※本稿は、米澤好史『発達障害? グレーゾーン? こどもへの接し方に悩んだら読む本』(フォレスト出版)の一部を再編集したものです。
愛着という絆は、こどもが健やかに成長し、人生を豊かにしていくための基盤となるもの。こどもたちは、安定した愛着を結ぶことでゆるぎない自己肯定感を育み、人を信頼し、自立して歩みを進めることができるようになります。
愛着形成は、どんな子にとっても必要不可欠なものなのです。
ただ、本書でもお話ししているように、愛着の問題は「3歳児神話」と俗に言われるように乳児期の親の養育の問題だという間違った理解が広まったため、ある意味でタブー視され、親としてはあまりさわりたくないものとして扱われてきました。
けれども愛着の問題は、こどもたちをよく観察し、適切な対応を重ねていけば回復していくものであるという事実を、私自身が何万というこどもたちに出会うなかで確認してきました。
愛着の問題は、いつでも、誰にでも修復していくことができるのです。
さて、そこでまず重要になるのが、その子の“特徴”を見極めること。
こどもの抱える問題が「発達障害(ADHD)」の特徴なのか、「愛着の問題」の特徴なのかを見分ける必要があります。そして見分けるためのカギとなるのが、本書の第1章でお話しした〈行動〉か〈認知〉か、〈感情〉か、という観点です。
とくにつぎの5つのポイントでこどもたちの行動を観察すると、その子の“特徴”がよく見えてきます。
こどもと生活をともにする大人であれば誰でも見分けられるのが、「多動」のあらわれ方です。
落ち着きがなく動き回る「多動」は、ADHDに特有の行動だと思ってしまいがちですが、実はそうとも限りません。ASD(自閉スペクトラム)のこどもにも、愛着の問題を抱えるこどもにも多動は起こるからです。
ただ、その違いを見分けるのは難しくありません。
ADHDのこどもは、とにかく「いつでもどこでも」「何をしているときでも」多動です。
学校でも保育園でも、学童保育でも放課後クラブでも、スーパーでも公園でも、もちろん家でも、いつでもどこでも何をしていても落ち着きなく動き回ります。
「普段と違うから」とか「居心地がわるいから」というような〈認知〉とも無関係ですし、「楽しいから」とか「怒っているから」というような〈感情〉とも関係ありません。ただただ〈行動〉の問題として多動なのです。
自宅にいるときだけの行動では判断できないので、園や学校、学童などでも同じように多動であるかを確認する必要があります。
いろんな人からの情報を得て、「いつでもどこでも」多動だとわかれば、その子はADHDであるということになります。
多動という特徴があっても、それが「いつも」ではないと気づいたら、他の可能性を探ってください。
ASDのこどもに起こる多動は、「居場所感」という〈認知〉と関係しています。
居場所感とは、「ここに居ていいんだな」「これをやっていればいいんだな」というとらえ方のこと。居心地のいい場所で自分の好きなことをしているとき、ASDのこどもはとても落ち着いています。
では、いつ多動が起こるのか。それはこの居場所感を失ったときです。
たとえば、こどもが落ち着いてお気に入りの本を読んでいるとしましょう。そのときに、「そろそろ出かける時間だから終わりにして」と言ってもなかなかやめません。
そこでさらに「ほら、早く準備をしないと間に合わないでしょ!」と本を取り上げると、居場所感を突然奪われたと感じて、その場を走り回り部屋を飛び出してしまう。
そんなことがあります。
また、急な予定変更やルール変更があるときにも、同じように反応します。
これがASDのこどもの多動です。
愛着の問題を抱えているこどもの場合、多動に「ムラがある」のが特徴です。
昨日は落ち着いていたのに、今日は落ち着きなく動き回るという現象がしょっちゅう起こります。
このムラを生じさせているのは〈感情〉です。
もちろん感情は一瞬にして変わるものですから、一日中同じ気持ちで過ごせる人などいません。この変わりやすい〈感情〉の影響を受けて、多動になったりならなかったりするのです。
たとえば学校で、好きな教科の授業では落ち着いているのに、嫌いな教科では落ち着きなく動き回ってしまう。これは、「好き/嫌い」という感情に左右される“ムラのある多動”です。「やりたくないのにやらなきゃいけない」このネガティブな気持ちが、多動を引き起こします。
また、今、目の前で嫌なことが起きていなくても、過去の感情が原因で多動が起こることもあります。
たとえば、朝お母さんに怒られたことが気になって感情がコントロールできないというようなときです。
他にも、お母さんとふたりきりのときは大丈夫なのに、スーパーに行くと多動になってしまう子もいます。いろんな人やモノなどの刺激のせいで、感情が高ぶってしまうからです。
