新潮編集部