「能登半島での作業を終え、3~4時間の睡眠後、直ちにまた災害現場に向かおうとする隊員がいる。そんな(使命感に満ちた)自衛隊員を上官が制止し、休息を取るよう命じているそうです」
自衛隊と普段から交流がある支援団体の役員は、災害派遣に従事している自衛隊員の奮闘ぶりをこう明かした。
災害はいつ発生するか予測困難な脅威だ。特に地震は突如として発生し津波や火災など別の様々な災害を引き起こす。被災地での捜索、人命救助は時間との闘いでもあるため、警察や消防、そして自衛隊は、緊急時に速やかに出動できるように常に待機している。
災害が起きて要請があれば24時間出動可能とするため、自衛隊員の外出規制が整えられた。2013年より陸上自衛隊では、災害派遣等の初動部隊『FAST-Force (以下、ファストフォース、即動待機)』を部隊ごとに編成している。それ以外にも、営内者(拠点の中で生活する自衛隊員)で『残留』という仕組みもある。この『残留』は荷物の積み込み等の準備を行い『ファストフォース』人員が即座に行動できるようにするための待機要員だ。部隊の規模によるが、全国に10ある軍隊編成単位の師団規模で『ファストフォース』は100名くらいいる。
『ファストフォース』は休みでも遠出はできず、『残留』は休みでも外出できず、“その時”に備える。営内に住む隊員は待つことを「仕事」として職場に拘束されている、と一般的には考えるが、自衛隊では何も突発事項が発生しなければ「仕事はしていない」とみなされ、休日扱いになり、手当がつかないのだという。それでも『残留』隊員の中には、当直の手伝いとして除雪や草刈りなど雑務を言いつけられることもあり、休日と仕事のボーダーラインが曖昧だ。『残留』隊員は当直の手伝いの仕事を言いつけられても、休日扱いは変わらない。こういった矛盾が隊員の不満を積み重ねる要因にもなっていた。
能登半島地震は1月1日の16時6分に発生した。自衛隊は警察、消防などと同様、正月は長期休暇を認められており、多くの自衛隊員が休暇をとっていた。ただ、能登半島地震の一報で、まず『ファストフォース』の初動部隊が動き、上空からの偵察等を開始し、救出作業を担う地上部隊のための情報収集を始めた。
その後、特別休暇中の自衛隊員にも緊急呼集がかかった。中には、年末ぎりぎりまで勤務して、元日に北海道に帰省したばかりにもかかわらず1月2日に年末年始価格で料金の高い当日飛行機チケットで職場に帰った自衛隊員もいた。ちなみにこの休暇中の帰省や出先から、呼び戻された時の旅費については自己負担なのだという。
仕事とはいえ、「元日の災害派遣」は自衛隊員にとっては精神的にキツいだろう。ある西日本の後方支援の拠点では、正月の災害派遣要請をめぐり『ファストフォース」の隊員達同士によるトラブルが起きたという。事情を知る関係者はこう明かす。
「災害派遣に『参加します、行かせてください』と士気旺盛な40代以上の隊員と『風邪気味で、身体の調子が思わしくなく、しかも休暇中ですから、休暇が終わったら行きます』と答えた30代以下の隊員が口論になったんです。“行きたくない”と不満の声をあげたのは20代~30代、(自衛隊の中では低い階級にあたる)陸曹士が多かったが、幹部も数名いたようです」
自衛隊の中には、有給も代休も自由に取れるセクションもあるが、訓練や演習、災害派遣等の部隊行動のある部署では普段から外出や行動規制を強いられ、本当の意味で自由に過ごせる休日は少ない。正月休みは、遠出が許され、家族と長時間過ごせる特別休暇で非常に貴重なものだった。
今、能登半島の現場にいる自衛隊員は、休日返上で働いていることになり、一般的には「代休をどこかで取得するのだろう」と考えるが、実際は代休は溜まっていく一方。航空整備士、潜水艦・艦艇乗組員、パイロット、救急救命士など情報処理や専門資格など特別な資格を持つ自衛隊員の場合は交代要員がいないため、簡単に休むことは許されない。ある自衛隊員は「毎年、代休はほとんど使えずに消えていきます。有休をとることなんてありませんよ」と明かす。実際、使わなかった代休は1年ごとに消えてしまうため、自衛隊員は表に出ないところで悲鳴をあげているのだ。
前述のように、災害派遣をめぐって「行く、行かない」の口論が起きても仕方がない、と思わせるような、現役自衛隊員のあまりにキツイ勤務割出表をFRIDAYデジタルは独自入手した。その勤務表で驚くべき実態が判明した。
冒頭の「勤務割出表」は昨年のある月の勤務予定を示しており、●曹(Aさん)と士長(Bさん)の2人についての勤務予定がわかる。
「1」と書いてある日は「1直」(8:15から24:00)のシフト。「2直」は0:00から朝8:15の“夜勤シフト”。「1/2」は「1直の後に2直をこなす」シフト。「日」は日勤のことで8:15~17:00。「-」が休みだ。
Aさんの勤務予定を見るとこうなる。