したがって、愛着の問題を抱えるこどもにあらわれる多動は、〈感情〉に左右されます。そのため、その子の感情の発達の段階や、混乱具合によって、日ごとに多動の度合いが変わったり、週ごとにパターンがあったりと、その子によって独自のムラがあります。
こうした多動のあらわれ方の違いは、日常的に一緒に過ごす人であるほど、見極めは難しくないはずです。
逆に、普段の姿を見ていない医師や専門家には、正しく判断できないことも多いのです。
繰り返しになりますが、人間関係は、愛着という絆を結んだあとで築けるようになります。ですから、その愛着の絆が結ばれていなければ、当然他者とのトラブルが起きやすくなります。
愛着の絆がうまく結べていないと、感情が未発達で自分の感情がわかりません。そのため、「謝れない」特徴があります。
罪悪感という感情を獲得できていないので、素直に謝ることができません。「自分が嫌な気持ちに見舞われている」ことはわかるけれど、謝ることでその感情が軽くなることを知らないのです。
また、〈感情〉の問題がつねに根底にあるため、どんな状況下にあるかによる影響を受けやすく、とくに集団のなかにいるとき、困った行動が出やすくなります。
「1対1」の場面では比較的落ち着いているけれど、「1対多」の場面ではアピール行動などが頻発して、落ち着きがなくなるのです。
ADHDのこどもも、行動の問題のせいで結果的に友だちとの関係がうまくいかないことがあります。
けれどもADHDのこどもの場合は、自分のせいで相手に嫌な思いをさせたんだと気づけば、すぐに謝ることができます。
ここが愛着の問題を抱えているこどもとの違いです。
ADHDは先天的な〈行動〉の問題ですから、状況の変化による影響はほとんど受けません。つまり、自分の感情が原因で行動に問題が起こることはないのです。
一方で、ASDのこどもにとっていつも問題となるのは、〈認知〉です。
自分がとらえている世界に、他の人が勝手に入ってくるのを好みませんから、没頭して遊んでいるところに誰かがやってくると払いのけてしまいます。
相手に悪気はなく、ただ一緒に遊びたかっただけだったとしても、その背景が理解できないため、トラブルが起きてしまいます。
このように友だちとの関係にトラブルが起きた際、そのあとの言動を観察することで、こどもたちの特徴が見えてきます。
「片づけができない」「ルールを守れない」のは、ADHDのこどもにも、愛着の問題をもつこどもにも見られる現象で、よく混同されがちです。
けれども、「なぜできないのか」の理由がまったく異なります。
まず、ADHDのこどもは、片づけが本当に苦手です。片づけという作業は簡単に見えて、実はそうでもありません。
「モノを集めて→分類して→箱に入れて→棚にしまう」という具合に、いくつもの工程を順番にこなしてやっと完結する作業だからです。
ADHDのこどもは、こうした一連の作業を最後までやり遂げることが大の苦手。注意欠如や衝動性という特性のために、途中で他に注意がそれたり、突発的に別の行動をしてしまったりして、最後まで片づけを遂行することができません。
一連の行動を完遂できないという〈行動〉の問題なのです。
そこでADHDのこどもたちに片づけをしてもらうときには、片づけという一連の行動を一気にやらせないようにしましょう。
「まずはこれだけ」「つぎはこれ」「最後はこれだよ」というように、作業ごとに小分けにして取り組むようにして、都度確認します。そうすれは、片づけも難なく終えられるのです。
ルールを守れない理由も同じです。
「ルールはちゃんと守らなきゃ」と思っていても、自分の〈行動〉が制御できないためにはみ出してしまいます。
ですから、もちろん反省するのですが、またすぐに同じ行動をしてしまうのも特徴です。
それに対して、愛着の問題を抱えるこどもが片づけられない理由は、別にあります。
片づけが苦手だからではなく、「なぜ片づけないといけないのか」「片づけるとどんな気持ちになるのか」がわからないからです。「片づけると気持ちいいんだ」が実感できないので、ちっとも意欲がわかないのです。
片づけると気分がスッキリするし、充足感も得られるわけですが、そうした感情自体を学べていないので、いくら言われても響きません。
気分がいいときは片づけに取り組むこともありますが、やる気が持続しないので最後まで遂行できません。
ルールを守れないのも、やはり原因は〈感情〉の問題。ルールを守って行動したほうが気持ちいいという感情が育っていないのです。
むしろルールを逸脱して、自分に注目を集めようとする特徴があります。安心感に代わる快感を求めての行為です。
一方で、ASDのこどもは、本人のとらえ方(=認知)次第で片づけをしたり、しなかったりします。
