「一言で表現すれば『バカだな』と。博行という名前は『広く行き渡るように』という思いで命名しましたが、まさかこんな形で行き渡ってしまうとは…」
こう嘆くのは、前防衛副大臣である宮沢博行氏(49)の実母だ。
自民党安倍派の裏金問題で、派閥からの指示があったことを認め、「安倍派を介錯する」と語っていた宮沢氏が突如、議員辞職願を提出したのは4月23日のこと。その際、「私の不祥事が重なり、辞職を決意した」と語るのみで、不祥事の詳細については明かさなかったが、翌24日、その内容が女性問題であることが判明した。
報じたのは25日発売の「週刊文春」。「裏金前副大臣はパパ活&デリヘル常習!」というタイトルの記事によると、妻子を地元・静岡に残す宮沢氏はコロナ禍で緊急事態宣言下にあった2021年2月から約1ヵ月、出会い系カフェで知り合った28歳女性と都内のマンションで同棲。その関係は金銭援助を伴うもので、いわば「パパ活」だったという。
議員としての資質が問われる行動はこれにとどまらない。宮沢氏が出会い系サイトに登録して「卒業のお手伝いします」と男性経験のない女性を探していたことや、都内の自宅マンションに2夜連続で派遣型風俗店の女性とみられる人物を呼んでいたことも報じられた。
「週刊文春」の直撃取材に対し、「(理由は)寂しさと欲望です。相当、性欲が強かったものですから」などと事実関係を認めた宮沢氏は、いったいどんな人物なのか。
本会議で辞職が許可された25日、静岡に住む母を電話で直撃した。
当初、母親は「何を聞かれてもノーコメント」と頑なだったが、質問を重ねていくと、何かが吹っ切れたのか、現在の宮沢氏の様子や息子への素直な思いについて、こう明かした。
――息子さんから連絡はありましたか?
「まだ直接話はできていません。私が一方的にメールを送っています。記事を読みましたが、バカだなと思いました。即座に『バカ野郎!』とメールすると、本人からは『すみません』と返事がきました」
公式HPによれば、宮沢氏は静岡県出身。眼下に天竜川を見下ろす10軒ほどの小さな集落で生まれ育った。父は土木の作業員、母は農協の職員。泥と汗にまみれて帰ってくる父から「働く人の姿はかくあるもの」と学び、母からは「楽をして稼ぐ多くのお金より、苦労して稼いだ少しのお金のほうがずっと値打ちがあるのだよ」と伝えられてきたという。
そんな少年が政治家を志したのは中学3年の夏。晩酌中の父から「ことが起こってから国を守るのではなく、そのこと自体を防ぐ人間になれ」と言われたことがきっかけで猛勉強の末、地元の公立高校から東京大学法学部に進学した。
「神童? そんなものではないです。普通の子どもでした。本人が何と言うかわかりませんが、私から言わせれば、あれ(東大合格)はまぐれです。
そもそも、うちは教育熱心ではなかった。息子が生まれ育った家は私の実家ですが、私の父も婿だった旦那も土木関係の仕事をしていました。
政治家を出すような家ではありません。私自身も勉強が大嫌いでしたし、あの子の妹も勉強が好きではなかった。言ってみれば、息子は突然変異です」
世襲が蔓延する政界にあって、宮沢氏の歩みは異質だ。東大法学部出身だが、就職氷河期に重なり、就職活動に失敗。その後はファミレスのアルバイトや塾講師、派遣社員などを転々とした。しかし2003年、意を決して磐田市議会議員選挙に立候補。市議を三期務め、自民党が政権を奪還した2012年の衆院選で国政進出を果たした。
「就職がうまくいかなかったのは、本人がダメだったからでしょう。本音を言えば、私は地元に戻って県庁に勤めてほしかった。それが政治の道に進むなんて…。ただ、亡くなった旦那は喜んでいました。旦那は政治が好きで、息子ともよく政治談議をしていました。息子が初めて市議選に出たときも、一生懸命選挙活動を手伝っていましたね」
四期目だったが、目立った活躍はなかった。そんな宮沢氏が一躍有名になったのが、安倍派の裏金問題だ。
2023年12月、宮沢氏は「私の不記載分は140万円。派閥の方から、収支報告書に記載しなくていいと指示がございました。はっきり申し上げます。しゃべるな! しゃべるな! これですよ」と派閥ぐるみの裏金づくりを暴露し、派閥幹部を公然と批判。
年が明けた2024年1月には、「安倍派は解散すべきである。私は派閥に残って、派閥を介錯する」と派閥の解散にも言及した。
こうした行動に対し、自民党内では「男を上げた」と評価する声がある一方、「完全なスタンドプレー。いつか刺される」という冷ややかな声もあったという。
「あのとき、息子には『(余計なことは)しゃべるな』と言ったんです。まずいと思いましたね。自分もそのひとりに入っているのに何をえらそうに話しているのか。バカじゃないかって。国会を追い出されるぞと思いました。で、その結果ねぇ。
でも、隙を見せた本人が悪いんですよ。国会議員であることを常に頭に入れて行動しておくべきだったと思います。静岡では奥さんが3人の子どもを抱えて一生懸命やってくれていた。それを頭に入れて常に行動すべきだった。本当にバカ野郎です」
そんな宮沢氏はいったい、どのような幼少期や青春時代を送ってきたのだろうか。
つづく後編記事『性欲が強かったもので…「パパ活不倫辞職」宮沢博行氏の実母が明かした「息子が童貞だった頃」』では、当時の様子や、一連の騒動のさなかに交わしたやりとりについて、母親の告白をさらに紹介します。
性欲が強かったもので…「パパ活不倫辞職」宮沢博行氏の実母が明かした「息子が童貞だった頃」