和歌山県内で初めて線状降水帯の発生が発表され、死者2人、行方不明者1人を出した昨年6月の大雨から、2日で1年になる。
紀の川市の酒井寿夫さん(当時72歳)は近所の高齢女性を救助後、犠牲になった。夫が流されるところに居合わせた妻の清子さん(70)は「思った以上に水かさが一気に増えた。誰も責められませんし、答えが出ない1年でした」。複雑な思いを語った。(大家広之)
昨年6月2日、高野山の参詣道に続く山あいにある中鞆渕地区は、豪雨だった。川の水位が急激に上がる。川沿いの民家に足の不自由な高齢女性が残されていると知り、寿夫さんは自宅を飛び出した。
女性を民家の少し安全な場所に移動させた。家に戻ろうとした寿夫さんに大雨が立ちはだかった。
清子さんの電話が鳴る。「今すぐ、ロープを持って来てくれ」。寿夫さんの張り詰めた声に清子さんは高台にある自宅から坂道を下った。川の水があふれ、道の水かさが上がっていく。
数メートル先に見える夫にロープを投げるように言われたが、なかなか渡せない。10回ほど繰り返し、やっと届いた。
寿夫さんはロープをたぐりよせ、水浸しになった道を進んだが、水は胸の付近まで到達し、流れは速くなった。しばらくして、ロープから寿夫さんの手が離れた。清子さんの目の前で、寿夫さんはいなくなってしまった。ぼう然とした。
次に会えたのは5日後。顔が腫れ、変わり果てた状態だった。すでに亡くなっていた。

寿夫さんは大阪でクリーニング店を営み、丁寧な仕事で評判だった。若い頃から自然に親しむのが好きで、1995年に里山の中鞆渕地区の別荘地を購入。「川沿いは怖い」と、周辺で最も標高が高い場所を選んだ。この土地にロッジを建てた。
60歳で仕事を辞め、移り住んだ。近所の人から畑を借り、キュウリや柿を栽培。中古の釣りざおを2本買い、夫婦で海に行ってタイやシマアジを狙うこともあった。釣れた魚を食卓で味わうのが楽しみだった。清子さんは「家族と仕事には厳しい面があったけど、近所の人には嫌な顔をせずに手を差し伸べる人だった」という。
約80世帯が暮らす隣の地区の区長や、近くにある神社の役員も務めた。「小さな集落に引っ越し、最初は苦労があっただろうけど、地域に溶け込もうと積極的に交流していた」と地域の人は振り返る。
清子さんは「お父さんにはあの時、『放っておく』という選択肢はなかったと思う。余裕はなかっただろうけど、ロープを手に持つだけではなく、体にも巻き付けておいてくれれば……」と悔やむ。「この1年間、天国から出張して、4人の孫を見守るのに忙しかったと思う。前を向こうと頑張る家族がピンチになった時には、近くで守ってね」と静かに手を合わせた。