指名手配され、逃走を続けていた「桐島聡」を名乗る男の“空白の50年”が少しずつ見えてきました。
1970年代、都内の私立大学の学生グループから派生した過激派組織「東アジア反日武装戦線」。
現在70歳になる桐島容疑者は、10人ほどで構成された過激派のメンバーで、1970年代の連続企業爆破事件に関与したとして重要指名手配されていました。
桐島容疑者を名乗る男は、神奈川県内の病院に入院していました。病院では別の名前を使っていましたが、身長160センチほどで、桐島容疑者と同じ背格好だといいます。
男は、病院関係者に「自分は桐島聡だ」「最期は本名で迎えたい」と切り出したといいます。
事件後、まもなく足取りが途絶えていた桐島容疑者。50年の逃亡生活の実態が明らかになってきました。
桐島容疑者を名乗る男は、藤沢市内の工務店で働いていたと話しているといいます。工務店では「内田洋(ウチダヒロシ)」を名乗っていました。
工務店に住み込みで働いていたという男。関係者によりますと、給与は手渡しの現金払いだったといい、身分証がないために、銀行口座などを開設できなかった可能性があります。
近所に住む男性は2週間ほど前、工務店の近くの道で倒れているのを助けたといいます。
動けなくなっていた男を抱えて運んだその先には、男が住んでいたという家がありました。
その後、救急車で病院に搬送されたという男。桐島容疑者を名乗る男は保険証を持たず、自費で治療を受けているといいます。
捜査関係者によりますと、末期の胃がんを患っていて、重篤な状態だということです。
また、桐島容疑者本人しか知らない事件当時の話や家族の情報などを具体的に話しているといいます。
50年もの間、偽名で逃亡生活を続けていたのでしょうか。なぜ今、桐島容疑者であることを明かしたのか。
犯罪心理学の専門家は、次のように分析します。
(「グッド!モーニング」2024年1月29日放送分より)