生活保護受給、自己破産、刑務所帰りなどなど――、そんなワケ有りゆえ、家を借りられない人たちに家を貸す大家。これを今ではエクストリーム大家というそうだ。
ごく普通のサラリーマンとまったく異なる価値観で生きている人たちを日々相手にする俺の日常を綴ってみたい。世間一般でまっとうに生きている人たちにもきっと生きるうえでのヒントになるはずだ。
俺の物件に長く入居している生活保護受給者のマサヤさん(52歳)は、うちの物件の入居者には珍しく、かなりの高学歴だった。世間では難関で知られる大学の卒業。そこの大学院まで出ている。もっとも最近では大学院を出たという人は、さほど珍しくはないのかもしれない。
この俺ですら就職超氷河期の時代の大学卒業だ。幸い、大学院に行くだけの学力が認められて名ばかりの修士課程を出ている。もっとも就職戦線に出遅れてしまい、ろくな就職口がなく、やむを得ず院への進学を決めたのだが。
そんな事情での大学院進学だ。さすがに研究者となるためのコースである博士課程にまで残る力もなければ、指導教授からの引き留めもなかった。それで入ったのがこのマスコミ世界である。
対して、うちの入居者のマサヤさんは、大学、そして大学院修士、博士の両課程、すべて“旧帝大(旧帝国大学)”という、いわば学歴だけみれば超がつくエリートだ。
同じ大学院出といっても俺のような三流私学でもなければ、修士で終わりでもない。順当に行けば大学の正規雇用教員、いわゆるアカデミックポストについて、大学キャンパスやどこぞの研究所でインテリとしての人生をまっとうする……はずの人である。
そんなマサヤさんが、現代の貧民窟ともいえるうちの住人になった経緯は、ただただ、職に有りつけず、貧困に――、だ。
なぜ、エリートにしてインテリのマサヤさんが、このような貧困という境遇に陥ったのか。マサヤさん本人に語って貰った。
僕が大学を出たのは1995年です。世間でバブルが崩壊して就職市場もそれまでの売り手から買い手市場へと変わったという時期になります。今52歳です。
とはいえ、正直、僕にはあまりそういうのは関係なかったですね。というのも、そもそも大学に入ったその時から、朧気ながらですが就職する気はなかったですから。だから大学院への進学か、留学か……、とにかく、「就職する」という選択肢はなかったです。
家は地方の中小企業、地場メーカーというのですか、そこのサラリーマンだった父親とパート主婦の母親です。妹がいます。僕と違って勉強こそ出来なかったですが、お友達もいっぱいいてコミュニケーション上手でしたね。商業高校時代からガソリンスタンドでアルバイトして、自分で原付、車を買って、と、そういうタイプの女の子です。今は、もう結婚して、二児の母ですよ。
この父、母、妹――、みんな「普通に生きている人」たちです。別の言葉を用いるとしたら、「世間一般と折り合える人」たちですね。
それが僕はどうしてもできなかった、です。
別に裕福な家庭という訳でもありません。だから大学、その後の大学院修士、博士……、すべて奨学金です。というか“借金”ですね。大学4年で約250万円、修士2年の約200万円、博士3年での約440万円だったかな……。合計9年間で約1000万円です。これに延滞利息が結構な額ついています。それがいくらか、借り入れ先の日本学生支援機構からも連絡が来ているのですが、自分でもわからないです。怖かったんですよね。奨学金、結局は借金ですが、支払えるわけもないその借金の総額を知ることが。
そこまでして進んだ大学院は、僕にとっては居心地のいい世界でした。だってどうしても世間と折り合えない、時間に縛られて、何か単純作業をすること、そうしたことが無理なんです。
でも、大学の専攻でもある、ずっと興味のあったことを研究したり、調べたり、そういうことは好きなことなので出来ましたね。
専攻は、わかりやすい言葉なら天文学になります。理系だからどこか就職できただろうと何度も親や周囲から言われました。僕に言わせれば文理系関係なく、周囲と折り合えてコミュニケーションが取れる人――に限られた話ではないですかね。
学部、修士、博士と、大学時代は、そういう事情もあってあまりアルバイトはしませんでした。というか出来ませんでした。
学校での勉強、課題もそれなりにあって忙しかったこともあります。正直、それ以上に、アルバイト先、そこの人間関係が嫌というか煩わしいというか。
別に、アルバイト先の人たちに何か嫌なことをされたとか、そういうことはまったくないんです。ただ初めて人と会うとか、誰かに指示をされるとか、もし自分が単純作業でミスしてアルバイト先に迷惑をかけたら、それで自分がそこでの上長から注意されたら……と考えるだけでもストレスになるんです。
たまに単発の肉体労働で現金収入を得るくらいです。だからお金はあまり持っていません。それが今に至るまで継続しています。
大学院の博士課程を満期退学した30歳から52歳の今まで、生活の基本は同じ。大学院生、学生ですね。カネがなくなれば借りるか、ちょっとバイトしたらいいという感覚です。自由ですね。
大学を卒業するまでは、生活費、小遣いとか、そのすべてを奨学金と親からの仕送りで賄っていました。もちろん足りません。親に言ってもはぐらかされる。だからキャッシング、借金を繰り返す。借金は奨学金以外にも、いくらか過去にもあったし、今もあります。
別に派手な生活をしているわけでも何でもないんです。それでもただ大学で勉強しているだけ。研究者世界の末席を汚していただけなんですがね。それももう15年くらい前までの話ですが。
経済状況は、お察しの通り、大学生の頃の10代後半から50歳を超えた今に至るまで、ずっと貧困です。それでもそんなに苦でもないです。毎月15万円もあれば、かなり僕のなかでは贅沢な暮らしだと思っているので。
正直、今がいちばん幸せです。だって毎日、好きな時間に起きて、好きなように天文学に触れられて。カネがないのは不便ではあります。でも、なければないでなんとかなるものですから。
非常勤でも大学とかで教えるという話は、35歳くらいまでは時々ありました。でも、やる気はない。人に指示されることが嫌いです。同じように人に指示したり、教えたりということも嫌なんですよ。
結局、働くこと、それが苦痛で嫌なことなんです。
できるだけマサヤさん本人が話していることを忠実に紙面上に再現したつもりだ。
俺は医師ではないので軽々しいことはいえない。だが、大家の立場で、日々、このマサヤさんと接していると、うちにいる他の住人たち何人かと同じく、もしかして発達障害を抱えているのではないかと思うことがある。
さらにマサヤさんのその後については、<「旧帝卒の超高学歴」なのになぜか「貧困&借金地獄」に陥った「52歳男性」がとった「ヤバすぎる戦略」>にて引き続き紹介する。
「旧帝卒の超高学歴」なのになぜか「貧困&借金地獄」に陥った「52歳男性」がとった「ヤバすぎる戦略」