最近、薬物関連報道をよく目にする。<高校生が大麻を所持していた><ドイツが大麻を合法化した>等々、とりわけ大麻に関するニュースが多い。ところが、注意して見てみると、“密輸”に関する報道も意外に多いことが分かる。【瀬戸晴海/元厚生労働省麻薬取締部部長】
【写真】アメリカでは乱用薬物の中心的存在とされ、<陶酔感、多幸感をもたらすが、慢性使用するとコカイン精神病を引き起こす>――危険すぎるコカインの実態とは?
日本で消費される違法薬物は、一部の大麻を除けばその殆どが海外から密輸されたものだ。
密輸は、運搬者が国外から“ブツ”を着衣やバックなどに隠匿して持ち込む方法と、商業貨物や国際宅配・郵便などに忍ばせて運搬業者を介して手に入れる方法とに大別される。組織的な大型密輸事件はもっぱら後者になるが、税関の貨物検査でコンテナなどに隠匿した大量のブツが発見されると、かつて私が所属していた厚労省麻薬取締部の捜査官は、俄に忙しくなる。
密輸の首謀者は正体不明の国際犯罪組織なので、こちらも国をあげて対峙しなければ勝ち目はない。税関、警察、マトリそして海保の4機関が直ちにタスクフォースを編成し、「CD捜査」を開始する。CD捜査はコントロールド・デリバリー捜査の略で、いわゆる“泳がせ捜査”を指す。薬物捜査の醍醐味を感じられ、首尾よく受取人を逮捕することができれば、捜査官はそれなりの達成感を得る。他方で、悲しい密輸事件もある。これは何度経験しても心が痛む。
東南アジアから帰国したばかりの女(20代)を逮捕したときの話をしよう。
我々は<女が密輸の道具として外国人の男に利用されている。今、海外へブツを受け取りに行っている>という確度の高い情報を入手していた。女の帰国と同時に、まず別件のMDMA所持事犯で逮捕し、続けて密輸疑惑について質した。
――海外からブツを持ち帰っているのなら、自分から提出してくれないか。
「何のこと? 冗談じゃない」
――下着の中か? まさか陰部や飲み込みじゃないだろうな。令状を取って検査する前に言ってほしい。
「……」
――もし体内で異物が漏れ出せばどうなるか。小袋が破裂し死んだ者もいる。
「……」
説得するが女は頑なに無視する。どれほど危険性を伝えても一向に応じない。
コカインを飲み込んで密輸するプロの運び屋のことを、海外では「コーク・ミュール(Coke Mule=コカイン運搬用のラバ)」、または、「ボディー・パッカー」と呼ぶ。飲み込みだけにとどまらず、肛門や膣内にも隠す。中南米では僅かな報酬で貧困層を使うケースも多い。とりわけ重宝されるのは“妊婦”だ。妊婦なら欧米の税関で厳しい検査を受けることはない、と密輸業者は高をくくっているのだ。
“ミュール”や“パッカー”は、ブツを数グラム~10数グラムに分けてラップでぐるぐると巻き、その固まりに油をつけて何十個も食道へ流し込む。そして、入国が成功したら排泄する。1キロ以上のブツを飲み込んだ例もあるが、これは自殺行為だ。今年1月には、フランスから羽田まで、覚醒剤とコカイン約1キロを密輸しようとしたイスラエル人の男が機内で倒れ、搬送先の病院で死亡している。警視庁は、体内から計89個の包みが見つかったと発表。死因は急性覚醒剤中毒だった。2019年5月には、コロンビアのボゴタからメキシコを経由して成田に向かった日本人の男がやはり機内で倒れ、その後に死亡した。男の胃や腸の中からは、実に246袋のコカインパックが発見され、死因はコカインの急性中毒とメキシコ当局は発表している。これは前例のない驚異的な事件と言える。
話を戻そう。女は我々の繰り返しの説得で、ようやく態度を軟化させ、「本当に死んだ人いるの? 実は、お尻の奥に……」と、か細い声で語り始めた。
――覚醒剤かコカインか、どの程度の量だ。自分で出せるか?
