「否定的な報道やインターネット上の書き込みについてですが、誤った情報が、なぜか間違いのない事実であるかのように取り上げられ、謂(いわ)れのない物語となって広がっていくことには、強い恐怖心を覚えました」
上に示したのは、令和3(2021)年10月26日に秋篠宮ご夫妻の長女・眞子さんが、結婚に際して小室圭さんとともに公表した文書の一部である。
この結婚までの数年間、小室家の金銭トラブルについての報道が世に氾濫していたことは記憶に新しい。そもそもプライバシー侵害ではなかったか、という疑問はこの際置いておこう。それらが全て事実だったならまだしも、中には事実無根の内容も相当あったそうだ。
そしてその「謂れのない物語」を土台にして、秋篠宮ご一家や小室親子への誹謗中傷が飛び交った。眞子さんは当事者として特に激しいバッシングに晒され続けたあげく、複雑性PTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症してしまった。
2021年10月に行われた記者会見の様子[Photo by gettyimages]
これを苦い教訓としてのことだろう。令和4(2022)年夏、宮内庁は情報発信力を強化すべくSNSの活用――いわゆる「皇室SNS」の開設――を検討すると発表した。
経緯に思いを致すと素直に喜べないが、このニュースに接して「宮内庁もようやくその気になったか!」と期待に胸を踊らせた人は多かろう。日本やタイなど、なぜかアジアの東方には消極的な宮廷が少なくないけれども、他の地域の宮廷がSNS上での広報にかなり積極的なことは、よく知られた話だからだ。
話題に上ることが多いヨーロッパの王侯貴族はいうまでもなく、中東の諸王家も熱心だし、アフリカ大陸においては伝統的首長(※俗にいう部族王)も大勢活用しているのが現状である。
イギリス女王エリザベス2世の崩御に世界が注目した2022年9月8日、昭和から平成への御代替わりを記憶している日本人は大いに驚かされたことだろう。宮内庁が昭和天皇の崩御を記者会見で初めて明かしたのとは対照的に、英国王室が最初に訃報を発表した場が公式SNSアカウントだったからである。
「女王は本日午後、バルモラル城において安らかに息を引き取られました。国王と王妃は今晩バルモラル城に留まられ、ロンドンには明日お戻りになる予定です」
このようにSNSを駆使している英国王室も、積極的に情報公開するようになったのは比較的最近のことだ。水島治郎・君塚直隆編著『現代世界の陛下たち:デモクラシーと王室・皇室』(ミネルヴァ書房、2018年)によれば、ダイアナ元王太子妃が1997年に事故死した後、王室非難の声が高まったことがきっかけであるという。
19世紀のヴィクトリア朝以来の伝統として英国王室は慈善活動に尽力してきたのだが、「慎ましく行動する」がモットーだったためにそれをアピールしなかった。結果的に派手なパフォーマンスが目立つダイアナ元妃ばかりが注目を集め、他の王族は全然働いていないと国民に思われてしまっていた。SNSなどによる情報発信は、この誤解を解くうえで絶大な効果があったそうだ。
2022年に亡くなったエリザベス2世[Photo by gettyimages]
現代のヨーロッパで宮廷がSNS上での広報活動をしていない国は、もはやリヒテンシュタイン侯国しかない。英国王室の事例が示すように、21世紀の君主制には生存戦略として積極的な情報公開が求められるのである。
しかし、日本皇室の広報に特化した宮内庁の公式SNSアカウントは、本当に実現するのだろうか。仮に実現するとしても、それは宮内庁の目的を十分に果たせるものになるのだろうか――。
各国宮廷が広報のために用いているSNSは、X(旧Twitter)、Facebook、Instagram、YouTubeの主に4つであるが、それらの中でもとりわけ拡散性に優れるXとFacebookのどちらかを用いるのが基本となっている。
それを踏まえたうえで、前者のXについての話をしたい。
2022年10月に世界屈指の億万長者であるイーロン・マスク氏に買収されてからというもの、このプラットフォームは悪い意味で話題になり続けている。中でも問題視されているのが、「言論の自由の擁護」を掲げるマスク氏のもとで、ヘイトスピーチや偽情報などの投稿が激増していることだ。
その結果、政治家や公共機関、教育機関やマスメディア、企業や著名人などがアカウントを削除したり更新を停止したりする動きが、特に先進諸国で相次いでいる。
参考までに具体例を示そう。ここに挙げたのはごく一部に過ぎない。
アメリカの公共ラジオ放送『NPR』、ロサンゼルス郡地方検事局フランスのシャネル、ストラスブール大学ベルギーの連邦機会均等センター『Unia』ルクセンブルクの金融監督委員会ドイツの連邦反差別局や社会民主党、ケルン市オーストリアのシェーンブルン動物園スイスのローザンヌ大学病院ノルウェー放送協会オーストラリア放送協会
毎日のように更新されていた高級ブランド「シャネル」のアカウントも、2022年11月25日を最後に投稿が途絶えている[Photo by iStock]
この世界的な動きは、王侯貴族とも無関係ではない。時流に乗る王室もいくつか出てきているのである。
その一つが、1947年の共産主義革命まで君臨していた、東欧の国ルーマニアの旧王室だ。最後のルーマニア国王ミハイ1世の長女であるマルガレータ・ア・ロムニエイ氏が率いる今日の旧王室は、ルーマニアならびにその姉妹国モルドヴァにおいて多大な敬意を払われている。
