「子持ち様」という言葉がSNSで拡散され、子どものいる人とそうでない人の対立のように捉えられたり、ジェンダー問題で意見が異なって攻撃しあったり。立場が異なった状況で生きてきた人同士で、「わかり合えない」と絶望することはないだろうか。そして、絶望するのみならず、それが分断につながっていかないだろうか。
ジャーナリストの島沢優子さんは、朝日新聞で3月25日に配信された記事「弟は「かわいそう」じゃない おばあさんの言葉に怒り、考えたこと」という記事の「コメントプラス」にて、義母との体験を綴っていた。それはどういうことなのかを詳しく綴っていただく。
「かわいそかねえ」
テレビのニュースに映るダウン症のある子どもを指して、90歳の義母が顔をゆがめている。夫とともに帰省したこの春の出来事だ。私は即座に「かわいそうじゃないよ。あの女の子、あんなに楽しそうに生きてるじゃないの」と口を挟んだ。
その前日、義母は両親のどちらかが外国をルーツとするスポーツ選手に向かって「ああ、あの子は合いの子だねー」とつぶやいた。声を潜めて、という感じではなく堂々と言うので、そこでも「それは差別用語だよ」と息子の妻による注意喚起が発動。戦後日本に駐留していたアメリカの軍人と日本人女性の間に生まれた子どもを「合いの子」と呼んでいたことに端を発していることを伝えた。
「へえ~、そうなの」と言ってはくれたが、悪びれた様子はない。強く言うとせっかくの帰省が残念なことになりかねないため「今後は注意しようね~」と努めて明るく呼びかけた。
このことを私が義母に伝えたのは、義母の娘、つまり私の夫の妹は外国人と結婚して2児をもうけている。もっと敏感になってもらいたいのが本音だ。心の中で(おばあちゃんは自分の孫のこともそう呼ぶの?)と思ったけれど、そこまでは言わなかった。
義母の夫、私にとっての義父はすでに亡くなったが、生前は時折さまざま議論を繰り広げた。義父は教員だったため「子どもがちゃんと育つかどうかは母親にかかっている」とよく話していた。息子の連れ合いに対しプレッシャーになるのではないかという想像はない。逆に「孫の成長はあなたにかかっている」と発破をかけたかったのかもしれない。私から「お義父さん、それ、おかしくない?子どもは夫婦で育てるものでしょ?」と抗われても「男は働いとるやろうもん?」と言う。私が「私は働いてますよ」と言うと「あんたんところは特別」と言った。当時は、専業主婦世帯が7割、兼業主婦世帯は3割。20数年を経た現在、割合は逆転した。
とにもかくにも、彼らにとって私はうるさい「息子の嫁」なのだ。
一方で友人知人の話を聴いていると、高齢者の間違った価値観や差別意識を「年寄りだから仕方ない」「言ってもどうせわからない」と諦めてスルーすることが多いようだ。だが、そのことは、高齢者をともに社会を形成する一員として認めていないような気がする。もっと言えば、その感覚は他国と比べて70代、80代の高齢者が多い政治の世界に対する諦めとも地続きではないか。
自戒も込めて言おう。例えば自民党の裏金問題。そして昨今続く市長、町長といった自治体トップの方々のパワハラ・セクハラ問題。やってはダメなこと、理不尽なこと、人の道に反することを「もうご高齢だから言ってもわからない」と私たちはあきらめてきた。もしくは「わかり合えない絶望」を、わかり合うためにエネルギーを割かない言い訳にしてきたのではないか。
この「わかり合えない絶望」は夫婦間に生まれやすい。拙書『スポーツ毒親 暴力・性虐待になぜわが子を差し出すのか』に、夫の過干渉について私に相談してきた女性からのメールを彼女の許可を得て載せている。
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サッカーを続けている息子に対し、小学4年生ころからスタメンで出られないならサッカーを辞めろと言います。試合や、練習中は指示など出しませんが、帰ってからはダメだししかしません。5年生からは地元スポーツ少年団を辞めさせ、良い指導者と言われるコーチのチームに移りました。しかしベンチにいることが多くなり、遠征費や土日の交通費がかかる中、スタメンでなければ努力しろ、朝練しろと言い、サッカー選手になる努力が見られないと挙げ句の果ては、勉強に切り替え、6年生の秋にはチームを辞めさせ、中学受験をさせました。
結果は(父親の意向で)倍率の高い難関を受けたので受かることなく、地元中学に進みました。(中略)プロを目指さないならやる意味がない、親が高い金だしてる意味がないといつもいいます。
