スケールの大きな時代物から、市井の人々を描く世話物まで、幅広い芸域と精緻(せいち)な語りで、人形浄瑠璃文楽を先導した太夫の人間国宝で、文化功労者の初代豊竹咲太夫(とよたけ・さきたゆう、本名・生田陽三=いくた・ようぞう)さんが31日、肺炎のため亡くなった。
79歳だった。
大阪市生まれ。父は昭和の名人で人間国宝だった八世竹本綱太夫(つなたゆう)。1953年、9歳で豊竹山城少掾(やましろのしょうじょう)に入門し、竹本綱子太夫(つなこだゆう)を名乗って初舞台を踏んだ。66年に咲太夫に改名した。
深く掘り下げた浄瑠璃の解釈、人物の的確な語り分けに定評があり、歴史上の人物を描いた時代物では「義経千本桜」「絵本太功記」、世話物では、近松門左衛門の「女殺油地獄(おんなころしあぶらのじごく)」などで名演を残した。
2004年に紫綬褒章。09年には太夫の最高格「切場(きりば)語り」に昇格、日本芸術院賞受賞。19年、親子2代続いての人間国宝に認定され、21年には文化功労者に、23年には日本芸術院会員に選ばれた。