日本人は世界に類を見ないほどの“お風呂好き”の民族だと言われている。ところが人生の終盤ともなるとそうはいかなくなる。病気も進行し、当たり前だったお風呂に入る体力も無くなり、多くの人たちは死んでいく。死ぬ前にもう一度、お風呂に入りたい――。そんな患者の願いに、全力で寄り添ってきた看護師がいる。茨城県つくば市で、訪問入浴・湯灌サービスを提供している『ウィズ』の代表看護師、武藤直子さんだ。

彼女はこれまで、末期の間質性肺炎患者や、末期のがん患者、あるいは重度のALS(筋萎縮性側索硬化症)患者など、他の事業者が様々な事情で尻込みしてしまう患者も積極的に受け入れ、1万人以上の『人生最期のお風呂』に立ち会ってきた――。
藤井幸子さんはパーキンソン病により、70歳で自立した生活が歩めなくなった。彼女を隣で支えていたのは、当時49歳だった娘の三奈さんだったという。三奈さんは母のADL(日常生活動作)が少しずつ落ちていく中で、12年間に渡って介護を引き受け、82歳で亡くなるまでほぼひとりで面倒を見続けたという。
「三奈さんは一人娘で、結婚して家を離れていました。夫は名前の通った企業の役員で愛妻家。一人息子は大学を卒業後、かねてから希望していた業界に就職し、『とても幸せな家庭だった』と聞いています。
ところが会社の健康診断で夫が末期の大腸がんであることが発覚し、2ヵ月後には亡くなられた。あまりに急な離別で、『気が動転しているうちに夫が亡くなり、何もしてあげられないまま骨になってしまった』ことをとても後悔していました」
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夫に出来なかったことを、せめて母には――。
三奈さんは夫との“あの日”をやり直すために、公務員の仕事をやめてまで実家に戻って24時間、母の介護に専念していたそうだが、
「母の幸子さんは介護しがいのある方だったと思います。自分がうれしいと感じたときには、いつも満面の笑みを浮かべてくるのです。あんな顔をされると、『もっとこの人のために何かをしてあげたい』と思えてくるし、幸せな気持ちでまた彼女のために頑張りたくなる。
娘の三奈さんはそんな母の笑顔と、心から言ってくれる『ありがとう』の言葉によって、何もしてあげられなかったという『夫の介護への後悔』が少しずつ和らいでいきました」
幸子さんの笑顔と「ありがとう」には、訪問入浴のスタッフも感化されていったという。
「入浴が済んだあと、幸子さんは童謡が大好きだと聞いたスタッフのひとりが、童謡を歌ってあげたところ、うれしそうに笑った…というのが始まりだったらしいです。それで『こんなに喜んでくれるなら…』と、幸子さん宅に派遣されたスタッフたちは自発的に毎回童謡を歌うようになっていました。訪問入浴はなかなか厳しい現場も多い。利用者さんやその家族に不満をぶつけられたり、セクハラを受けそうになることも多く、離職率も高いのが現実です。しかし幸子さんの“現場”はスタッフにやりがいを与えてくれるし、仕事への誇りを再確認できる機会も多かった。私は、道に迷った多くのスタッフもまた、彼女によって救われていたと感じています」
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そんな幸子さんは週3回、夕方に設定された訪問入浴で、熱めのお風呂に満足げに入り、シャンプーされると顔をほころばせ、肌の乾燥やかゆみを予防する保湿ケアをリラックスした表情で受けていたという。お風呂に入れていると、三奈さんが夕食をつくっているキッチンからは、ミキサーをかける色々な音が聞こえ始め、ドライヤーで髪を乾かす頃には美味しそうなにおいが部屋まで漂ってきていたそうだ。そしてスタッフたちが童謡を歌い出す頃には、三奈さんも部屋にやってきて、幸せそうな幸子さんの顔を眺めていたという。そんな変わらない日常が十数年続き、幸子さんは大往生した――。
「三奈さんは仕事までやめて、長年面倒をみてきたお母さんが亡くなったのですから、大変な喪失感だったと思います。でもやり切ったと思えたのでしょう。元保険外交員だった幸子さんに洒落たスーツとスカーフを着せて見送った後、三奈さんは介護事業所までわざわざ訪ねて、笑顔で泣きながら『次に向かって生きていきます』とお礼を言いに来てくれました。
幸子さんは寝たきりの生活が長く続きましたが、笑顔と感謝の言葉で、自身に関わる人たちの人生をより良い方向に導いていったように思えます。私もかくありたいと思えた、素敵な女性でした」
感情は人から人へと伝播していくものだ。負の感情が負の連鎖を呼び込むと言われているが、その逆もまたしかり。救われる人の笑顔は、ときに救う側の人生を救うことだってあるのかも知れない。
武藤さんの連載、『「どう生きてきたか」が「どう死ぬか」に繋がる…ベテラン看護師がみた、苦労続きだった母の「人生最期のお風呂」』につづきます。
※ プライバシー保護のため、内容の一部を変更しております(取材・文/『週刊現代』記者 後藤宰人)