2011年9月の紀伊水害で犠牲となった和歌山県那智勝浦町の中平幸喜さん(当時45歳)の愛車が修復され、4月29日に新宮市で行われた追悼行事で披露された。
会場に集まった約200人が幸喜さんをしのび、災害に備える気持ちを新たにした。(清水美穂)
11年9月4日、幸喜さんは自宅で土石流に巻き込まれた。妻と3人の子どもとともに遺体で見つかった。同市で営んでいた中古車販売店も被災。ガレージに置いていた愛車の「三菱ギャランGTO」は泥水をかぶり、動かなくなった。
「形見を大切にしたい」という兄の敦さん(65)(三重県御浜町)の思いをくみ、知人で同市の建設業、中村進太郎さん(41)が20年、修理に乗り出した。請け負う業者を探し、最終的に和歌山市でレーシングカーのチューニングショップを営む前原敏宏さん(55)が引き受けた。
ハンドルやシート、鍵はそのまま使ったものの、エンジンなど製造が終了していた部品はネットオークションも駆使して調達。さびていた300本以上あるボルトは取り換えた。前原さんは「古い車で、部品の調達や隙間に入り込んだ泥を落とす作業が大変だった」と振り返った。
形見の車が努力の積み重ねで復活した経緯を紹介し、明るくて気さくだった幸喜さんに思いをはせてもらおうと、敦さんが追悼行事を企画した。
29日午後、会場の新宮市の丹鶴ホールにギャランGTOが到着すると、幸喜さんの友人らが大きな拍手を送った。その後、参加者は黙とうをささげた。那智勝浦町の犠牲者の遺族でつくる「那智谷大水害遺族会」代表の岩渕三千生さん(63)(三重県紀宝町)が中村さんや前原さんらに感謝状を手渡した。
敦さんは「(東北を中心に甚大な被害を出した)東日本大震災の半年後に紀伊水害が起こった。いざ自分が遺族になると本当につらい。災害で命を落とさないために逃げる勇気を持ってほしい」と語った。
幸喜さんの長男の史都(ふみと)さん(35)は父の愛車の乗り心地を確かめた。「うれしそうにニコニコと運転する父の姿を思い出す。エンジン音も見た目も昔のままで、まさかこんな日が来るとは思わなかった。大切に乗りたい」と感慨深げに話した。