3日(木):朝8:15~24:004日(金):0:00~8:15→8:15~24:005日(土):0:00~8:15→8:15~24:006日(日):0:00~8:15
上記を額面通りに受け取ると、72時間拘束している。「業務内容」の欄には「1直で2時間、2直は4時間の仮眠をとること」との旨が記載されており、休みは確保されているように見えるが、それでも睡眠時間は平均6時間に満たないし、連続して6時間寝ることが許されない勤務体制なのだ。
Aさんは、このシフトが毎週組み込まれ、この月だけで4回こなすよう命じられている。Bさんを見ても、同様の72時間拘束が月3回あった。このような過酷な労働環境が続くため、この職場では、途中退職や心身に故障をきたす隊員が多いという。
元陸上自衛隊の幹部職員はこう明かす。
「自衛隊員は特別職国家公務員、つまり国会議員と同じ扱いになります。いただく給料も、自衛隊員も国会議員も『俸給』といいます。つまり国に奉じている、ということを意味しています。自衛隊員は国から任命されている仕事をする身分です。自衛隊に入るときに『服務の宣誓』というのがあり、『事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います」と職責を国民に対して誓う。つまり、自分の意思に反して『死にたくない』とは言えなくなります。その時点で基本的人権は実質、存在しなくなる。一般人から見て過酷な勤務実態が結果的にまかり通ってしまっているのは、その考え方が根底にあるからではないかと思います」

過酷な勤務実態は事実なのか。そして今後、改善する動きがあるのか、防衛省に対して質問状を送ると、こんな答えが返ってきた。
上記に記した「72時間拘束が月4回ある勤務実態」については「一例に示された勤務形態が存在するのか現時点で把握しておりません」としたうえで、
「自衛官の勤務時間は、防衛大臣の定める日課によるものとされ、自衛官の勤務時間及び休暇に関する訓令(昭和37年防衛庁訓令第65号)により、1日の勤務時間が休憩時間(1時間)を除き7時間45分となるよう定めております。
また、自衛官は勤務時間外においても、行動、訓練、演習のため又はその他勤務の必要により、勤務することが命じられた場合には、何時でも職務に従事するものとされており、行動、訓練、演習等のために必要である場合には、部隊等の長は特別の日課を定めることができます。
公務の運営の必要上、自衛官に長時間の勤務を一定期間命ぜざるを得ない場合については、人事担当部局等に事前又は事後に報告し、勤務時間の状況をチェックするなど、長時間の勤務を必要最小限にとどめることとしております」とした。
過酷な勤務が続いたら、仕事の精度が落ちる可能性に対しては「ご質問の内容が、具体的にどのような状況下で行われたものなのか明らかではないため、お答えすることは困難です」と前置きした上で「やむを得ず継続して長時間の勤務をさせた場合には、速やかに面談を行うなど精神面を含む健康状態を把握し、臨時の健康診断の実施や医師の診察を受けさせております」と自衛官の体調に留意しているとの返答だった。
上記で紹介した、元日に地方に帰省したばかりの自衛隊員が1月2日に職場に帰ったケースのように、自衛隊員が呼び戻された時の旅費が自己負担になることについては「国家公務員に対して支払われる旅費は、『国家公務員等の旅費に関する法律』において定められ、(中略)帰省は私事旅行であって公務出張には当たらないことから、在勤地と帰省先との間の移動に要する費用については、旅費は支給されません」として支払う義務がないと主張した。
今後の「自衛隊員の働き方改革」や「給与体系」の改善については「働き方令和6年度政府予算案に自衛官への手当の新設を含む拡充に必要な経費を計上した」としたうえで「自衛官の勤務実態調査や諸外国の軍人の給与制度等の調査を進めており、今後、この調査の結果も踏まえながら、自衛隊員の任務や勤務環境の特殊性を踏まえた給与・手当の在り方について、様々な角度から検討する」としたが、実際に具体化するかは未知数だ。
冒頭のコメントにあったように、災害派遣で被災者を助ける職務に従事した自衛隊員の多くは、自分の体調よりもただひたすらに被災者を救うことを考える。周囲も、「自衛隊員は真面目で仕事に誇りを持ち、困難な状況でも乗り越えられる」と期待し、自衛隊員もそれに応えようとする。しかし、休日を返上して働いたり、仕事のために予定外の帰隊をした場合の交通費などは、自己負担ではなく、自衛隊員の負担分を出してあげることが彼らの思いに報いることになるのではないだろうか。
組織が隊員を大切にしなければ、帰属意識は低下し人は離れてしまう。口にできない分、心の中で悲鳴をあげている自衛隊員の気持ちをくみとって、勤務、給与体制に柔軟性を持たせる時期に来ているのではないだろうか。