片づいた状況に心地よさがあったり、片づけることに意味があるととらえていれば、完璧に片づけるのがこの子たちです。
ルールも同じで、自分のとらえ方と合致していれば完璧に守り通しますが、自分のとらえ方と合わない場合は断固拒絶します。
「一般的にこうだから」「決まりだから」という理由で動くことはありません。
本人が納得できる理屈があるときにだけ、行動にうつせるのです。
不適切な行動を注意されたときにどんな反応をするか。これも、こどもたちの“特徴”を見極めるための重要なポイントになります。
「その行動はよくないね」と伝えてあげると、すぐに気づいて正すことができるのがADHDのこどもです。
ただ、その注意された内容をすぐに忘れてまた同じ行動をしてしまうので、そのつど確認してあげる必要があります。
そこで「どうしてそんな行動をしちゃったの?」と理由を尋ねると、たいていは答えが返ってきません。もともと振り返りが苦手なので、自分がなぜその行動をとったのか思い出せないのです。
また、「それは××のあとにやろうね」と指示したことに対して、待てずにすぐやってしまうのもADHDのこどもの特徴です。
なんでも“すぐ”がADHDと言えます。
それに対して、愛着の問題を抱えるこどもたちは、不適切な行動を指摘すると「知らないよ」「自分じゃないよ」と自己防衛的な反応をします。
理由を聞いても「知らない」とシラを切ったり、「だって○○くんが先にしてきたから」と誰かのせいにして言い訳します。
「自分を守ってくれる人がいる」という安全基地を体感できていないので、自分を守るためにウソを並べ、正当化しようとするのです。
「それは××のあとにやろうね」という指示に対しては、気分に左右されます。
気が向けば指示に従うこともありますが、ご褒美だけ先にもらって、肝心のことはしないということも少なくありません。
困った行動を注意すると、「だって……」と自分の理屈で反論するのがASDのこどもです。
自分が納得できないことは、なかなか受け入れられません。
一人ひとりに独自の世界観がありますから、その子がどんな世界を見ているのかを探り、一緒に同じ世界に入ってみないかぎり、どうしても食い違いが起こります。
そのため、傍から見れば不適切な場合でも、自分がしたいと思えば実行します。
そこで理由を聞くと、「そんな理由なの?」と思うような独自の返答が返ってくるのも特徴。ASDのこどもが何か行動するときの基準は、いつでも自分の〈認知〉だからです。
こどもの困った行動を目撃したとき、あえて無視したり、取り上げない対応をしたりして、こどもの反応を観察してみてください。
ADHDのこどもは、その行動に報酬を与えられなかったので、自然とその行動はなくなります。
これは、「計画的無視」という方法で、応用行動分析・認知行動療法でよく使われるものです。ペアレントトレーニングでもよく使われていたりしています。
一方で愛着の問題をもつこどもは、感情の問題があるため無視をすると余計に「こっちを向いてほしい」という気持ちが高まり、アピール行動が大きくなります。
すると、困った行動が増えたり、無視された人の言うことを聞かなくなったりしてしまいます。無視することでは関係性をつくれないからです。
ASDのこどもたちは、無視されたことをどうとらえるかで反応は変わります。
そもそも自分の行動を、他の人がどうとらえるかについてあまり興味がないので、結果として効果がないことが多くなります。
わが子のこととなると、客観的に観察して判断するのは簡単ではないかもしれません。それでも、それぞれの特徴の違いを知っておくと、むやみに心配する必要はなくなります。
こどもたちの“特徴”を見分ける際にチェックするといいポイントを図表1にまとめましたので、日常生活のなかでお子さんがどんな反応をしているか、観察してみてください。
お子さんの特徴がわかってくると、気になる行動の見え方もまた、変わってくると思います。
———-米澤 好史(よねざわ・よしふみ)心理学者和歌山大学教育学部教授、臨床発達心理士スーパーバイザー、学校心理士スーパーバイザー、上級教育カウンセラー、ガイダンスカウンセラー・スーパーバイザー。1961年生まれ、奈良県出身。臨床発達心理学・実践教育心理学が専門。保育園や幼稚園、小中高や支援学校、医療福祉施設など、子育ての現場に自ら足を運ぶ。何千、何万というこどもに触れ、現場の視点を大切にし、支援者が元気になり納得できるを信条に、親や教育者、支援者へ“愛着の問題”解消のためのアドバイスを行っている。また、保育・教育・福祉関係者から保護者まで、幅広い層を対象とした数々の講演会で講師としての実績も豊富に持つ。———-
(心理学者 米澤 好史)