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女性は「息子は主人には絶対逆らいません。私も主人には逆らうことが出来ません」と電話口で嗚咽を漏らした。そして「夫とは永久にわかり合えません。そもそもこちらの話を聴く気がないんです」と嘆いた。どうしたらいいのか?と途方に暮れる彼女に、私は夫の成育歴に目を向けてはどうかと話した。聞けば、夫も厳しい両親から圧迫されながら勉強し、親の期待に応えてきたのだという。苦しかったはずだが、それが夫の成功体験となり同じことをわが子にも求めてしまう。そこには「自分はできたのに」という成功者バイアスがある。
女性は夫に、あなたはどう育てられてきたのか?と問いかけ話を聴いたそうだ。
その後、女性は離婚した。ただし、親権は女性がとり、養育費などのめどもついた。今でも子どもたちは父親に会わせているという。女性は「お金はないけど、幸せです」と声を弾ませた。結果的に離れ離れになりはした。けれども、強権的な態度だった夫が離婚に応じたのは、妻が自分の成育歴に注目し話を聴いてくれた時間がひとつの要素だったのではないか。
家庭をつぶす、子どもをつぶす。そうした人は白い目で見られがちだが、私たち全員が紙一重で生きていると感じる。価値観を塗り替えなくてはいけない今の時代、己のダメさ加減を嘆きつつ、目の前の子どもや児童生徒、部下やパートナーと向き合う。そして目の間の人の通ってきた道を一緒に手を引いて戻ってみる。それはひとつの他者との向き合い方だろう。
そんな話をすると、多くの人から「それは言葉を持っているあなただからできる」と言われる。けれども、悩みを抱える人を向き合うとき、私はただひたすらに彼女彼らの話を聴いている。前述したように、相手がどう育ってきたのかという成育歴や相手の痛みや辛さに一度目を向けてみては?としか言わない。
わかり合えない絶望は、対話と傾聴からしか救えない。
「話を聴いてもらえる」
その安心感は、人のこころをほぐす。これは、多くの取材や相談を受けることを経て確信したことだ。
ほぐされることから、学びは生まれる。例えば「アンラーン」という言葉がある。すでに持っている知識・価値観などを破棄することで、思考をリセットする行動を指す。著名な哲学者の鶴見俊輔さんが、『新しい風土記へ 鶴見俊輔座談』(朝日新書)でもこのアンラーンについて述べている。鶴見さんはヘレン・ケラーとの対話で「自分は大学でたくさんラーン(learn)したが、そのあとアンラーン(unlearn)しなければならなかった」と彼女が述べたことに対し、アンラーンという言葉をこのように表現している。
「アンラーンという言葉に、型どおりのセーターを編み、それをもとの毛糸に戻してから、自分の体型の必要にあわせて編み直すという情景を思い浮かべた」
(出典『新しい風土記へ 鶴見俊輔座談』朝日新書)
そして、アンラーンを「学びほぐす」と和訳したのだ。その後、私たちはアンラーンを、一度学び得たものを、その時代や価値観に合わせて有効的に使えるようにするために解体する行為としてとらえている。
単なる言葉遊びに受け取られるかもしれないが「学びほぐし」は、こころをほぐした先に生まれると実感している。例えば私は最近、スポーツの指導現場でパワハラをしたコーチと話すとき、なぜパワハラがダメなことかをくどくどと言い聞かせても仕方がないと考えるようになった。彼らはパワハラはダメなことだとわかっている。しかし「厳しくしないと……」と言う。パワハラと近いところに彼らの確固たる正義がある。新たな学びの水が入る水筒の蓋が開いていないのだ。
そこで彼らの通ってきた道を一緒に手を引いて戻ってみる。小さいころ。スポーツを始めたころ。喜び、悲しみ、つらさを共有すると、彼らのこころがほぐれる時間が訪れる。そこがアンラーンのスタートになる。空っぽだった水筒の蓋がとれ、新しい水が入り始める。
それと同じように、義母の人生や人となりを理解しなくてはと思う。以前、義母は汚職に手を染めた政治家を「この人にも親がいて、小さかった時もあろうにねえ」と言った。優しいのだ。夫が優しいのはこの人たちのおかげだと思う。だからこそ、彼女が百歳になっても私は言い続ける。
「あ、それ、おかしいと思うよ」と。
そして、もし私がなにかおかしいことを言ったら、かつて私に「それおかしいよ」と言ってくださった方々と同様に、子どもたちやそのパートナーたちからもも言ってほしいと心から思っている。
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