遺品は故人の生き方を反映する。大量のものに囲まれて一人で亡くなられた現場を見ると、「親子関係は良好だったのだろうか」などと、つい生前の暮らしぶりに思いをはせてしまう。誰もものを持っては逝けない。形はさまざまだが、結局のところ、最後は誰もが「身ひとつで逝く」。
孤独死、自殺、ゴミ屋敷、夜逃げの後始末……“社会の現実がひそむ”遺品整理と特殊清掃の現場を克明に記録した『遺品は語る』(赤澤健一著)から、日本の現状をお届けしよう。
『遺品は語る』連載第11回
『「海外で爆売れ」日本の中古品販売を取り巻くヒドすぎる現状と遺品リユースの意外過ぎる「実態」』より続く
世の中では、一時期「片づけ」がブームだったが、きちんと身の回りを片づけて暮らされていた方が亡くなられた場合、遺族も「ありがとう」と感謝しながら、自分たちで整理できるはずだ。しかし残念ながら、私どもがお伺いすると、ご依頼いただく方は膨大な荷物の量に途方に暮れていて、私どもを頼られるのだ。
つまり、現実には「片づけられない人」が多いということだ。その結果、多くのものを遺したまま亡くなられてしまう。それを片づけるサービスが必要な社会なのだ。
実際私どもは、そう考えざるを得ない現場に数多く遭遇している。
「祖母が一人住まいしている家を片づけて欲しい」と女性から依頼された案件も、そのひとつだった。90代の高齢で、遠方の山間部にお住まいだという。その家の中のさまざまな荷物の整理を、お孫さんが頼んでこられたのだ。
見積もりのために、40歳くらいのご依頼主と現地を訪ねた。大きな家ではないが、立派な造りの、歴史を感じさせる民家だった。
ところが、声をかけても応答がない。不審に思って中に入ると、玄関の次の間で、ご依頼主のおばあさまはお亡くなりになっていた。
きちんと正座をされて、そのまま前に倒れ込むような体勢だった。その手には洗濯物があった。おそらく、「見積もりに来る前に少し片づけておこう」と考え、作業をしているうちに亡くなられたのだろう。
もともとは今後の暮らしのために家の中の片づけを相談されたのだが、結局は後日、遺品整理にお伺いすることとなった。
遺品整理の作業を進めていくと、タンスの奥からノートが出てきた。タイトルは「10歳になった○○へ」だ。「○○」とは、ご依頼主の女性の方の名前なので、ご本人にお見せした。
「見覚えのないノートだわ」
ノートを開くと、そこにはお味噌汁など簡単な料理の作り方が記されていた。ご依頼主のお母さまが、娘のために作成したノートだった。
お母さまは、ご依頼主が小さい頃に他界されている。亡くなられたお母さんが「10歳になったら読んで欲しい」と考えて記したものの、渡せずに遺したノートを、おばあさまが保管されていたのだろう。なぜそのままになっていたのか、いまとなってはわからない。
「大切にします」
ご依頼主は、そう言ってノートを胸の前で抱きしめた。
『「どうして…」亡き母が遺したのは大量の新品タオル…そこに秘められた切なすぎる母娘の「感動エピソード」』へ続く
「どうして…」亡き母が遺したのは大量の新品タオル…そこに秘められた切なすぎる母娘の「感動エピソード」