どちらの国にも旧王室に特別な地位を認める法規はない。したがって旧王族も法的には単なる一般市民のはずなのだが、両国の官公庁の公式webサイトには、大統領や首相、閣僚などがロムニエイ氏と会見したといったニュースがしばしば掲載される。しかもその際には、彼女が自称しているにすぎない「ルーマニア王冠守護者陛下」という名乗りが、特段の説明もなしに用いられるのが当たり前になっている。
ルーマニア旧王室のマルガレータ・ア・ロムニエイ氏(ウィキメディア・コモンズより)
旧王室は2012年以来、毎年のようにルーマニア国内を「御召列車(Trenul Regal)」で巡幸し、そのつど国民から熱烈な歓迎を受けている。このように旧君主家のための専用列車が堂々と共和制国家を走っている事例は、管見の限りでは他に見当たらない。総合的な評価として、その立場はかなり現役の王家に近いといえよう。
さて、そんな旧ルーマニア王室だが、現役の王家と同様にSNS上での広報に精力的だったにもかかわらず、2022年12月22日に突如として、同年いっぱいでTwitterをやめることを告知した。
いわく、「ルーマニア王室のTwitterアカウントは2022年12月31日に閉鎖されます。引き続きInstagramアカウントで、英語とフランス語による投稿をご覧ください」。
その理由は公表されていないが、マスク氏によるTwitter社買収からまだ日が浅い頃だったこと、同時に運用していたInstagramとFacebook、YouTubeは今なお続けていることからして、マスク新体制への不信感が理由だったことはまず間違いない。
なお、Xから距離を取った王侯貴族としては他に、旧フランス王家であるオルレアン家の当主、ジャン・ドルレアン氏――最後のフランス国王ルイ=フィリップ1世の子孫で「パリ伯爵」を名乗る――がいる。彼もまた、Facebookなどは利用し続けているのに、Xに関しては2023年3月を最後に投稿していないのである(※2024年2月15日現在)。
「パリ伯爵」を名乗るジャン・ドルレアン氏(左)[Photo by gettyimages]
目下、現役のヨーロッパの宮廷に旧ルーマニア王家などに追随する動きは見られないけれども、それは広報を担うのが官庁か民間かの差だろう。わが国に限らず、「お役所」はやはり判断が慎重になりがちなものだ。
だが、Xから撤退した公共機関もあることはすでに例示した通りである。代表例として、先ほど名前だけ挙げたドイツの連邦反差別局――2006年制定の一般平等待遇法に基づいて「連邦家庭・高齢者・女性・青少年省」の中に設置されている――を改めて取り上げよう。
この連邦機関は2023年10月、アカウント削除に先立って「もはや公共機関にとって許容できる環境ではない」とXをこき下ろし、他の省庁などに同様の措置を取るよう呼び掛けている。
いわく、「偽情報ネットワークと化し、反ユダヤ主義や、人種差別的、ポピュリスト的なコンテンツを広めているプラットフォームに留まっていて良いのかを他の省庁や機関も自問すべきだ」。
Xを巡る騒動を振り返ったところで、話題を「皇室SNS」に戻そう。検討発表からおよそ一年半が経つのにいまだに音沙汰がないが、はたして宮内庁はイーロン・マスク体制のXとどう向き合うつもりなのだろうか。
宮内庁では、現役君主家のSNS活用についてはいうまでもなく、旧王室や公共機関についてもきっと調査しているだろう。そうだとすれば撤退事例も筆者以上に多くを把握しているはずだ。これまで見てきたような世界の動きが、宮内庁の判断に影響を与える可能性がないとはいえまい。
先述のように、Xから撤退しようという動きは今のところ現役の君主家には見られないが、だからといって宮内庁が利用をまったく躊躇わないということはないだろう。「人種差別、偽情報、陰謀論の温床」などと問題視してXから離れる動きが収まらぬ中で参入すれば、日本の皇室が「健全なプラットフォームとしてお墨付きを与えた」と国内外から受け止められかねない。
また、冒頭に示したように、偽情報に関しては皇室とて無縁ではない。Xは買収前のTwitter時代から、匿名掲示板『5ちゃんねる』などと並んで皇室関連のデマの温床の一つである。海外では偽情報が氾濫していることも撤退理由として多く挙げられているが、それはもちろん宮内庁にとってもXを避ける理由になりうるだろう。
旧Twitterを買収したイーロン・マスク氏[Photo by gettyimages]
しかし厄介なことに、わが国のX利用率の高さは世界でもトップクラスである。デンマーク王室やスウェーデン王室のように、最初からXを用いずにFacebookを重用する宮廷もあるけれども、SNS上で情報発信するうえでXを無視するのは、こと日本においてはかなり難しい。
そもそも論として、特定の企業が提供するSNSを利用することに対する是非もあるだろう。思い返せば、昭和天皇は「放送会社の競争がはなはだ激しい」ことを理由に、ご覧になるテレビ番組すら明かされなかった。運用するのはあくまで宮内庁だとはいえ、ただでさえ「公平性を重んじてきた皇室が方針転換した」と思われかねないのに、そのうえXをことさらに忌避するとなると政治色すら滲んでしまう。
宮内庁は、総合的に判断してXを安心して用いることができる状況になるまでは、いかなるSNSにも手を出さないつもりであり、「検討中」という体裁ですでに様子見をしている段階かもしれない――。「皇室SNS」の速やかな実現を期待している人たちには冷や水を浴びせるようで悪いが、筆者の脳裏にはそんな考えがよぎって仕方がない。