〈川勝平太知事が「リニア中央新幹線」反対姿勢を強めた2013年に何があったのか「JR東海は本当にやってくれるのか」という不信の始まりは…〉から続く
リニア新幹線問題を考えるうえで重要なのは、川勝平太知事のJRとの対決姿勢が一定程度静岡県民に支持されていたという事実だろう。
【画像】ヘッドライト、監視カメラが高い場所についた「新型新幹線」の顔。この高さは24年ぶり
筆者の友人の静岡県出身者によると、静岡県民のJR東海に対する好感度は他県よりも低いようだ。「のぞみを静岡に停めてほしい」「東海道新幹線に静岡空港駅を作ってほしい」という要望をJR東海は却下していたことが理由だという。
川崎市の工区てはトンネルかすてにメティア公開されたことも 時事通信社.jpg
のぞみの静岡停車については、「のぞみ通行税」としても話題になった。2002年の静岡県議会で「通過するだけののぞみとひかりの乗車人数に応じて地方税を課したらどうか」という議論があり、当時の石川嘉延静岡県知事が「検討に値する」と答弁したのだ。
静岡空港駅の地下を通る東海道新幹線に駅を設置する運動も県をあげて実施し、調査予算も計上していた。
静岡県内には熱海、三島、新富士、静岡、掛川、浜松と6つの新幹線停車駅があり、沿線都府県でもっとも多い。すでに東海道新幹線に優遇された県ともいえる。しかし需要バランスも均衡しており、どれか1つを主要駅としてまとめられないという事情があり、JR東海はリニア中央新幹線の開通後は東海道新幹線の静岡県駅停車を増やすと説明している。
しかし静岡空港駅はJR東海にとって需要がない。そもそも、運営がうまくいっていない静岡空港駅を活性化するために生まれた案であり、JR東海の責任はない。
川勝知事は、静岡空港を首都圏の第三空港にしたいと発言したことがある。成田、羽田につぐ首都圏の第三空港となれば、国の支援も受けやすくなることを見越してのことだろう。そしてそのためには、東海道新幹線の駅を作って東京へのアクセスを良くしたい、ということだ。
とはいえJR東海から見れば、静岡県が首都圏第三空港になってから新幹線の駅を作るかを検討したいところだろう。そこで話は止まっていた。

静岡県民の中にうっすらとあった「JR東海が言うことを聞いてくれない」という感情を知っているからこそ、地元紙の静岡新聞は“県民の側”に立ち、専用のSNSアカウントまで作ってJR東海批判を繰り広げた。
大井川の水量問題は、静岡県の「命の水」の危機として対立を煽る報道は全国紙やテレビなどに伝播し「静岡県vs JR東海」の構図は鮮明になっていった。
いま思えば、川勝知事にとっての真のゴールは「静岡県内を通らないこと」だったのだろう。だからこそ「リニア中央新幹線には賛成の立場」なのだ。しかしJR東海から良い返事がなければ国土交通省へ要請し、国土交通省が要求を蹴れば環境省へ赴く。そうやって実際の工事はどんどん遅れていった。
静岡県の働きかけに応じて、国土交通省はリニア中央新幹線の「水問題」「生物環境問題」について「有識者会議」を立ち上げた。当初は国もJR東海に対して「きちんと説明するように」と指示していたが、それでは収まらないという判断だ。
2020年から13回にわたる長い議論の末、水問題に関しては「JR東海の考え方、対処によって中流下流域に影響なし」という「中間報告」を出した。ちなみに中間報告は行政用語で「議論終了」を意味する。
「生物環境問題」も有識者会議によって、22年6月8日から14回にわたり検討された。該当地域の生物環境は地下水ではなく地表から浅いところの表層水で維持されていることがわかった。
ただし、自然環境は「なにがおきるかわからない」不確実性があるため、35の沢のうちトンネルと交差する11の沢を選び、トンネル側に水が流出しないように凝固剤で固めることとした。その上で、定期的に現地調査を行う「順応的管理」を実施する。これは遠隔モニターではなく、実際に登山して調査するという。これも決着である。

最後の「トンネル掘土」の置場について、JR東海は山中の3カ所を選定した。土地所有者とも合意済みで、山奥のためダンプカーが人里を走ることもない。重金属など毒性のある成分を含む「要対策土」は遮水シールドで密封する。また、降雨時は排水をまとめて水質を検査し、基準を満たす水を川へ流す。
この対策について静岡市の難波喬司市長も「JR東海の設置方法で概ね問題ない」と表明した。難波氏は、国土交通省で港湾局災害対策室長を務めた技術官僚出身である。
川勝知事は「その場所は深層崩壊の懸念がある」と反発したが、難波市長は「盛り土はむしろ下流域への崩壊を防ぐ。大規模な土砂崩れの予測と対策は河川管理者の県の責任」でありJR東海は責任を負わないという見解を示した。そもそも鉄道の盛り土は「ただの土砂捨て場」ではない。東海道新幹線だって盛土の部分はたくさんある。盛り土は鉄道技術による「建築物」なのだ。
これで静岡県が懸念する「水問題」「環境問題」「盛り土問題」は解決したことになる。
しかし静岡県は国の有識者会議の結論を受けて「2019年に提出したJR東海との対話を要する事項47項目のうち、30項目が終わっていない」とし、引き続き県が独自に結成した専門家会議で議論すると主張した。これでは甲子園で優勝校が決まったのに、もう一度地方予選をやらないと結果を認めないというようなものだ。あるいは、最高裁で判決が出たのに、もういちど地方裁判所に訴えるというべきか。
しかし、川勝知事の突然の辞任によって静岡県庁はハシゴを外された形になった。こんどは静岡県庁の引っ込みが付かない。反リニア中央新幹線で固めた専門家会議をどうクリアしていくかは今後の課題になる。

国の有識者会議の検討と同時期に、JR東海は大井川流域の人々に説明会を開いて事業への理解を求めていた。もっと早くやっておくべきだったとも言えるが、川勝知事が2018年に「JR東海との交渉を知事戦略室に集約する」として、JR東海と流域の直接対話を禁じていた経緯もある。説明会の後、流域の自治体は少しずつJR東海に理解を示し、「県は情報を伝えてくれなかった」「県の話とは違う」という声が出始めていた。
この頃から、川勝知事の不規則な発言が増えている。「静岡工区だけが遅れているわけではない。他の工区も遅れている」と神奈川県を批判して神奈川県知事に反論されたこともある。確かに他の工区も遅れているが、静岡工区は「着工できていない」状態だ。この差は大きい。
リニア中央新幹線の部分開業について、JR東海などは東京~名古屋間を指しているけれども、川勝氏は東京~甲府間を指し「JR東海も部分開業と言っている」と発言した。国のモニタリング会議は有識者会議の状況を確認する会議であるところ、川勝氏は「JR東海の素行をモニタリングする」ような勘違いと思われる発言もした。もはや報道する側も川勝知事の本意がつかめない様子だった。

長く鉄道取材を続けてきた人間として、静岡県はリニア中央新幹線の着工の可否という段階を終わらせて、補償の形を詰める段階に入るべきだと思う。川勝知事の後を決める選挙で、候補者にはぜひ国の有識者会議の結果を受け入れるか、反発を続けていくかを明確にして県民の意見を問うてほしいものだ。
選挙で静岡県民がどのような判断をするかはともかく、次の静岡県知事は、川勝氏より話が通じる人であってほしいと願わずにはいられない。
(杉山 淳一)