1970年代に起きた連続企業爆破事件の一つに関与したとして爆発物取締罰則違反容疑で指名手配された過激派「東アジア反日武装戦線」のメンバー桐島聡(70)を名乗る男が29日に死亡した。桐島容疑者とみられる男は「内田洋(うちだひろし)」の偽名で神奈川県内の工務店で働いていた。約50年にわたる逃亡生活は一体どのようなものだったのか。
末期の胃がんを患っていた男は「最期は本名で迎えたい」として、25日に入院先の病院で自らの素性を告白。捜査で半世紀に及ぶ潜伏生活や支援者などが明らかになると思われたが、わずか4日後に病院で死亡した。
桐島容疑者は75年4月に起きた東京・銀座の韓国産業経済研究所の入り口を時限爆弾で爆破した疑いがある。同年5月に指名手配されていた。共犯者で国際手配されている大道寺あや子容疑者らが海外逃亡しているため時効は停止中だった。警視庁公安部はDNA型鑑定などで男が桐島容疑者本人と確認できたら容疑者死亡で書類送検する方針。
事件を解明する手がかりかもしれなかった男が死亡したことで、一瞬見えた光明は再び闇に消えてしまいそうだ。逃亡生活のなかに手掛かりがないのだろうか。しかし、男が数十年前から住み込みで偽名を名乗って働いていたという神奈川県内の工務店周辺で聞き込みをしても男と接点を持った人は数少ない。
現在、男が入院するまで住んでいた家は、かなりの年季が入って屋根や壁などが壊れたまま。30年ほど前まで近所に住んでいたという70代男性は、当時の様子をこう証言する。
「当時はあの家には外国人労働者が結構住んでいたんだよね。フィリピンとか朝鮮半島とか、そっちの人たち。そのなかに桐島容疑者がいたかはわからなかったけど、もしいたとしたら事件に疎い外国人だらけの環境は潜伏するのに都合が良かったんじゃないか」
また、男が住んでいた地域の元自治会長が「あそこの人たちが自治会に顔を出すことはなかった」と言えば、ほかの近隣住民たちも口々に「ほとんどお付き合いをすることはなかった」と疎遠な関係だったことを明かした。男にとっては長期間にわたって潜伏するのに適した場所だったのかもしれない。
健康保険証や銀行口座もなかった潜伏生活を続けていた桐島容疑者とみられる男だが、音楽好きの一面があったという。行きつけの飲食店があり、1960年代から70年代にかけてのロックやブルース、ジェームス・ブラウンが好きだとほかの客にも知られていたほどだった。常連から「うっちー」と呼ばれるほど溶け込んでいたという。
一方で近隣住民の1人は「何を聞いていたのか忘れてしまったが、彼が大きな音でラジオを聞いていたものだから、うるさいと苦情を言いに行ったことが何度かある」と、騒音トラブルがあったと振り返った。自身の青春を彩った音楽を聴くのが逃亡生活の楽しみだったのかもしれない。
苦情を言った際の印象について近隣住民は「まだ元気だったのもあるが、見た目は年齢より若く見える人だった」と話した。複数の住民によると、男は黒縁めがねをかけていたというが、桐島容疑者だとは気づかなかったという。
男は死ぬ前、公安部の任意聴取に事件について話をしていたという。反省や後悔の言葉を口にしていたのかどうか。