「チャリ(コカイン)だと思う。量は少しかな。自分で出せるから……」
直ちに女性麻薬取締官を立会人として、女に直腸内のブツを取り出させ、提出を求めた。ブツはコカイン約40グラム。ラップでカチカチに固められた上、コンドームに詰められ、さらにラップで二重に巻かれてオイルが塗られていた。余談になるが「見ないで」と口ごもりながら俯きかげんにブツを提出する女の姿が今でも忘れられない。女性取締官が「辛かったね。でも本当にお尻だけなの?」と問い質したところ、「えーと、あっち(膣内)はちょっと具合が悪くて……」と小声で返答。実際に隠匿している様子は窺えなかった。
ところが、暫くすると、女は落ち着きがなくなり、腹痛を訴え出した。冷や汗もかいている。ここで改めて“飲み込み”を疑うことになる。私が「飲み込んでいるのだろ、言いづらかったよな。レントゲン撮影しよか」と促すと、女は無言のまま頷いた。
胃や腸などに隠匿しているブツを安全に取り出すには、令状が必要だ。
捜索差押許可状に鑑定処分許可状(※死体の解剖をはじめ、内視鏡やレントゲンなど医療行為を行うときに必要)、場合によっては身体検査令状(※下着内の身体を検証するときなどに要する)も請求する。捜索すべき場所は<被疑者の身体>、差し押さえるべき物は<体腔内(※この場合は、消化器・排出器・生殖器等の諸臓器のことを指す)の異物>とした上で、次の条件も付す。
<レントゲン検査機又は下剤・吐剤等の使用により体腔内の検査、異物の採取については、医師をして医学的に相当と認められる方法により行わせること>
つまり、被疑者の身体への影響を考慮して、細心の注意を払わなければならないということだ。
女を病院へ同行し医師の診断とレントゲンを受けさせたところ、胃と腸内に約4センチの異物が約12個あることが明らかとなった。
そして、<薬剤によって排泄を促進させ、自然排泄する処置が望ましい。中身が漏れ出れば生命の危険がある。全て排泄するまで数日の入院が必要だ>との医師の診断に基づき、女を緊急入院させることとした。女もこれに同意したが、実は、ここからが女にとって最も辛い時間となる。詳細は省くが、女は排便のたび、異物を取り出して洗浄し、立ち会い中の女性取締官に提出しなければならない。提出を拒むと取締官が手袋をしてそれを確認することになる。
「惨めだよ、お腹も痛いし。こんなことしなきゃよかった」と女はその都度、うな垂れる。女性取締官は「大丈夫だから。もう少し頑張ろうね」と励ますが、彼女もまた辛い。交代があるといえ、半日以上は女と病室にいなければならないのだ。当然、我々男性陣も病室前で待機する。捜査班というより彼女の命を守ることを最優先とする医療チームにならざるを得ないのだ。
約1日半をかけて女は排便し、<残余物なし>という医師の診断で退院が許された。嚥下していた異物はラップで繭のように包まれたコカイン12包、約60グラムだったと記憶している。
「現地の女から空港のトイレで手渡され、言われるままに包みをオイルに浸して1個ずつ飲み込んだ。コンドームのブツも自分で挿入した。約7時間のフライト中、胸やけはするし、お尻は気持ち悪いし、とても苦しかった」
女は辛い経験を振り返った。密輸の動機については「彼が“ブツを運ばなければ組織に半殺しにされる。オレは税関に目をつけられていて動けない。助けてほしい”と泣いて頼んできたので、嫌だったけど致し方なく引き受けた。今回で2回目。前は下着の中と膣内に少し隠しただけ。報酬は1円ももらってない……」と悲しそうに供述した。
その後、外国籍の男を逮捕するが否認に終始し、女を庇うどころか、ただの知り合いに過ぎないとまくし立てた。
もうお分かりだろう。これが外国人密輸業者なのだ。自分達は絶対に手を汚さない。常に他人を騙して利用する。男のスマホには、別の日本人女性4人との交信記録が残っていた。いずれも甘い言葉を連発しながら渡航を促していた。
女は男に騙され、命を懸けて薬物を運び、刑罰を受けなければならない。実に理不尽な話だ。たとえ、どのような事情があっても、ブツを飲み込んだり陰部に隠したりする必要はない(してはならない)。Drug Muleは必ず死に辿り着く。
瀬戸晴海(せと はるうみ)元厚生労働省麻薬取締部部長。1956年、福岡県生まれ。明治薬科大学薬学部卒。80年に厚生省麻薬取締官事務所(当時)に採用。九州部長などを歴任し、2014年に関東信越厚生局麻薬取締部部長に就任。18年3月に退官。現在は、国際麻薬情報フォーラムで薬物問題の調査研究に従事している。著書に『マトリ 厚生労働省麻薬取締官』、『スマホで薬物を買う子どもたち』(ともに新潮新書)、『ナルコスの戦後史 ドラッグが繋ぐ金と暴力の世界地図』(講談社+α新書)など。
デイリー新潮編集部