2013年10月。東京都三鷹市で芸能活動をしていた女子高生がストーカー化した元彼に殺害される事件が起きた。被害女性は加害男性に、交際時に撮影されたと思われるわいせつ画像をネットに投稿されていたことも判明し、2014年11月の*リベンジポルノ規制(又は防止)法の成立に繋がった事件である(正式には「私事性的画像記録の提供等による被害の防止に関する法律」)。
これにより第三者が、被写体が誰かを特定できる方法で、プライベートで撮影された性的画像などをネット上にばらまく行為自体が犯罪となり、第3条1項により、3年以下の懲役又は50万円以下の罰金の処罰対象となった。
しかし残念ながら、データが世界中に拡散し被害が際限なく広がり続ける状況下で、一生尊厳が踏みにじられ続ける被害の特性を考えれば、あまりにも刑罰が軽いと言わざるをえないと感じる。
盛田伊都子さん(仮名・50歳)の娘さん(20代)も高校生の時、以前交際していた大学生からのリベンジポルノが原因で自殺未遂。ネット上に拡散された画像は完全に消すことはできず、身を潜めるような生活を余儀なくされる。
「いつの間にこんな写真を…リベンジポルノの被害にあった女子高生の家族が明かす、母子で泣き続けた「苦しい日々」」に続き、盛田母子がリベンジポルノに対してどのように立ち向かったのかリポートする。
「娘は『私の人生は終わったようなもの』だと言っていました。でもまだ18歳です。
私は娘に『人生は長いのだから、この先いくらでも取り返せる』『あなたは悪くないのだから、人生を諦める必要はない』と繰り返し諭しました」(伊都子さん。以下同)
伊都子さんは仕事を辞めて、外出も一切せずに24時間娘に寄り添った。
「娘とふたりで世間から身をひそめるように暮らしていました。他人の目が怖かったのです。いつまでこんな生活を続ければいいのだろう…半年?1年?さすがに10年はないだろう…そんな風に考えながら、私なりに娘を守っていたつもりです」
そんな伊都子さんの親心が通じたのだろうか、娘さんはある日一大決心を口にする。
「娘は『私、生まれ変わって人生をやり直そうと思う』と力強く宣言しました。『自分だとわからなければ、何も恐れずに生きていける』というのです」
娘が別の人間として生きて行くことを決めたとき、ここから、娘と母の人生が再スタートした。
伊都子さんは娘さんの言う通りに即座に行動に移した。
「まず引っ越しをしました。自宅を売却することも考えましたが、ご近所にあれこれ詮索されそうなのであえてそのままにしてあります」
転居先には縁もゆかりもない場所を選んだ。
「都会でもなく、田舎でもない。ほどほどの地域」だという。
家族構成などについてはここでは触れないが、伊都子さん一家はどこにでもいそうな平凡な家庭のため、転居先で怪しまれるようなこともなく、地域に自然に溶けこんで暮らすことができたという。
一家そろって生活しているものの、転居と同時に娘さんは伊都子さんの親戚と養子縁組をしている。
「これでまず苗字が変わりました。その後家庭裁判所に申し立てをして名前も変えています。ポルノ画像が拡散された娘の氏名は世の中から消滅することになったのです」
戸籍上の名前を変えた娘さんは次に容姿を変えはじめた。
「娘はダイエットをしようと考えて、絶食に近いようなこともやっていたのですが、やはり健康上の問題もありますし、素人考えで安易に痩せてもリバウンドしては元も子もありません。それで私もアドバイスをして、専門のトレーナーに指導して貰い、同時に栄養士さんの指導を受けたうえで食事療法もしました。結果、娘は10キロ以上のダイエットに成功し、すっかり体型が変わりました」
身体つきだけでも別人のようになった娘さんだが、さらに美容整形手術も受けたという。
「どこをどう直したなど、具体的なことはお話できませんが、多額の費用と時間をかけて施術を受けました。痛みに耐え、面倒なアフターケアにも真剣に向き合った娘の姿には『生まれ変わるんだ』という執念のようなものも感じました。そのかいあって、原型をとどめていないと言っても良いかも知れない“仕上がり”になっています」
筆者は同じ子を持つ親として、心が締め付けられた。思わず「自分の産んだ子どもがまったく別の顏になってしまったことに抵抗を感じなかったのか」と聞いたが、伊都子さんは「寂しさを感じなかったと言えばウソになります」と目を伏せて、
「ですが…、私は娘の人生を尊重したかったのです。見た目がどのようになろうと、私が産んだ大事な娘であることに変わりはありませんし、娘は親子の証とも言える、ある部分だけは手をつけずに残してくれています」
この「ある部分」を伊都子さんと娘さんは筆者に見せてくれたが、その時のふたりの誇らしげな顏が忘れられない。
現在は別人として社会生活を送っている娘さんにも協力して頂き、これまでのことを振り返ってもらった。
「あの時の絶望は忘れようとしても忘れられるものじゃありません。今の私を見て、あの時の画像と同一人物だとわかる人は誰もいないと思いますが、相変わらず止むことのないリベンジポルノについて見聞きしてしまうと、未だに冷水を浴びせられたような気分になって鳥肌が立ちます。
私のように隠し撮りされたのでしたら、それは不可抗力かも知れませんが、自分の意思だとしても安易にプライベートな画像を撮影したり記録するのはやめた方が良いと思います。
私は気の遠くなるようなお金と時間を使って別人として生まれ変わることができましたが、家族には相当の負担をかけてしまいました。家族には一生かかっても謝罪しきれませんし、感謝もしきれません」
ちなみに娘さんは、仲が良かった友人を含め、過去の交友関係を一切断ち切っている。
「そこまでする必要があるのか」とも思えるが、
「そこまでしないと生き直せなかった。私という人間は過去と一緒に一度葬らないとダメだったんです」
と娘さんは語った――。
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